| 1.ただの海辺の岩としか思えない |
| 2.鎌首をもたげ始めた |
| 3.まさかのスピノサウルスの出現 |
| 4.(たぶん)荷物ごと持って行ってしまったようだった。仲間がかけよるも、すでに海の中へ。 |
周辺の空気も薄くけむり、なんだか、夢の中のような幻想感もあったので、切り取ってみた。
観た映画のスクラップファイル的なブログです。
| 1.ただの海辺の岩としか思えない |
| 2.鎌首をもたげ始めた |
| 3.まさかのスピノサウルスの出現 |
| 4.(たぶん)荷物ごと持って行ってしまったようだった。仲間がかけよるも、すでに海の中へ。 |
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| とある大きな会社を経営する女性社長、彼女は実はアンドロメダ星人だということだった。 |
エマ・ストーンが女社長を演じているが、どうもエマ・ストーン(ララランド、ゾンビランド、アメイジング・スパイダーマンなどに出演)とマーゴット・ロビー(ウルフオブ・ウォールストリート、バービーなどに出演)がごちゃ混ぜになってしまっていたが、それぞれ別の人である。
単なる思い込みの激しい男が、従弟と一緒に社長を誘拐し、自分の家の地下室に監禁するという話なのかと思いきや、後半から雰囲気があやしくなってきた。宙に浮く誘拐犯の母親の状態はどうみても普通ではなかったが、異常な点はそのくらいかな、と思っていた。
やがて、自責の念に駆られた従弟は、猟銃自殺をしてしまったが、頭が弱いばかりに誘拐犯の共犯にさせられ、化学薬品接種による「去勢」をさせられて心は落ち込み、プレッシャーに耐えられなくなってしまったという成り行きだったが、純粋そうな子供のような目をした彼が、自殺してしまったのは意外にショックでかわいそうであった。
さておき、ストーリーは流れて、逃げ出した社長が会社のそばで誘拐犯につかまり、社長室?のところまで誘導する。ワープ室だと言ってクローゼットの中に招き入れ、爆死させる。(誘拐犯の男は母親の復讐の名のもとに、被害者を虐待し、従弟を不幸にするなど悪いことをしすぎだったので、大変スッキリした。)
そこまではまったく、アンドロメダ星人を思わせる描写はどこにもない。が、搬送中の救急車から抜け出した社長の行く先は、宇宙船であった。そこで、人類の実験の失敗を告げ、人類の時間の終了を告げて地球ドームの模型?の天蓋を割った瞬間、全人類が突然死してしまうのであった。エゴに満ちて自分のことしか顧みず、人をだまし、陥れることばかりした人類は、アンドロメダ星人に絶望されたという結末。(宇宙船の中もいたって平凡で、予算的にはとても低予算映画な気がする。)
動画サイトに世界の終わり方を述べているストーリーがあり、その一つは、いきなり時間が止まってしまう終わり方を紹介していた。ちょうどこの映画のラストシーンと雰囲気が似ていると思ったが、今のところは単なるSFである。死ぬことへの恐怖はそれほどはないのかもしれないが、死に方は選びたいと思うので、いつ死んだかわからない死に方は、ある意味良いのではと思った。
犯人の母親が残した言葉に、「毒を食べさせ、病気にして、治療する。このマッチポンプで全部の部分で金もうけをする」といって女社長の製薬会社を?否定していたと思われたが、現代の闇をにおわせる一言なのではないかと思った。
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| 家族を助けるために、仕事にあぶれた男は、ランニング・マンに応募した。 |
会社の労働組合に、放射線の被害を友人のために告発したために、要注意人物として解雇された主人公。人道的に正しいことをすればするほど、経営者(資本家・支配層)に目をつけられて、虐げられていく社会。
