2019年12月22日日曜日

デッドトリガー


格闘系マッチョのドルフ・ラングレンを主演において、なんとか体裁を保てた感じのB級映画、といった感じだろうか。

ゾンビの出し方がちょっととってつけた感が強すぎ、数人~十数人の塊を、今、放したところ?という演出の下手さを少し感じた。

世界的人気のスマホゲームが映画になったということで、題材的には理解できたが、演出的に少し安っぽさが目立ったことは否めない。

2019年12月15日日曜日

ゾンビランド・ダブルタップ


 第一作に続く続編だが、ゾンビの脅威・怖さ、日常がどんどん浸食されていく恐怖などについてはあまり感じさせなく、ひたすらゾンビをぶっとばせ、的なノリで映画がすすんでいき、とにかく軽いノリの映画であった。映画的には第一作のほうが新鮮味があって面白かった、という記憶がある。

 ウディ・ハレルソンを初めて映画で見たのはたしか、「ナチュラル・ボーン・キラーズ」であったと思う。サウンド・トラックも買ったような記憶がある。(手元にはもうない)ずいぶんといいおじさんになった。やはり、ワイルドな役柄が似合うようである。





2019年12月5日木曜日

ドクター・スリープを観てきました


  往年の名作、「シャイニング」の続編である。この話には、人の生気を吸い取る、吸血鬼のような亜人のような者も登場し、シャイニングの持ち主を襲っていく話が前半エピソードとなっている。
 そしてシャイニングといえば、例の山のホテルが出てこないはずがない。亜人(仮名)を山のホテルへ誘い出して対峙することを決意する主人公。

1980年制作のシャイニング。主演のジャック・ニコルソンの常軌を逸した基地外ぶり、怪演ぶりがすばらしい。


 上記は、ホテルゴーストのうちの、双子の少女の亡霊。ほかにもバーテンダーのロイド、ホテルマン、237号室のバスタブばあさん、血の海のエレベーターホール、優雅な音楽漂うゴールデンホールなど、視覚的にも大変象徴的な画像が多く盛り込まれ、名作たるゆえんを感じさせる。(「シャイニング」)

 ダニーを演じるユアン・マクレガーさんは、人相だけで良い人感がにじみ出ており、好感しか持てないが、ストーリーの最後に死んでしまうのが残念だった。そして、一作目でジャック・ニコルソンが雪の迷路で凍死した後に、ゴールデンホールの集合写真にしっかり参加して映っているというエンディングだったため、ユアンさんも集合写真に飛び入り参加かと思ったが、今度こそホテルは焼失するという最期を迎えた。シリーズ化は難しいかもしれない。

 そして最後に、ユアンと同行していたシャイニングな少女、夕飯前にバスルームに向かうとバスタブおばあさんが待ち構えていたが、待っていましたとばかりに、部屋に入っていったのだが、どういうエンディングだったのだろう。おばあさんの出現にぎょっ、としたが、そこでエンディングとなってしまったので、展開はわからない。が、おそらく仲良く共存しているのか、ユアンのように脳内でボックスに閉じ込めるなどしてしまうのだろう。

 シャイニングの名場面やゴーストを一部載せておくことにする。
主人公を勇気づける?バーテンダー、ロイド。大変ダンディーである。

トイレの手洗い場で雑談を交わすようになったホテル従業員の男

ホラーゲームに出てきそうなワンシーン。少女の亡霊を避けることはできるのか。

おなじみ、血の海となるエレベータホール
 
ダニーが逃げ惑う道すがら、目が合ってしまった客室内の何か。

2019年12月1日日曜日

ザ・マミー(2017年メキシコ)


マミーといえばミイラだが、ミイラというよりは亡霊となった死者が、少女のまわりに出現し、怪現象が起こっていく話。

 物語の背景にはメキシコの麻薬戦争があり、20万人以上の死者と3万人以上の行方不明者が出ている事実があるそうである。
http://www.labornetjp.org/news/2018/0718negisi
(参考・外務省HPより)
https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pchazardspecificinfo_2019T089.html#ad-image-0


 麻薬カルテルを牛耳るギャング団により、親を亡くし、家をなくし、ホームレスとなった少年少女たち。警察もギャング団と結託しているらしく、全く取り締まってくれない。
 ギャングの流れ弾に当たり、まだあどけない幼さのある仲間の男の子が、あっけなく死んでしまうのも、実話の流れを汲んでいると思われる。

