2019年2月10日日曜日

私はマリアカラス

本当は、この映画に私が興味を持って見に行ったわけでゃなく、母と二人で行こうとして、鑑賞日に雨が降ってしまい、足の悪い母は行けなくなったために私が一人で行くことになったものである。

ちょっと濃い顔立ちの美人である。ケイト・ウィンスレット、ウィノナ・ライダー系の美貌にもう少しクセをつけた感じ、というのか。


 母が銀座好きなのに合わせ、日比谷シャンテの東宝シネマのチケットを買っていた。母はマリアカラスのファッションに興味があって観に行きたい、と言っていたが、ファッションアイテムはそれほど印象的に描かれていなかったような気がする。それとも私が無頓着で軽く流してしまっただけだろうか。

 それよりも大変自伝的な、しかもすべてが本人出演の古いフィルムを使っているので、特別にファッションにクローズアップしたとか、演出・脚色を行う、という要素が少ないと思う。
 作品の印象としては、本人の見えない苦悩やプライベートが描かれていて、表からは見えないものも描かれており、人物について深く理解ができるものとなっていた。

 公演を一つ終えると、何か月も休養を取らないと、とても心身が持たない、というのも自ら語っていたし、常に何か心のよりどころを必要としており、耐えてしのんだ部分もたくさんあるのだという、華やかな外見の裏の部分も理解することができた。

 それにしても、歌唱シーンを見ていると、さすが、素晴らしい、としかいいようのない才能、「これは本物だ」と思わされたすごいものがあると感じた。

2019年2月5日火曜日

サスペリア(2019年版)

ホラーの鬼才・ダリオ・アルジェント監督の名作「サスペリア」のリメイク版。
バレエ寄宿学校で起こる、変異の数々。背景には3人の母(悪魔、魔女ともいわれる)の存在が。

原作の味わいを思い出しながら見ていたが、残念なことに、良さがいまいちわからなかった。

アメリカから入団テストを受けに来た女の子。その子が踊る踊りに呪いをかけたのか、地下でバレエ団退団をもくろんでいた女性が踊りに合わせて複雑骨折を繰り返してボロボロになっていくところがかなり残忍なシーンだった。

 踊りがなんやら裸に近い格好で、地を這うような、のたくりダンスになったり、ラストも暗い照明の中でみんなすっぽんぽんだったりと、エロティシズムを描きたかったのだろうか。さらわれた老人すらも同じ姿で、寝転がらされて泣きじゃくり、そこまでしなくてもいいのでは、という感じである。爽快感の反対を感じてしまう。
 だが、誰と誰が魔女の総本山で、なぜアメリカから来た女の子がいきなり総本山のマザーである、と名乗りだして、いきなり悪の総本山の一員であるらしい醜く全身ただれた怪人をぶち殺してしまった(だっただろうか)のか、人物に対する説明や流れを理解させるものが乏しく、非常にわかりにくい。旧作のあらすじを知っていなければ、ますますわからなかったと思われるが、想像で補っておくことにした。
 なので、意味不明の混沌映画、とだけ感想をつけておきたい。

12人の死にたい子どもたち


 予告編内で、「この中に本物の人殺しがいる!」といった感じのキャッチフレーズが流れたので、自殺希望者に紛れた殺人鬼が起こす、恐怖の殺人劇をテーマにしたスリラーなのかと思ってしまった。むしろそういった展開の方がハラハラして面白そうである。

 子供につきあって一緒に見に行ったのだが、暗い画面などでスリラー風に見せかけたものの、結局殺人鬼などおらず、植物状態の身内を廃病院に連れてきてしまった女の子であったという事情もラストでわかってしまう。
 結局、自殺防止映画なのかなあ、といういい子ちゃん的と言えばいやみっぽいが、当たり障りのない映画に仕上がっていた。

 映画内でもアイドルという立場の橋本環奈をはじめ、ガチのゴスロリ風コスプレイヤーの少女もいるが、この子は本気でしゃべると東北弁?のような完全な方言になるところが素朴さを感じさせ、子供たちの素顔を見るシーンで印象深いものがあった。