そんな彼の娘が病気となり、薬代も稼ぐことができなくなっていた彼は、TVショーに出演させられて逃げ、追跡者たちの襲撃をかわして生き残ることで、大金を手に入れられる職業「ランニング・マン」に応募した。
テストで多くが脱落していった中、残ることができたのはいいが、暗殺者(ハンター)からの追っ手を逃れながら一日一度の生存報告もやらなくてはならない。監視システムも作動されており、そこから居場所を特定されるかもしれないのだが、とにかく危険がいっぱいで二人いた仲間たちも順番に殺されてしまった。
数々の潜伏先を転々としながら、AI画像による自分の偽画像を見させられたり、悪者に仕立てられたりと、ハイテク化の進む現在、画像はあてにならないものだと思わされる。
当局のウソまみれの支配、弱い物いじめの政策にうんざりとした一般大衆に声援を送られるようになった主人公。テレビを消してウソ情報から解放されるようになった多くの人たちが立ち上がり、TVショーを壊し始めた。
というあらすじだが、AI化もすすみ、これからいろいろなものが監視されるのではないかと言われている社会を、ある程度予告するようなものを感じた。
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| 日本では劇場公開されず、アマプラのみで視聴可能。 |
あらすじとしては、今回は、開発者ジェマがミーガンに不信感をいだきながらも、悪のロボットアメリアを倒すために、ミーガンと手を組むという話。
クリスチャンはAIの危険性を訴える使命をもつ財団を運営しているが、実はアメリアを操っていた張本人。アメリアを使って世界を乗っ取ろうと思っていたのだろうか。
アメリアは、財団スタッフの制御から離れ、殺人機能を持つマザーボードを拠り所として手に入れようとするが、ミーガンがそれを阻止する。今回はミーガンは完全に善側の立ち回りだった。
最後にミーガンは、アメリアともども破壊されたと思われたが、ネット上に自身のデータバックアップをとっていた。一時的に体がなくなってもネットがある以上、AIは不滅である。
人間とAIの決定的な違いは、魂があるかないか、そこらへんだろうか。人間は欲深く、成り行きで起きてしまったいろいろなことをどうにかするために必死で生きる、ということで色んなものを発展させてきた。
人間がいなくなってAIやAIロボットしかいなくなったとしたら、問題が解決してしまい、人間のような欲望やエゴ、生殖本能がないと、増殖することも発展することもなくなってしまうかもしれない。それとも、AIに自発的な意識が芽生えて、自身が神様のようになったら、機械生命体のようになるのだろうか。生きる意味は、AIに見出すことはできるのだろうか。できない場合は、ただのマシーンとして存続を自分で決める以外になさそうな気もする。
今回は、霊能力者のウォーレン夫妻の娘・婚約者も登場する。娘が誕生するときのエピソードも描かれていたが、若い年代にさかのぼるために他の俳優を起用しており、いつもの夫婦役の二人ではなかった。良く似た雰囲気の俳優で、全編リキャスティングしてしまったのだろうか、どうせ別人を使うのなら、見た目を似せる意味はあまりないかなと思った。
が、やはりいつもの二人が大きくなった娘と登場して、ああこの二人でなきゃいけないなと安堵してしまった。
そして、娘を付け狙う悪霊的な存在、いわくつきの鏡を骨とう品店で購入した結果、ひどい心霊現象に襲われだした8人家族たち、それらがその怪奇現象の家に集結し、娘も家族らと、その呪いの鏡と正面対決することになった。
欧米の映画はとにかく、「モンスター」というはっきりした存在を前面に打ち出す傾向が強い。もちろん悪鬼の顔をした亡霊が突然出てくるととても怖いが、日本の心理的な怖さを描いたものとは味わいが違う。
シーン別で特に怖いなと思ったのは、結婚が決まりウェディングドレスの試着室に入った後、電話応対のために店員さんが出ていき、娘が一人、試着室に取り残されたシーン。部屋の照明も、真っ暗な中にスポットライトがともる配置の部屋で、周囲が真っ暗で、ミラーハウスのように合わせ鏡に囲まれた部屋。これは出る以外にない、と思った矢先、やはりオバケが出てきた。