 そんな中で、主人公である少女の母親、被害者の亡霊たちが復讐を望み、それを果たすという話。ホラーという面からみると、ベタな感じもするが、メキシコの麻薬をめぐる惨状を理解するには一つのヒントとなるのかもしれない。


2019年11月25日月曜日

ラストマン 地球最後の男


 他のネット上のレビューも1~2くらいとかなり低いが、ストーリーや構成を考えると確かに質は高くなさそうである。WOWWOWで流れている映画でなんとなく録画して後から見たが、眠くなったら今日はここまで、という風に区切りながら見れたり、グダグダな感じのするところはずっと倍速で送り飛ばしながら見ることができたので、強いストレスは感じずに見れたと思う。テレビで映画を見るなら、今後もこの方法が最も良いだろう。

 そんな中でのこの映画の味わいどころというと、青白い照明とほの暗さに包まれた主人公の自宅の雰囲気。それと、戦場で助けられずに死亡した戦友の亡霊、途中まで、この人は幽霊なのでは?と思っていたのだが、会話の途中、あれから助けられたのだと本人が言い出して主人公も信じ始め、あれあれ?どっちだろうという疑心暗鬼にとらわれた部分、ここら辺であっただろうか。

 ラストマン、という題名があったので、もしや、この主人公をとりまく登場人物が、じつは全員亡霊だったとか、もしくは天変地異で死に絶えてから、この主人公が本当に最後の人類になり、他の人が亡霊化して周りを取り巻くのだろうか?とも思ったが、全くラストマンにはならなかったのである。(最後は恋人と二人でシェルターに避難して新しい生命を授かり、また、仲間との衛星電話もつながるという展開。この映画の題名は、全く意味をなしていない。)


2019年11月20日水曜日

ブライトバーン/恐怖の拡散者

裏スーパーマン、もしくは、ダークスーパーマン、ブラックスーパーマンと呼べるだろうか。

 子供ができなかった夫婦が、野山に落ちた隕石から拾った子供だったので、ブランドンはもともと宇宙人だったが、思春期を迎えた彼は自我に目覚め、とうとう人間をやめてしまい、残忍な方法で人々を殺し始めた。

 いきすぎた反抗期やその他の事情で親子が殺し合う、というのはまれに起こり、ニュースでも取り上げられているが、この物語はすでに人間同士の戦いではない。
 瞬間移動や怪力、飛行能力など、超能力が強すぎて人間とかけ離れてしまった。悪意と敵意を持ってしまった「ブラックスーパーマン」といったところか。
 一般論的に、ある日を境に人間と全く次元が違ってしまった場合、ちょっとむかついたから消してしまおう、と人によっては簡単にそう思ってしまうのだろうか?という恐怖感がある。

 子供が大人になって、冷静に自分の親を見つめることができるようになったとき、自分もそうであったが親にある失望を感じたり、反発を感じたりするのは時折あることである。が、そうではなく、この映画の両親は何も悪いところはなかったが、子供の悩みや本能をどうすることもできなくなり、子供が結局化け物になってしまったという話。

 そして最後のほうで「良い事をしたい」と良い心を見せかけた?少年に、宇宙船の破片を突き刺そうとした母親。この余計な行動がなければ、もしかすると双方が和解し、ハッピーエンドになっていたのだろうか?という感想も抱かせた。


 



2019年11月9日土曜日

イット THE END

イット・リメイク版の続編で完結編である。

 リメイク第一版は2年前であり、それから27年後の設定となるため、俳優はそれぞれ別人が演じているが、それぞれの子役のおもかげを感じさせる配役となっている。

 1作目で弟を亡くしたビルの成人後を演じる、Xメンの「エグゼビア教授」を演じていたジェームズ・マカヴォイさんを見て、途中までエグゼビア、エグゼビア・・、と頭で唱えていたが、そのうち物語のほうに引き込まれていった。

 イット出現により、現地にとどまっていたマイクに召集をかけられた「ルーサー」たち。集まることなく自殺してしまったスタンリー。それを倒さない限り、自分たちもスタンリーのようにあまり遠くないうちに死ぬだろうと予言するビバリーの警告によって、イットを倒すことになった。

