2019年9月27日金曜日

アナベル 死霊博物館


 問題の人形を格納した地下室のある家に遊びに来た友人。彼女が自分のせいで亡くなってしまったと思っている父親に会いたい一心で、地下室をあけ、呪いのグッズをあれこれとベタベタ触った挙句、アナベル人形を封印用のガラスケースから出してしまう。

 あまりにも自己中、よくぞそこまでやり抜いた害行為、と言える行いだったが、そこを発端にしないと物語が始まらない。今回のキーモンスターは、コイン・アイ・ゴースト(勝手に命名)が、不気味な存在をまき散らす。暗闇でコインの転がる音がするために、そこに「いる」というのがわかり、恐ろしい。

 かなり前だったと思うが、「世界のミステリー」「世界の妖怪図鑑」的な本を読んだことがあったが、そこに載っていた、布でぐるぐる巻きにされて棺桶に横たわった、目に二つコインをはめた死体の写真があったのだが、実はこの映画を見る前に、何の意味もなく、最近頭の中でフラッシュバックしていたのである。


夢に出てきては困るので、なんとなく小さくしてみた

 本に載っていたので有名な写真か?と期待していたら全く見当たらず、適当に拾ったネット写真から書き直し、イメージ図にしてみた。

2019年9月25日水曜日

ロケットマン

英国ロックバンド、クイーンの自伝映画で大ヒットとなった「ボヘミアン・ラプソディ」に引き続いて、エルトン・ジョンの自伝的映画となる。ボヘミアンラプソディは半年以上にわたる公開を続けたが、こちらは1か月ちょっと?ほどで公開終了になるのだろうか、俳優は確かにあまり本人に似ていなかったが、それほど悪い出来でもなかったと思うのだが。


 とにかく家庭が壊れすぎていて、夫婦関係の険悪さから子供への愛情を全くそそがない父母。そんな中で育ったエルトンは、ピアノ教師から国立音楽院へ推薦を受け、幸運にも恵まれて音楽の才能を開花させる。
 が、音楽の才能はあれど、ゲイでもあった彼は、本当の愛にいつまでも巡り合うことができず、むなしさから薬物・飲酒・買い物中毒に陥っていき、心身の健康を著しく損なっていく。

 子供時代の家族関係のつまづきは、後々まで大きな爪痕を残し、遠回しに子供の命を守れない結果になっていく。そういう意味では、エルトンの両親は、大変罪深い。(この映画とは関係ないが、拒食症・過食症の女性の場合、母娘関係のつまづきが多くみられることがあるそうである。)

 子供のころ、寂しさが募ったため、ハグしてほしい、と頼んだところ、父には甘えるなと冷たくあしらわれた。自分のハグを拒んだ父であったが、再婚後に生まれた腹違いの兄弟(子供)をいとおしそうに抱きかかえているのを、訪問したエルトンが帰り際に見てしまう。
 また、成人してから母に、ゲイだと告白したら、一生孤独な道を歩むことになるわよ、と冷たく言い放たれ、とてもかわいそうだった。どちらも自分の都合でしか子供を見ていない。本当にひどい両親である。

 が、まっすぐに歩いていきたいと思ったエルトン本人が、厚生施設?に入ってどうにか自分を立て直し、ゲイのパートナーを見つけて結ばれ、子育ても(養子?)がんばっているというしめくくりがあり、良かったと思う。



 

2019年9月19日木曜日

伝説巨神 イデオン接触篇、発動篇(1982年)/ IDEON



 日本サンライズ社制作・富野由悠季監督作の、ロボットアニメである。当然自分にはそんなものを見る趣味はなく、兄弟がいつもTVで見ていて、半分見させられていたわけである。
 初めに見た時の中盤の記憶はほとんどなく(ストーリーが取り立てて面白いと感じなかったのだろう)、最後に全員死亡して魂となって甦り、集合意識「イデ」によって導かれる方向へ飛び去って行く、というエンディングだけ見て覚えている、という程度であった。

 背景は、異星人間の戦争のようである。どちらもその立場による「自分の正義」を抱え、個々にはそう間違ってはいないかに思えたが、利害の反発する者同士が衝突して殺しあう、というのが、致命的な問題であった。
 アニメーション自体は古いが、利害の対立しあう者同士が反発しあい、つぶしあう(殺しあう)、という今の世界中の出来事そのままの縮図が描かれているといえる。

 結局、「イデ」は、意識の中での生存の道を探っているので、悪い意識を排除し、生まれたての純粋無垢な意思を残そうとし始める。そして、戦争をしあう者同士が変わらず殺し合いを続け、互いの「地球」は滅亡、イデの発動によって、宇宙空間で戦闘を行っていた者も、全員が全滅した。という内容であった。

 人間の醜い行いに失望した神や宇宙人が、地球のリセットを行う(全滅再生)、という都市伝説の原型のようなものが、このアニメに描かれているようである。

2019年9月12日木曜日

US(アス)2019年


 いわゆるドッペルゲンガーものかと思いきや、クローン人間が地底人化して生き続けていたという話。
 実験とは無関係のはずの一般の人たちのクローンが、どうしてほぼ同年齢状態で、同じクローン同士、同じ家族形態で地底に存在しているのか?という現実的なツッコミを入れてしまうとほぼありえない話なので、半分オバケのようなものだと思って解釈したほうが良いようである。
とにかく、普通に暮らしているつもりでいた自分たちの分身が、個々の全員分、地下にいるのだが、ある時に決起して地上にやってきて、自分を抹殺して本人になり替わろうとする、という設定は不気味である。地底人はおおむね、ドラッグでもやっているのだろうか?知能が低下しているのか?というくらい言動が奇天烈な感じで人間離れしている。

