2026年9月12日土曜日

バックルームズ を観てきました

 

異空間サスペンス、日本の「8番出口」に雰囲気のやや似ているこちらの映画だが、どういった光景が次に広がるか、観客も体験しながら進んでいくところが楽しめる。

いわゆる「脱出ゲーム」的な感じのする映画だった。空間は主に室内であり、何があるかを探索しながら先にすすんでいく流れである。

が、こちらは、異形の怪人たちが出てきて、襲い掛かってくる。全く売れない家具店のオーナーが、知り合いの男女を呼んで三人で、店舗の地下に広がる異空間への探索に出る。ところが、結果として全員殺されてしまった。

店のオーナーの治療を担当していた精神科医の女性、彼女は自分の家を地上げされて奪われた記憶があるようだが、彼女の失った家の室内が、地下の異空間の中に再現されているような画像があったので、心と異空間がつながっていると思われる。地下に行くほど、本物とかけ離れていく室内が、下へ下へと続いていくように描かれていたと思う。

精神科医の女性は最後、実験対象として監禁されたようだが、ラストシーンのあたりで彼女の手の指が、6本になっていたようだった。(たぶん)そこから、彼女も異世界の住人に変化した(していく)様子がうかがえる。

劇中、二度ほど繰り返された言葉がある。「犬を見たことがない人が、特徴を聞きながら犬の絵を描く。するとやはり、元の犬とはどこか違ったものが描かれてしまう」的なことを言っていたと思う。異形の怪人や、おかしな部屋。オリジナルの特徴は部分的にはありながらも、見た目の異常性、オリジナルからのコピーエラーのような不気味さがある。

それを作り出したのは誰なのだろうか。実物を見たことがない誰か(何か)が、エラーコピー品を作り出しているとしたら、おそらくだが異空間が、その土地に関係した人たちや、空間に触れた関係者たちの意識を吸い取ってコピーし、おかしなものを作り出しているようである。


2026年9月8日火曜日

ラスト・サバイバー を観てきました

 


パンデミックにより、人類の大半が死滅した世界を背景としたストーリー。

主人公がパイロットで、小型機によって遠距離の場所まで移動できるということ、そこにチート級の大きなアドバンテージがあり、数々の冒険がある。そして、とある無線をキャッチしてから発信先を探す飛行を開始した。

飛行機の不調によって不時着した場所が、主人公にとっての運命の出会いとなる女性が父親と暮らしているところであった。その後、無線の発信先を突き止めて行きついた、エアーターミナル的な場所が、生き残れた文明の一部分を思わせていたが、そこはおびき寄せた訪問者を利用したり、食料として確保するとんでもない場所であった。

その後、脱出して主人公と分かれて残ったもう一人の男のところに戻り、彼も乗せて集落に向かうことになった。人間を信じなかった彼も心を開き、集団に溶け込んでいき、主人公も出会った女性と二人でともに歩んでいきそうな雰囲気でストーリーは終わった。

文明の再建は、以前と同じには到底不可能だと思われる中、残った人々が略奪者軍団から逃れ、新しい地で集まって人間的な生活(自給自足)を行いながら人間性を大事に生きていく。 最後には集落を作り、互いを支え合いながら生きていくだろうという話が、ネット上でもそこかしこで言われている週末世界である。

自分自身、パンデミックや戦争、天変地異や災害、極端な食料不足が起きたら生き残るかどうかは運任せであるが、生き残った場合は、残った品物は使えても、第一次産業革命(蒸気機関発明)前の社会に押し戻されていくだろうと思われる。

略奪者(略奪してもその場しのぎにしかならないと思う)や動物、有害生物、その他病気などへの脅威が増していくだろう。そして、インフラを動かす人がいなくなるということは、インフラがなくなるのと同じで、電気・ガス・水道もなくなるが、原子力発電所だとそれを管理する人もいないため、暴走・放射能汚染などの大事故につながりそうだというのもあり、いろいろ怖い。

2026年9月6日日曜日

ファントム・スレッド(2017年アメリカ)

 