 それぞれの思い出を呼び起こすために、一人一人になっている場面でのホラーシーンが怖い。排水溝で助けを呼ぶ弟。手を差し伸べてしまうビルにおそいかかる無数の黒い手。そのほか、ビバリーが訪問した元・実家にいた老婆が人間ではなく、背後をおかしな動作で動く姿が不気味であるなど、一人シーンでの恐怖が濃く演出されている。

 逆に、全員でそれに立ち向かうシーンは、ほとんど怪獣映画のようになってしまい、ドタバタ感が強かった。

  

2019年10月29日火曜日

アローン



 ある朝目覚めたら、家族はおろか、人っ子一人街にいなかったが、数人だけ少年少女が出会った。町はずれから押し寄せてくる黒雲から逃げ、矢を放つ危険で正体不明な追っ手から逃げながら、無線の声を頼りに皆で避難生活をしていく。

 豪華ホテルの滞在シーンは少し心躍る感じを演出しており、良い部分であるといえる。緊張の中の弛緩、逃亡系物語の中で、いつかは破壊されたり侵入者によって終わってしまうのだが、つかの間の安らぎを与えてくれるプチユートピア感は好きである。

 こちらも実は最後に、「主人公たちはすでに事故で死んでいた」という顛末を迎える作品であった。「主人公は死んでいた」物語は、他に知っているものだと、「シックス・センス」「アザーズ」「パッセンジャーズ(2008年)」などがある。







アクシデント(2017年)


 親に内緒でフェスのチケットをとり、さらに乗るはずだったバスをエスケープ、知り合いのフェリシア?を呼び出して車に乗せてもらおうとするゴーイングマイウェーなキャロライン。チケットがない!という嘘でジェスを驚かせ、バスから降ろし、バスが行ってしまった後で、フェリシアと連絡がとれない、というオチ。軽率で計画性がない。
 親と友人を出し抜いて自分勝手な計画を立て、頓挫させるトラブルメーカー・キャロライン。案の定、ヒッチハイクしていかがわしい黒い車の、いかにもナンパ目的な感じの二人連れにまんまとついていった。

 頭の軽い、ノリの軽い、アメリカン?な若い女の子のノリというなら、ありがちであるが、フェスはどうした?というくらいなんやら違うほう違うほうへ?(夜になってもちっとも目的地には着かない感じ)行き、後部座席で男と絡み合いそうなジェスたちに気をとられて運転の男がミスり(運転手としては全くダメダメ。しかも盗難車であった)、暗い夜の山道で、停車していた車に衝突して谷底に転落するという、最悪な状況に。巻き込まれたジェスにやや同情し、ほとんどキャロラインが悪いと言いたい感じである。と同時に、ヒッチハイクの怖さを感じた。(乗せる方も乗る方も、善人とは限らないため)

 そう面白いといえる内容ではなく、脱出できない中で、いろんな状況が悪くなるのを見ている気分の悪さや、得体のしれない追っ手に殺されそうになる恐怖で物語が進む。(喘息持ちのキャロラインの呼吸を助けるために気管切開?のどに穴をあけたりするあたり、出血多量で死ぬから普通はできないなあ、という謎を残したまま、どうやら呼吸できるようになったりなど。)

2019年10月26日土曜日

ホスティル


 世紀末の世界。化学兵器により人の変異した、異形のクリーチャーとの攻防を重ねながら、ヒロインが夫との出会いからこれまでのことを回想しつつ物語が進行していく。ヒロインも夫役の俳優も、ともに大変美男美女でナイスカップルである。

 不良少女であったヒロインが、必要以上に意地を張り、子供の死産を機に夫と破局を迎える。しかし最後に出会ったクリーチャーこそ、変異後の夫であった、というオチが待っており、気づいた彼女は一緒に自決の道をたどる。そういう意味では、これはホラーというよりも愛情の物語だったのだなあ、という感じがする。

2019年10月8日火曜日

(WOWWOW)B級映画祭り~「ジュラシック・サバイブ」・「エンドオブアース地球最期の日」


ジュラシック・サバイブ:宇宙船が不時着した先は、恐竜のいる惑星であった。恐竜がCGというのがバレバレなうえ、登場人物の気の粗さやいざこざばかりに焦点がおかれ、ストーリー性もいまいち・・。


太陽嵐の脅威を描いたものだが、家族の脱出劇に焦点をおきすぎ。「私には無理。絶対にできない」と、脱出の足ばかり引っ張る娘に「そんなことはない。うちのファミリーならできる。」といちいち励まさなければいけない父親。めんどうくさい演出に重きがおかれ、ややうっとうしい。

