特に売れっ子な俳優を際立たせるなどせずに、ストーリーの面白さでグイグイとすすむ展開が良かった。今はすっかり死語となり果てた?「オバタリアン」(オバハンをやや面白おかしく野次った感じ、別称的なもの)という単語はここから発祥していた。老婆ゾンビがちぎれた背骨をゆさゆさしながらしゃべる姿は強烈な印象をもたらし、すっかり有名に。そしてここから転じてオバタリアン、となったとか。
生物標本の会社に就職した若い青年フレディ、その教育係のおじさん、フランク。フランクの悪ふざけによって、タンクの毒ガスがもれてしまい、街は大惨事に。暴れだした標本用の人間の死体の取り押さえに、駆け付けた社長とともに奮闘する。犬の半身標本も吠え出したりと、ドタバタ感があり面白い。
葬儀屋アーニーの飄々とした感じもなかなか良かったが、フレディの死に至るまでの演技が意外と上手だったのではないか?という気がした。ガスを吸い込んでからどんどん具合が悪くなっていって半べそをかきながら痛みを訴え、一瞬の死亡時間をおいてから蘇り、バタリアンとなって凶暴に豹変するところも、演技を忘れさせる自然さがあった。
問題解決なら爆破だ、という大変に大雑把な(アメリカ的?)発想により、バタリアンが大量発生した町がミサイルで吹き飛ばされる。が、問題解決には至っていない。バタリアンが吹き飛んだ煙や灰からまたガスが発生し、新たなバタリアンを生んでしまうからだ。この大雑把さが、次への不安要素を呼び寄せるラストとなっている。