デザイナーのレイノルズが、ウェイトレスだったアルマを見初めてモデルに起用することから始まり、恋に落ちて結婚した。そして、これまでにかたくなに守ってきた自分のしきたりや、記憶に残る母の亡霊の再現にとらわれてきた生活が、少しづつ変わっていく様子が描かれている。

味わいどころは、美しい洋館の中で繰り広げられているオートクチュールの世界、画像が耽美的で、情緒ある建物内の景色、美しい風景、背景を楽しむことができる部分だと思う。


2026年8月27日木曜日

レディオアノット2 を観てきました

 


系統としては、「ゼイ・ウィル・キル・ユー」という映画に雰囲気が似ているというのか。
世界の秩序(警察、マスコミ、通信なども)を支配下に置いている影の支配者で大富豪の者たち、悪魔が彼らの神であり、彼らは悪魔崇拝者であった。ネット上で話題となっている陰謀論都市伝説的なストーリーが映画になった感じである。

主人公女性の命を付け狙う富豪たち、どのファミリーが主権を握るか(=世界の支配者?)の戦いのなか、主人公女性は、自分が欲しいものはそういったものではない、と考え、最後の最後に策略を練るのだった。

こちらの主人公を演じる、サマラ・ウィーヴィングさんは、他女優のエマ・ストーンさんに大変容貌が似ており、完全に同じ人だと思ってみていたが、どうやら違う人のようだった。



2026年8月21日金曜日

オークストリートの異変 を観てきました

 

住んでいる町ごと時空移動したのだろうか、次々と異変が生じた。恐竜たちが人々を襲い歩きまわる中、街を出られない状況が起きていた。

異変ははじめ、隣人の庭に咲いた、何十億年も前の古代の植物だったり、巨大なフンの山だったが、恐竜が現れて人間を襲い始めるという恐怖の場面に変わった。

家の外にあるときから、恐竜が現れて歩き出す。襲われたら怖いが、ある意味ちょっとしたロマンというのか、壮大な景色を見る感じにも似ている。が、とにかく追いつかれると襲われ、食われてしまう。

主人公で母親役デニース(アン・ハサウェイ)の息子が、やたらと飼い犬をかばいすぎだなあという感じがしており、恐竜に襲われる恐怖を感じたら、犬のために外に探しに出ることは普通はできないだろう、というのはずっと感じた。

そして娘役の子が、父親グレッグ(ユアン・マクレガー)にも母親(アン)にも似ていない。ぽっちゃりとした体形で平凡な容姿、まさに美人でスタイルの良いアン・ハサウェイの引き立て役にしかなっていなかった。アンハサウェイは、40歳を超えたので、さすがにプリンセスを演じていたころよりは歳はとっているが、すらりとした手足のモデル体型で、容姿端麗なのは健在だなあと思ってみていた。年をとっても美人は美人、腐っても鯛、というのだろうか。

恐竜に襲われて食べられている多くの死体で、大きく食い荒らされているものが殆どないのはちょっと、リアリティに欠けるなあと思った部分もあったが、そこは置いておく。人が恐竜に食べられるシーンがふんだんにあって怖いが、そこがリアルであり、良く描かれていると思った。父親(ユアン)も足を食いちぎられた後、そのまま食われてしまうという、まさかの流れであった。

テレポートポイントが出たり消えたり移動する中、どうにか時空移動を試み、異変前の街の近くに戻ってくる。そこで、父親グレッグ(ユアン)に電話をかけ、異変から外れた地域に呼び出し、事なきを得たのだが。

後から気づいたのだが、グレッグだけ呼び出して助けても、死んだ本人とは別人であり、となると、別のデニース母子らも街にいるはず。彼らは、グレッグ抜きで、彼らのサバイバルを生き抜かないといけなくなるので、より苦労しそうである。そして、彼らのグレッグは、永久に行方不明となるだろう。が、どのみちグレッグは同じ時間を経過した後、食べられて死んでしまうのなら、それでいいのだろうか。

と、自分の見解で書いたが、他の人のレビューをみたところ、デニースを最後に救った後に、ワニに食べられていたおばさんも、戻ってきたデニースの呼びかけによってタイムスリップを免れてしまったので、第二のデニースたちがどうなったのだろう、と書いている人もおり、まあ、細かいところまでは気にするなというのが、この映画のラストの感想だろうか。タイムスリップ・タイムパラドックス系は難しい。