2019年9月27日金曜日

アナベル 死霊博物館


 問題の人形を格納した地下室のある家に遊びに来た友人。彼女が自分のせいで亡くなってしまったと思っている父親に会いたい一心で、地下室をあけ、呪いのグッズをあれこれとベタベタ触った挙句、アナベル人形を封印用のガラスケースから出してしまう。

 あまりにも自己中、よくぞそこまでやり抜いた害行為、と言える行いだったが、そこを発端にしないと物語が始まらない。今回のキーモンスターは、コイン・アイ・ゴースト(勝手に命名)が、不気味な存在をまき散らす。暗闇でコインの転がる音がするために、そこに「いる」というのがわかり、恐ろしい。

 かなり前だったと思うが、「世界のミステリー」「世界の妖怪図鑑」的な本を読んだことがあったが、そこに載っていた、布でぐるぐる巻きにされて棺桶に横たわった、目に二つコインをはめた死体の写真があったのだが、実はこの映画を見る前に、何の意味もなく、最近頭の中でフラッシュバックしていたのである。


夢に出てきては困るので、なんとなく小さくしてみた

 本に載っていたので有名な写真か?と期待していたら全く見当たらず、適当に拾ったネット写真から書き直し、イメージ図にしてみた。

2019年9月25日水曜日

ロケットマン

英国ロックバンド、クイーンの自伝映画で大ヒットとなった「ボヘミアン・ラプソディ」に引き続いて、エルトン・ジョンの自伝的映画となる。ボヘミアンラプソディは半年以上にわたる公開を続けたが、こちらは1か月ちょっと?ほどで公開終了になるのだろうか、俳優は確かにあまり本人に似ていなかったが、それほど悪い出来でもなかったと思うのだが。


 とにかく家庭が壊れすぎていて、夫婦関係の険悪さから子供への愛情を全くそそがない父母。そんな中で育ったエルトンは、ピアノ教師から国立音楽院へ推薦を受け、幸運にも恵まれて音楽の才能を開花させる。
 が、音楽の才能はあれど、ゲイでもあった彼は、本当の愛にいつまでも巡り合うことができず、むなしさから薬物・飲酒・買い物中毒に陥っていき、心身の健康を著しく損なっていく。

 子供時代の家族関係のつまづきは、後々まで大きな爪痕を残し、遠回しに子供の命を守れない結果になっていく。そういう意味では、エルトンの両親は、大変罪深い。(この映画とは関係ないが、拒食症・過食症の女性の場合、母娘関係のつまづきが多くみられることがあるそうである。)

 子供のころ、寂しさが募ったため、ハグしてほしい、と頼んだところ、父には甘えるなと冷たくあしらわれた。自分のハグを拒んだ父であったが、再婚後に生まれた腹違いの兄弟(子供)をいとおしそうに抱きかかえているのを、訪問したエルトンが帰り際に見てしまう。
 また、成人してから母に、ゲイだと告白したら、一生孤独な道を歩むことになるわよ、と冷たく言い放たれ、とてもかわいそうだった。どちらも自分の都合でしか子供を見ていない。本当にひどい両親である。

 が、まっすぐに歩いていきたいと思ったエルトン本人が、厚生施設?に入ってどうにか自分を立て直し、ゲイのパートナーを見つけて結ばれ、子育ても(養子?)がんばっているというしめくくりがあり、良かったと思う。



 

2019年9月19日木曜日

伝説巨神 イデオン接触篇、発動篇(1982年)/ IDEON



 日本サンライズ社制作・富野由悠季監督作の、ロボットアニメである。当然自分にはそんなものを見る趣味はなく、兄弟がいつもTVで見ていて、半分見させられていたわけである。
 初めに見た時の中盤の記憶はほとんどなく(ストーリーが取り立てて面白いと感じなかったのだろう)、最後に全員死亡して魂となって甦り、集合意識「イデ」によって導かれる方向へ飛び去って行く、というエンディングだけ見て覚えている、という程度であった。

 背景は、異星人間の戦争のようである。どちらもその立場による「自分の正義」を抱え、個々にはそう間違ってはいないかに思えたが、利害の反発する者同士が衝突して殺しあう、というのが、致命的な問題であった。
 アニメーション自体は古いが、利害の対立しあう者同士が反発しあい、つぶしあう(殺しあう)、という今の世界中の出来事そのままの縮図が描かれているといえる。

