2020年10月27日火曜日

復活の日(1980年)

1980年公開の映画で、海外タイトルは、「Virs」らしい。原作は、1964年に小松左京によって書かれた小説である。

 映画としてかなりの年季もので、私も子供だった時分のものだったため、題名がいまいちピンとこなかった。そのころ、「人間の証明」やら、「野生の証明」などといったなんやら響きに重さを感じさせるタイトルの映画が出回り、タイトルを見て小難しそうだなあ、と思ったきり、特に見たいとも何とも思わなかったものである。

 野生の証明は、主演の薬師丸ひろ子の薬師丸の「お父さん、怖いよ。何か来るよ。大勢でお父さんを殺しに来るよ」というセリフがCMで流れていたかな?という記憶と、人間の証明は、ずっと後で観た時に、「ぼくの帽子」という詩の中で、「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。」というのが劇中に流れていたのが印象的であった。

 その当時の映画には、それぞれのキャッチコピー的なものがあったようである。が、ジョーズだのエイリアンだのといった、わかりやすいハリウッド映画は、ストーリーが把握できなくても見て盛り上がれたものの、こういった大人向けの邦画は、当初はいまいちとりつきが悪かった。きちんと、事件の背景やら内情の把握、時系列の把握などといった、細かい設定を理解しないとわからないからである。

 この映画を初めて見たのも数年前くらいだった。米ソ冷戦時代の当時を反映する映画設定であり、「米ソは互いを粉砕することができる。そのために核兵器禁止条約によってお互いが手出しをできなくなった。そこで、新たな兵器が必要になったのだ。」とのセリフが。互いにつぶし合う、という時点でかなりまずいとしか言えなそうだが。そこで、このウィルスである。現在世界中で蔓延している新型コロナウィルスとかぶってしまう。

 人間の本性はとても獰猛で残忍、好戦的で同族搾取、支配、殺戮が大好きな種族である、と言えるのは悲しい。あたたかな、人間的な面ももちろんあるが、そんな人や立場ばかりではないから、現実面でも多種多様な問題が起きている。気違いが核ミサイルのスイッチや、その他重要兵器を握れば、この映画のように人類が滅んでしまうのである、とこの映画は訴えている。


 

2020年10月10日土曜日

シャイニング(1980年) ~往年の名作~

 

1921年、手前中央にいるジャックはすでにこのホテルにおり、ダンスホールで楽し気に写真に映っている。

「ジャックは最後、ホテルにとりこまれたために後から写真に参加した」という風に私はとらえていたが、ネット解説の一つに、次のようなことが書かれていた。そちらのほうにも納得したのだが、1921年にホールで映っていたジャックは実在し、その死後に、家族を殺して自分も猟銃自殺をした前の管理人・グレイディに転生し、その死後に現在のジャックに転生した、という見方があった。グレイディ事件の時系列に無理がなければ、それもありである。トイレのシーンで、グレイディが「あなたはずっと管理人ですよ」とジャックに言ったのが大変謎であったが、そのくだりもあるから、そちらの見立てが合っているのかもしれない。

 有名な名作ホラーなのでとりたててどうという書き込みもしないが、双子の女の子の亡霊のシーン、ダニーが廊下を三輪車で走るシーン、血が噴き出すエレベーターホール、風呂に現れた老婆の腐乱死体、客室からのぞき込む犬?妖怪と男、美しいが恐ろしい雪景色の巨大立体迷路など、象徴的な画像がもりだくさんであり、それらが美しく、大変印象深いところも名作たるゆえんと言える。

バタリアン(1985年)~往年の名作~

 


 特に売れっ子な俳優を際立たせるなどせずに、ストーリーの面白さでグイグイとすすむ展開が良かった。今はすっかり死語となり果てた?「オバタリアン」(オバハンをやや面白おかしく野次った感じ、別称的なもの)という単語はここから発祥していた。老婆ゾンビがちぎれた背骨をゆさゆさしながらしゃべる姿は強烈な印象をもたらし、すっかり有名に。そしてここから転じてオバタリアン、となったとか。

 生物標本の会社に就職した若い青年フレディ、その教育係のおじさん、フランク。フランクの悪ふざけによって、タンクの毒ガスがもれてしまい、街は大惨事に。暴れだした標本用の人間の死体の取り押さえに、駆け付けた社長とともに奮闘する。犬の半身標本も吠え出したりと、ドタバタ感があり面白い。

 葬儀屋アーニーの飄々とした感じもなかなか良かったが、フレディの死に至るまでの演技が意外と上手だったのではないか?という気がした。ガスを吸い込んでからどんどん具合が悪くなっていって半べそをかきながら痛みを訴え、一瞬の死亡時間をおいてから蘇り、バタリアンとなって凶暴に豹変するところも、演技を忘れさせる自然さがあった。

