2024年7月27日土曜日

あのコはだぁれ? を観てきました

現代Jホラーを作り続ける第一人者、清水崇さんhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%B4%87 監督作品。

 https://www.google.com/search?q=%E3%81%82%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%AF%E3%81%A0%E3%81%82%E3%82%8C+%E6%98%A0%E7%94%BB&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&oq=%E3%81%82%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%AF&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUqDQgCEAAYgwEYsQMYgAQyBggAEEUYOTINCAEQABiDARixAxiABDINCAIQABiDARixAxiABDINCAMQABiDARixAxiABDINCAQQABiDARixAxiABDIQCAUQABiDARixAxiABBiKBTINCAYQABiDARixAxiABDIHCAcQABiABDINCAgQABiDARixAxiABDIHCAkQABiPAtIBCDM1MzRqMGo3qAIAsAIA&sourceid=chrome&ie=UTF-8

恋人が、トラックに思い切り跳ね飛ばされるというショッキングな出だしから、彼の代理教師として、主人公が赴任した高校。そこには、過去の忌まわしい事件があり、「さな」という死んだ女生徒がいまだ怨念によってそこにとどまり、その場の人たちに呪いをかけていく。「さな」という名前、聞いたことのある不気味な鼻歌、ここら辺からこれは、「ミンナノウタ」の続編であることに気づいた。

すでに前作で、トラウマ的な存在となった、さなの家。今回も登場して十分に楽しませてくれた。おなじみの、何度も繰り返すセリフ。住人の狂気、オバケ化も怖いが、逃げ出た後に家を振り返ると、先ほどは普通の家だったのに、荒れ果てた廃墟となっている展開。映画「IT」での、登場人物が成人して訪れた生家での出来事同様、これらの演出によって不気味な怖さを演出している。

ちょっと驚いたのが、さなの実家の父母は、実際には存命で、老人ホーム的なところで生活していたというところ。死んだのは、さなと、お腹の子供のみ。(母は頭がおかしくなり、赤子の人形をずっと抱いていた)

清水監督作品の「呪怨」で登場する「としお」も今回出てくるが、お母さんの胎内で、さなの怨念によって殺されたのではなかったのだろうか??が、それが生きていて?実は、事故に遭った恋人?ちょっと流れがわからないところがあった。

他の疑問点は、自分の声や音が呪いの録音テープに録音されてしまうと、死ぬ運命になるという点。男子生徒も録音されて、突然姿を消してしまったが、さなの怨念をお母さんが抑え込むと同時に、無事に戻ってくることができた。が、主人公が女生徒を救うために自己犠牲となり、自分のことを録音した結果、ラストシーンで主人公の死が確認された。録音したのに一人は助かり、一人は死んでしまうという矛盾点。

作品には矛盾点があり、明らかにヘンだという内容もある。が、怖いもの見たさを満足させてくれるものであり、夏の風物詩・ホラー映画を楽しむために映画館に行くことも含めて楽しんでいるので、了解しながら観ると良いと思う。そしてもちろん、一観客として、この矛盾点に気づいても記述するのみで、これをどうしようという責任も義務も一切ない。


2024年7月10日水曜日

「関心領域」を観てきました

 

塀の向こうについてはこの映画では何も描かれず、あくまでもこちら側の楽園に住む人たちの視線、態度がクローズアップされることにより、その視点について問題提起される作品であった。

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これは、第二次大戦中に、ナチスドイツがユダヤ人収容所を作り、収容していた時の物語である。最初に見たときから、この家を取り囲む異音はおかしかった。何も感じないという人々の異常性も大げさなくらいに描いたのかもしれないが、普通に見たら異常すぎる。

ピストル発射音、ゴーゴーという絶えず燃え盛る焼却炉(死体処分用)の音、収容された人たちの叫び声、など、どれをとっても不穏であると感じる音ばかり。しかも音量も大きく、夜の夜中、就寝中にも絶えず聞こえるそれらの音。それを聞きながら、今後の話や生活の話を隣に寝る夫に楽しそうに話し続ける妻。

人間処分場と壁一つだけで区切られた敷地は、さまざまな植物が植えられ、プールもあって温室も作られ、とてもすばらしいミニ楽園のような居住地となっていた。使用人たちに囲まれ、何不自由ない生活を送る婦人は、夫の昇進・転勤があっても、そこの生活を是が非にでも守り続けるんだ、というかたくなな姿勢を取り続けていった。

塀の向こうで何が起きているかを知っているのは、軍の幹部として昇進しつつある夫と、妻のみだとはとても思えないが、ここで不自由ない暮らしができるのだから、関係のないことには目を向けるな、という暗黙のルールのような雰囲気も支配していたかもしれない。

が、その家の末っ子である赤ちゃんは、大人の思惑に触れることはない。何かを常に感じ取っていたせいだろうか、一日中わあわあと泣き叫んでおり、夜間の夜泣きもひどい。あの地獄のような音が聞こえるのだから、致し方ないかもしれない。赤ちゃんが特段、注目を受ける描き方はされていないので、心理学で言うトリックスター、的な存在感はない。

一方、夫は夫で、軍でのユダヤ人抹殺の計画を進めながらも、どこか体の不協和音のようなものが起きていて、ゲエゲエと吐いたり、自分で抱えているストレスを黙殺しようとしているようにも見えた。

が、夫も妻もどちらも、自分たちはこれでいいんだ、と今の考え方を変えようとはならないまま、映画は終わっていく。そして自ら、自分は幸福だと言って、収容所のまさに隣に住み続けたがる妻、それも大変恐ろしい。

心の本当の声に耳を傾けず、「今だけ金だけ自分だけ」といった、目先の利益を追求する今の世の中にありがちな風潮が、風刺されている作品であると言えるかもしれない。

塀の中の暮らしは描かれていないが、象徴的なシーンがあった。

https://natalie.mu/eiga/news/575703 こちらの記事に描かれた、レジスタンスとして活動して、ユダヤ人捕虜に食料を分け与えていた少女をモデルとし、この映画ではサーモグラフィ描写で、夜になるとこっそりとリンゴを土に植える少女の映像として描かれていたようである。映画鑑賞中は、この家の女の子が、夜になると抜け出すのか?と訳が分からなくなっていたが、帰り着く家が違うようなので、あれれ、、となっていた。

あと、ラストシーンで、死体焼却された人たちが履いていた、真っ黒に汚れた膨大な数の靴が、山積みにされていたシーン。これを見ると、心にズンと重くのしかかるものを感じた。(たしか、殺害されたユダヤ人たちは数百万人にものぼったという記事をどこかで読んだ記憶があった)