 最後、主人公が実は、記憶を失った地底人で、なんとか殺したと思ったのが、本来地底人ではなく、地底に監禁されて復讐を誓った、本来の地上人であった、というオチがあった。

2019年9月8日日曜日

ホーンティング(1999年 アメリカ)


いわゆる大豪邸を背景とした、お化け屋敷映画である。家の主人が、所有する工場から誘拐した子供たちを監禁し、それぞれ死後も亡霊となって家を訪れたものの前に現れる。

アメリカ映画らしい?というのか、家のカーテン・壁・あらゆるところが顔の形をとったり家具が変形して襲い掛かってきたりと、ザ・アメリカンお化け屋敷、という感じであった。かなりゴテゴテ、トゲトゲとしていて趣味が悪いが、大豪邸のミステリアスな造りに探検感を感じられた、というのが見どころだったろうか。

2019年9月5日木曜日

ドルフ・ラングレン 処刑鮫(2015ベトナム)

またしてもB級映画、そしてドルフ・ラングレンというのは鮫につけられた名称かな?という大きな勘違いをして見始めた映画であった。

 ガタイの良いマッチョで強面(コワモテ)系な白人男、出所後に自宅に訪れた、昔の悪い仲間を手荒く追い払うが、あとあとまで絡まれそうな悪い関係を連想させた。

 犯罪行為で刑務所入り・武骨で乱暴、頭も悪そう・性格も多分悪い・仲間も悪い・生活もルーズで自堕落そうで、これはきっとロクな人生歩まなそうだという雰囲気が醸し出て、結末はサメのエサで間違いないだろうと思われた。
 が、娘に会いたくて居宅訪問をしたときの雰囲気が、悪い人に見えなかった。あれ??と思っているとだんだん良い人だということがわかり、同時にかっこよく見えてきてしまったという不思議。

 そして、ヒロインと途中まで大変仲良い雰囲気であった生物学者、がサメにやられてしまうというイベントを経て、この男がこの映画で結構重要な位置をしめているのだろうか??と思い始めた。
 調べてみると、ドルフ・ラングレンというのはこの人で、著名な俳優のようだった。人種や肌の色は違えど、ドウェイン・ジョンソン系のかっこよさと言えるだろうか。
スウェーデン出身俳優らしい。目に知性を感じさせる。
ガタイもいいが、パワーと知性を兼ね備えたかっこよさがある。還暦を過ぎても老けず、苦み走った渋さがある、と言える。

 映画本体に少し話を戻す。ベトナムの湖を撮影したのだろうか?水中撮影した湖水が透明に澄んでいて、美しい、というのが見どころの一つだろうか。それと、少女カーリーの幼少期(4歳ごろ)を演じていた幼女のきょとん、とした笑顔が、出演1分にも満たないと思うが、とてもかわいらしいと思った。

2019年9月1日日曜日

横溝正史の映画たち

八つ墓村(1977年)渥美清(金田一役)・萩原健一(寺田辰弥)
犬神家の一族と同様、横溝映画で好きな作品である。
落ち武者をかくまうも、結局は裏切って惨殺した村落の住民たちに、たたりがおきる。
発狂した多治見要蔵を演じる山崎努。この役を演じる最高の役者は、彼をおいてほかにないのでは?と思うくらい素晴らしいと感じてしまう。ただただ冷酷無比な感じと、躍動感あふれる力強い走りが良いし、BGMも最高に合っている。


犬神家の一族(1976年)石坂浩二
犬神佐兵衛が死してなお、長女である松子を支配するかのような幻影として現れる演出が良い。遺産相続をめぐる争いから、殺人事件が引き起こされていく。映画全体的におどろおどろしいが、特に、菊人形の体にすげられた生首のシーンが恐ろしい。


悪魔の手毬唄(1977年)石坂浩二

童謡の歌詞になぞらえた手順で殺人がおこなわれていく様子が不気味であった。戦時中、ある農村に現れた詐欺師は、宿の女将の夫と実は同一人物であった、というからくり。また、ひょっこり村に戻ってきた、という「おはん」が、金田一の横を通り過ぎるときに声をかけるその声がとても不気味であった。


悪霊島(1981年)鹿賀丈史・主演
当時のロードショーのCMに、ビートルズの「レットイットビー」が流れ、そこが斬新な感じで、キャッチコピーは「鵺(ぬえ)の鳴く夜は恐ろしい…」であった。孤島における閉鎖的な村、結婚を反対された女性が精神に異常をきたし、二重人格となって実の娘を殺す。


悪魔が来りて笛を吹く
当時の広告写真、「笛を吹く悪魔」の人形の写真が本物のように見え、大変不気味に感じたものだった。旧華族の屋敷を舞台としたストーリー。主人が笛の楽曲を残して自殺したが、その屋敷内での人間関係の謎を解くと・・。いわゆる、「近親相姦」家系であるということが明らかに。

 公開当初は年齢が低く、ほとんどロードショー観覧はしていない。冒頭二作品はすでに見ていたが、他のものについては昔、CMを見たり、TVロードショーをかじって観た気分になっていたことが多かったので、改めてきちんと見てみた。

 好みでいうと、やはり、市川崑・監督の作品が個人的に好きかもしれない。(邦画は見ないほうだが、金田一シリーズでの比較だけするとそう思う)

 横溝作品は、やはり、集落や、家族、という濃い間柄の集団内における、病的な心理を描き出す傾向が強く、そこから不気味な味付けをして、味わいのある作品となっている。