 結局、「イデ」は、意識の中での生存の道を探っているので、悪い意識を排除し、生まれたての純粋無垢な意思を残そうとし始める。そして、戦争をしあう者同士が変わらず殺し合いを続け、互いの「地球」は滅亡、イデの発動によって、宇宙空間で戦闘を行っていた者も、全員が全滅した。という内容であった。

 人間の醜い行いに失望した神や宇宙人が、地球のリセットを行う(全滅再生)、という都市伝説の原型のようなものが、このアニメに描かれているようである。

2019年9月12日木曜日

US(アス)2019年


 いわゆるドッペルゲンガーものかと思いきや、クローン人間が地底人化して生き続けていたという話。
 実験とは無関係のはずの一般の人たちのクローンが、どうしてほぼ同年齢状態で、同じクローン同士、同じ家族形態で地底に存在しているのか?という現実的なツッコミを入れてしまうとほぼありえない話なので、半分オバケのようなものだと思って解釈したほうが良いようである。
とにかく、普通に暮らしているつもりでいた自分たちの分身が、個々の全員分、地下にいるのだが、ある時に決起して地上にやってきて、自分を抹殺して本人になり替わろうとする、という設定は不気味である。地底人はおおむね、ドラッグでもやっているのだろうか?知能が低下しているのか?というくらい言動が奇天烈な感じで人間離れしている。

 最後、主人公が実は、記憶を失った地底人で、なんとか殺したと思ったのが、本来地底人ではなく、地底に監禁されて復讐を誓った、本来の地上人であった、というオチがあった。

2019年9月8日日曜日

ホーンティング(1999年 アメリカ)


いわゆる大豪邸を背景とした、お化け屋敷映画である。家の主人が、所有する工場から誘拐した子供たちを監禁し、それぞれ死後も亡霊となって家を訪れたものの前に現れる。

アメリカ映画らしい?というのか、家のカーテン・壁・あらゆるところが顔の形をとったり家具が変形して襲い掛かってきたりと、ザ・アメリカンお化け屋敷、という感じであった。かなりゴテゴテ、トゲトゲとしていて趣味が悪いが、大豪邸のミステリアスな造りに探検感を感じられた、というのが見どころだったろうか。

2019年9月5日木曜日

ドルフ・ラングレン 処刑鮫(2015ベトナム)

またしてもB級映画、そしてドルフ・ラングレンというのは鮫につけられた名称かな?という大きな勘違いをして見始めた映画であった。

 ガタイの良いマッチョで強面(コワモテ)系な白人男、出所後に自宅に訪れた、昔の悪い仲間を手荒く追い払うが、あとあとまで絡まれそうな悪い関係を連想させた。

 犯罪行為で刑務所入り・武骨で乱暴、頭も悪そう・性格も多分悪い・仲間も悪い・生活もルーズで自堕落そうで、これはきっとロクな人生歩まなそうだという雰囲気が醸し出て、結末はサメのエサで間違いないだろうと思われた。
 が、娘に会いたくて居宅訪問をしたときの雰囲気が、悪い人に見えなかった。あれ??と思っているとだんだん良い人だということがわかり、同時にかっこよく見えてきてしまったという不思議。

 そして、ヒロインと途中まで大変仲良い雰囲気であった生物学者、がサメにやられてしまうというイベントを経て、この男がこの映画で結構重要な位置をしめているのだろうか??と思い始めた。
 調べてみると、ドルフ・ラングレンというのはこの人で、著名な俳優のようだった。人種や肌の色は違えど、ドウェイン・ジョンソン系のかっこよさと言えるだろうか。
スウェーデン出身俳優らしい。目に知性を感じさせる。
ガタイもいいが、パワーと知性を兼ね備えたかっこよさがある。還暦を過ぎても老けず、苦み走った渋さがある、と言える。

 映画本体に少し話を戻す。ベトナムの湖を撮影したのだろうか?水中撮影した湖水が透明に澄んでいて、美しい、というのが見どころの一つだろうか。それと、少女カーリーの幼少期(4歳ごろ)を演じていた幼女のきょとん、とした笑顔が、出演1分にも満たないと思うが、とてもかわいらしいと思った。