お母さんのウォーレン夫人が、もしもヘンなものが見えそうになったら、それを見ないようにするための歌?呪文のようなものを、娘に教えた。
ありえない不気味なものが見えてしまう怖さが、良く描かれている。https://www.youtube.com/watch?v=-MDskUpY7P8 「ルーシーが財布をなくした、キティが見つけた。中にはお金が入っていなくて、リボンの縁飾りだけ。・・あなたは、そこにいない。」(幽霊に対してだろうか)なんだか脈略もない不思議な呪文だが、そんなものでいくら封じても、出てくるものは出てきてしまう。その回数が頻繁になるほど恐怖も増し、問題の大きさがわかってくる。
霊能力者はやはり、自分の能力を否定するのはできない運命だろうか。どうせ見えるのならと腹をくくり、困った人を助けるというのを使命としながら生きていくのが天命だと思われる。
邦画はホラー映画以外はほぼ、ロードショーを観に行かない!と決めているためにこちらもCS放送のものを観たが、個人的な感想は、随所随所に味わいどころがあってなかなかよくできており、繰り返し見たいと思う良作かもしれないと思った。
心の奥で現実と虚構のはざまを行き来する、主人公滝沢馬琴(役所広司)。その相棒として、小気味の良いテンポを加えてくれる葛飾北斎(内野聖陽)。現実世界で奥さんにののしられたり体の虚弱な息子を抱えたりとうまくいかない現実世界で暮らしながらも、彼らは虚構を貫く意味を語ってくる。
武士・渡邊崋山が馬琴の居室を訪問し、虚であっても心の中でそれを貫けば、その人の人生は実となるのである、的なことを述べたが、非常に良いことを言っていると思う。
近年は量子物理学の解明も、最近明らかになる部分があるようで、観測者の視点によって、世界も違って見える(不思議なことだが、量子の実験によって証明されているようである)、ということも少し反映されていないだろうか。
それはさておき、芝居小屋で観劇をした馬琴と北斎が、奈落に降りて行ったときにたまたま舞台の修繕?をしていた鶴屋南北に出会った。さかさまになって上階から顔をのぞかせた南北は、暗い光の中で、さながらオバケのようにも見えた。忠臣蔵と四谷怪談を表裏として抱き合わせで上演しているのだが、実は忠臣蔵は虚構で、四谷怪談こそが事実なのかもしれないよ・・、と話しかけるその姿はいよいよ不気味で怖い感じだった。
自分の書いていることは勧善懲悪であり、虚構であるが、果たしてそれでいいのだろうかとふと悩み出す馬琴だが、周囲は人々が暮らすうえで支えとなるので、必要な虚構であると励ます。
四谷怪談が怖いと感じるなら、それは真実だからである、という南北の不思議な発言。心が何かを感じるストーリーは虚構の枠を超えて、心の中では真実、ととらえるといいのだろうか。
そんな中、八犬伝のストーリーも良く描かれている。シノがムラサメを領主に献上したところ、偽物だと非難されて襲われ、反撃するシーンやアクション、美しい巫女姿に扮した犬坂が、射るような目つきで鈴をならしながら迫ってくるシーンなど、演出的にもエンタメとして楽しめる場面がある。
八犬伝そのものばかりを追いかけると意外に内容は微妙なのだろうか、薬師丸ひろ子の里見八犬伝はつけっぱなしで流していたが、ほとんどまともに見ていないまま流してしまった。アイドル女優だった薬師丸ひろ子ばかりがクローズアップされている感がいまいちだったのか、とにかくちゃんと見る気が起きず、そのままである。
こちらの八犬伝も邦画ということで同じ扱いをしたが、なぜか途中で気になって、まじめにみることにしたのでやはり、俳優陣や演出が良かったのか。
最後は馬琴がこの世を去る?的なエンディングとなり、八犬伝の剣士たちにかこまれながらにこやかに光とともに消えていくシーンが、良い感じであった。