2026年8月7日金曜日

オブセッション 災愛 を観てきました

 

「ワン・ウィッシュ・ウィロー」願いをかなえる柳を使って、主人公ベアは、ニッキーと恋人同士になったのだが。

仕事をやめると言い出したニッキーを自宅に送り、せっかく二人きりになったタイミングだというのに自分の気持ちも伝えられないベアは、映画の全体を通して、「弱気すぎるダメ男」という言葉が大変当てはまると思われる。

直接相手に伝えられないまま、たまたま魔法ショップで買った「願いの柳」を使い、彼女が自分を愛するように願いを唱えた。やはりそこに彼の臆病さと姑息さがあり、どうも好きになれない。そしてそれが彼女を変貌させ、恐ろしいオブセッション(執着)をむき出させるように仕向けてしまったのであった。

彼女の狂気に満ちた変貌ぶりは、映画を見ると最初から最後まで、ヤバイ、ヤバイ、としか言えないほどキチガイじみていた。顔にずっと、同じ笑顔を張り付けたまま動かず、長時間玄関前に立ったまま失禁したりするのも一例だが、とにかく怖い。

化け物、モンスターは出ないが、人間の狂気もとても怖いものであるとしみじみ思わされたということから、見ごたえのある作品であったと思う。

そしてベアのダメ男ぶりもずっと気になった。ニッキーの様子がおかしいと気づいた友人イアンに、パーティーに連れて来ないように言われたにもかかわらず、ニッキーのキチガイぶりが怖く、とうとう連れて行くことになってしまったり、同僚のサラとの密談をニッキーが見つけてサラを惨殺したときも、ニッキーを断罪できずに一緒に証拠隠滅を図った。内面はひどくおびえて苦しみながらも抜け出すことができず、とうとう呪いを解く唯一の方法、それをかけた本人の死という方法を選び、彼は自殺することになったのだった。

違う行動をとるパターンではどうなったかというのは、違う物語になるしわからないが、ベアには、最後の最後までダメ男感が漂った。ニッキーも彼の死により正気に返ったと思われるが、相当ひどい思いをさせられ、ある意味被害者のようになってしまった。

自分の意のままに相手を操ろうとするなら、払う代償は例えようのないくらい大きい。この映画には、そういう教訓があるのだろうか。





2026年8月1日土曜日

だあれかさんとアソぼ? を観てきました。

 

こちらのリーフレットのみを見ての鑑賞だったが、途中で流れたあの物憂げな鼻歌の曲を聴いてから、続編だとわかった。

鼻歌のメロディが流れて、あれ、と思ったのだが、同監督(清水崇)作品「ミンナのウタ」「あのコはだぁれ」の続編だということがわかった。

それまでに出てきた、悪霊すぎる少女(高谷さな)の名前は形を変え、「タカヤ様」となっていた。階段を13段登って、13段目で日付と名前を録音すると、タカヤ様がやってきて、その名前の人が死んでしまうという遊び。それに興じた高校生たち、名前を入れられた教師らが、次々と怪死を遂げていく。

高谷さなの弟が(演・染谷将太)、実家の外階段に埋められた姉の死体(ミイラ)を掘り起こし、手にしていたカセットレコーダーを破壊すると、これまでの呪いが解かれていったようであった。

1.家の中の寝室の奥が完全に暗く、奥が深くなっており、いきなり学校の階段になってしまっていたりと、舞台が飛躍して、え??という感じがしたのと、 2.バッティングセンターで、飛んでくるボールの前に立ちはだかって顔も体もボコボコにされたはずの男子高校生が、次のシーンではすっかりきれいな状態の顔に戻ってやってきた奇妙さ、 3.さらに、さなの殺害事件が週刊誌にまで掲載された事件だったようなのに、死体はこっそり外階段に埋められたまま何年間も放置、というのは果たしてできることなのだろうか、といった整合性がちょっと微妙である感じも、なくはなかった。

が、いろんな作品を提供して、視聴者を楽しませ続けてくれるホラー監督の存在は、とても重要である。これからもツッコミを入れながらも、観賞を楽しませていただけたら、と思う。