2023年7月30日日曜日

アナと世界の終わり(2017 英)

 

原題のアポカリプス、というのは、「キリスト教においての黙示。 または新約聖書のヨハネ黙示録。 転じて「世界の終末」「大災害」をも意味する。」と、いうことらしい。

主演の女の子や、記者?を演じた女の子がかわいかったこと、ミュージカル仕立ての映画というのは何となく知っていたが、あまりにどうでもよく感じた歌部分は倍速で飛ばすことで対応できたこと。歌はおおむねみんな上手?だったのではないかなと思われたが、スクールゾンビものということで、コメディ性も高い映画だったと思われる。

あっというまにいつの間にか、学校の外も中もゾンビだらけになって、逃げまどう主人公たち。幼馴染の男の子と二人生き残るかと思いきや、不良っぽく好感度がはじめは低かった元カレと、主人公と記者の女の子が生き残って車で脱出した。元カレの、ゾンビ戦闘シーンが意外に格好よく演出されていて、そちらも変わった展開であった。

途中、学園祭の舞台での生徒のミュージカルがポンコツ感あふれて笑えるところ、雪の公園で、幼馴染の男の子と二人、アナが母親の思い出を少し語るシーン、パッとしなかった校長が大変陰キャぽかったが、世の中が崩壊する中で卑怯でずるがしこい一面を発揮し、自分一人生き残るのをうれしそうに勝ち誇り、主人公たちを閉め出したり、校長室の中の生徒からの没収品の数々にあきれさせられたりと、ゾンビドタバタシーン以外での描写もそこそこできていた感じだった。

歌のシーンはぶっちゃけ、「これからの自分はこう生きる!」だの「自由を勝ち取るのよ!」などといった、言ってしまっては悪いが全くどうでもよい歌詞の羅列も多く、二倍速で飛ばして正解だと思える歌が複数あり、盛り上がりを出すという意味ではイマイチであった。が、ゾンビシーンよりも、学園祭のポンコツ舞台の演出などが意外に興味深く、少し後から見返したいと思った。

コメディゾンビ映画なので、その先の話はないが、最後の車での脱出後にはおそらく、大変なことはまだまだあり、安全な避難先を探すことや、その先を生きることも問題山積なのではないかと思われる。

2023年7月11日火曜日

忌怪島(きかいじま)を観てきました

 

何やら恐ろしげなまなざしが睨んでいるところからして、リーフレットだけでホラー映画ということがわかる。

昨日も関東地方は39度くらいが最高気温だという、とんでもない酷暑で、ゆうべはナイターで深夜枠での鑑賞だったが、それでも暑い夜だった。

シアターにはすでに予告編が流れ出していたが、観客が誰もいなくてびっくりした。このまま私一人だけだったらどうしようかと思ったが、後から計3人が入場してきてよかったと思う。

 映画自体は作り物である以上、本気で怖がることはないが、深夜、劇場内で一人、ホラー映画を見ていた時に、なにかが劇場内で起こった時には怖いと思う。(自分以外いないのに、物音や人声、ラップ音などがしたときなどである。)

怖い話を見たり聞いたり、心理的に不安定な状況になるなど、その場にいる人間の心理状態によって、何かを呼び寄せたり、見聞きしやすくなるということは、あるかもしれないと思う。心霊的なものを肯定しなくても、いやな予感、とか、なぜかここは不気味な感じがする、などの感覚はさほど否定するものではなく、それを回避したい、というのは普通の心理である。(だから、目に見えなくても超常現象というのはあるのではないか、と言われるわけである)

さておき、本題に戻す。

わかりやすく言うと、ヴァーチャルな感じの貞子、という感じの幽霊だろうか。

忌怪島を完全にスキャンしてヴァーチャル空間として再現するという「シンセカイ」プロジェクト。ところが、以前そこであった惨劇の渦中にいた「イマジョ」の存在が脅威をもって遅いかかってくる。村人たちにもてあそばれた挙句、惨殺された恨みを持ち、怨念の塊となったイマジョ。それがヴァーチャル空間に再現されてしまい、シンセカイ関係者や村人を次々と殺害していく。島の霊能者によると、海中に建てられた鳥居を通じて、ヴァーチャルと現実空間を行き来できるようになっているのだという。入浴中のお湯の中から現れたり、ヴァーチャルにログインしたら、現実の床面が急に水面になって現れたりする、不気味な幽霊。

ふとイメージがかぶったのが、諸星大二郎の「妖怪ハンター」というマンガに出てくる「海竜祭の夜」の中の海竜・安徳様(安徳天皇の化身)が、加美島の海中の鳥居をくぐってささげものを食べにくるワンシーンであった。

海・鳥居・海からやってくる不可思議な存在のイメージが結びつくことに共通感がある。

ラストシーンは、現実内・ヴァーチャル内で、ともに壊したはずの鳥居がなぜか、再建されていたこと、島を去る主人公とヒロインの腕にもヴァーチャル的なコードが光っていたこと、住民の女の子が、慕っていたシゲ爺の三味線を弾き終わった後、鳥居に向かって入水、沈んでいったこと(次のイマジョになってしまわないと良いが)で、この世界が終わっていないことを示していた。

シゲ爺の家も独特で、壁にはいたるところに、半紙にいろんな文字が墨で書かれたものがあったり、部屋中につるした折り鶴が飾られており、それらが祭壇の赤い光に照らされて不思議なインテリアとなっている。ラストの方では壁が崩落し、死んだ母親の死体が隠されていた、などの不気味シーンもあった。

(追記:山本美月さんの足が長すぎ・スタイル良すぎで、主演でアイドルの西畑くんとはカップル的な意味合いでは、いまいち釣り合いが取れていない感じがする。公表はされていないが、美月さんは西洋人の血も入っていそうな容貌である。/シゲ爺役は、名脇役の笹野高史さんが演じていると思われる)


2023年7月2日日曜日

ザ・フラッシュ を観てきました

 

時空を超えて、過去を書き換えようとした主人公。超人フラッシュである彼は、その力を使って過去にタイムスリップして、母親の命を救ったが、未来が書き換えられてしまった。


驚異的なスピードで疾走するフラッシュは、光速を超えてしまったのか、不思議な異空間に到達し、そこではいろんな事象が彫像のように立ち並ぶ。そこを経て過去に飛ぶのだが、最初に母の命を救うことから、いろんな事象が変化し、地球の危機につながってしまう。

置かれたその時間軸上、なかったことが出現していたり、その逆もあり、展開が面白かった。バットマンも、物語の前半・中盤・後半と、中身の人間が別人に代わり、ベン・アフレック>往年のバットマン俳優・マイケルキートン>ジョージ・クルーニーがそれぞれ、バットマンとして主人公の前に現れる。

そして、最後のエンドロールの後に、2019年の映画「アクアマン」に出演していた主人公だっただろうか、アクアマンのはずの人物が、ただの酔いどれとなって道に寝そべってしまうシーンがあった(間違いでなければ)。その手から、フラッシュがアクアマンの指輪を抜き取っていくというラストがあり、タイムパラドックスの影響により、地球にやってきたヒーローが変貌を遂げている一例が現わされていた。