 問題解決なら爆破だ、という大変に大雑把な(アメリカ的?)発想により、バタリアンが大量発生した町がミサイルで吹き飛ばされる。が、問題解決には至っていない。バタリアンが吹き飛んだ煙や灰からまたガスが発生し、新たなバタリアンを生んでしまうからだ。この大雑把さが、次への不安要素を呼び寄せるラストとなっている。

奇跡の丘(1964年伊・仏)

 イエスの誕生から死、復活までのエピソードを描いている映画であり、登場人物の発するセリフシーンはものすごく少なく、あっても物語展開上の理解を促す程度のセリフ、ナレーション、もの悲しいアリアやコーラスが流れたりし、映像としてかなり象徴的な雰囲気が醸し出ている。

 初めてみたのはまだ若い会社員だったころである。仕事疲れか、お風呂に入らないでそのまま夜寝入ってしまうという生活をしていたことがあった。明け方に目が覚め、朝シャワーを浴びる、というのを一時期やっていたが、早朝枠?で自室においてあったテレビで放送していたものだと記憶している。

 なんだろう?と思いながらボーっと見てしまっていたが、どういうわけだか母マリアの顔、お告げ天使の顔、生誕を祝う学者の顔は、現在の動画サイトで見直してみたが、どれもああ、これこれこの顔だ、とずいぶん覚えていた。それだけ映像効果の強い作品だったと思われる。

イエス


あまりマリア(イエスの生母)らしくない、眼光鋭い少年顔の女性。


天からのお告げを届ける天使。

イエスの誕生に駆け付けた三人の学者の一人。

ジーザスクライストスーパースター(2018)

 

中央のグレーの人が主演のジョン・レジェンド、隣の黄色いドレスの女性(マグダラノマリア)がおり、手前の黄土色のスーツ、ヘビメタ風な人はアリス・クーパーという有名なロックスターらしい。

 イエス(ジーザス)は神の子、不思議な力を持ちすべてを悟る人で、自分がどうしていいかわからない人たちにこぞってすがりたたえられ、王に祭り上げられて、政治的権力者に目をつけられて殺されてしまう、といったあらすじだろうか。自分がどうしていいかわからない、体や心の病、ケガ、金銭、対人、仕事、その他複雑なものに関してのトラブルというのは人生から避けられないテーマである。そこから極力脱する方法はやはり、幸福が何かがわかっていないと難しい気がするが、現実との折り合いをつけながら自分の直感や感じ方を元に、どうしたら快適に生きられるかを知るところにあるかもしれない。どこかの記述にもあったが、本来人間が一人一人神様のようなものなので、自分を本当の意味で喜ばせられる方法に近づくことが幸せへの最善策なのだとか。


 こちらのお題目の初登場は、映画Jesus Christ Superstar (1973)であったらしい。動画サイトで少し見れるが、現代風にアレンジされ、音楽もロックとなって見やすい感じである。

 (実は高校時代、文化祭の出し物でミュージカルをした年があったのだが、ジーザス・・をやるかどうか皆で検討したことがあったが、著作権の問題があるなどで見送りにした経緯があった。著作権は50年有効で、などと話をしていた記憶がある。さらに、劇団四季さんの上演を参考にしようとしたが、ただ、写真を見てあまりのポーズの激しさや演技の難しそうな感じもあって、気後れも起きた。おそらく文化祭などの短時間で上演したとしても、規模が小さすぎた結果、何が言いたいのかわからない作品になりそうでもあった。)

 音楽的にはどれも名曲で、大変印象の強い曲なので、しばらく耳に残るくらいである。倍速で見飛ばしてストーリーがわかったからもういいや、という一度見きりの映画もあるが、それとは違って音楽を聴く、という意味で何度かリピート見したくなる感じである。そういったところからして、名作ミュージカルだと思える。

2020年10月6日火曜日

ポラロイド

 


 
 評価的にはB級ホラーという感じ。映画館ではなく家で観たせいか、画面が非常に暗いため、光が入りやすく、映画全体の画像が見づらかったこと。日常生活のいろいろな合間に見るには、いちいち室内を暗室のように暗くするわけにもいかず、なんとなく見るのに息切れが来てしまった。なので後半は展開の早い部分以外は2倍速で飛ばして観た。場所だの金銭面だのの制約がなければ、自分の映画館をつくりたいところである。

 呪われた写真機でうつした人物は、不可解な死を遂げる、という設定だが、闇の中から出てくるゴーストは、神出鬼没であり実態が本来はないはずなのに銃で撃つこともでき、出現時だけ実体化するのか??不思議な感じであった。Jホラー「リング」で呪いのビデオをみると貞子の怨霊に憑りつかれて死んでしまう、という設定にやや似ているが、幽霊が呪い殺すのではなく、モンスターが出没するあたりがやはり、アメリカな感じがする。