2019年9月1日日曜日

横溝正史の映画たち

八つ墓村(1977年)渥美清(金田一役)・萩原健一(寺田辰弥)
犬神家の一族と同様、横溝映画で好きな作品である。
落ち武者をかくまうも、結局は裏切って惨殺した村落の住民たちに、たたりがおきる。
発狂した多治見要蔵を演じる山崎努。この役を演じる最高の役者は、彼をおいてほかにないのでは?と思うくらい素晴らしいと感じてしまう。ただただ冷酷無比な感じと、躍動感あふれる力強い走りが良いし、BGMも最高に合っている。


犬神家の一族(1976年)石坂浩二
犬神佐兵衛が死してなお、長女である松子を支配するかのような幻影として現れる演出が良い。遺産相続をめぐる争いから、殺人事件が引き起こされていく。映画全体的におどろおどろしいが、特に、菊人形の体にすげられた生首のシーンが恐ろしい。


悪魔の手毬唄(1977年)石坂浩二

童謡の歌詞になぞらえた手順で殺人がおこなわれていく様子が不気味であった。戦時中、ある農村に現れた詐欺師は、宿の女将の夫と実は同一人物であった、というからくり。また、ひょっこり村に戻ってきた、という「おはん」が、金田一の横を通り過ぎるときに声をかけるその声がとても不気味であった。


悪霊島(1981年)鹿賀丈史・主演
当時のロードショーのCMに、ビートルズの「レットイットビー」が流れ、そこが斬新な感じで、キャッチコピーは「鵺(ぬえ)の鳴く夜は恐ろしい…」であった。孤島における閉鎖的な村、結婚を反対された女性が精神に異常をきたし、二重人格となって実の娘を殺す。


悪魔が来りて笛を吹く
当時の広告写真、「笛を吹く悪魔」の人形の写真が本物のように見え、大変不気味に感じたものだった。旧華族の屋敷を舞台としたストーリー。主人が笛の楽曲を残して自殺したが、その屋敷内での人間関係の謎を解くと・・。いわゆる、「近親相姦」家系であるということが明らかに。

 公開当初は年齢が低く、ほとんどロードショー観覧はしていない。冒頭二作品はすでに見ていたが、他のものについては昔、CMを見たり、TVロードショーをかじって観た気分になっていたことが多かったので、改めてきちんと見てみた。

 好みでいうと、やはり、市川崑・監督の作品が個人的に好きかもしれない。(邦画は見ないほうだが、金田一シリーズでの比較だけするとそう思う)

 横溝作品は、やはり、集落や、家族、という濃い間柄の集団内における、病的な心理を描き出す傾向が強く、そこから不気味な味付けをして、味わいのある作品となっている。

2019年8月29日木曜日

トリハダ(1)(ドラマ)

幽霊の出ない恐怖ストーリー集である。


 異常な執着を見せるストーカー、なぜかガラガラの車内でとなりにすわってきた奇妙な女、天井裏にひそんでいた殺人鬼、人間としてはかなり狂った人物らが、見る者を恐怖に誘う。

タイムシャッフル



舞台は、3つの室内と、家の敷地回りでのみの、やはり低予算系ながらもストーリー性のある話であった。

先の時間を映像化する写真機をめぐり、賭け事・マフィアが絡んできて、果ては殺人が起き始める、どう見てもハッピーエンドではない結末となった。
 三人暮らしの女の人が黒幕であったようにもみえるが、どちらにせよ、写真機に翻弄されたには違いがないのではないだろうか、という印象だった。

2019年8月25日日曜日

ダーク・スクール(2018年)

原題は、ダーク・ホールらしい。

 手の付けられない不良少女たちがそれぞれ通う学校の紹介により、他校への転校を促され、行きついたところは人里離れた巨大な洋館だった。

 そこでは学長らが、過去に若くして死去した天才芸術家や学者たちの霊を呼び寄せ、少女たちの体を乗っ取っていく。
 霊にとって過ごしたかった余命を取り戻させると同時に、少女たちはものすごい才能を発揮しはじめるのだが、みな途中からおかしくなり、狂ったようになっていく。

ポセイドン(2006年 米)


1972年映画「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイクということである。元映画でも中年牧師が皆を助けるために自ら犠牲になる、というラストだったが、こちらも元市長である人物が、皆を逃がすために、スクリューの操作をしに水中へ片道移動をして溺死。物語に深い印象付けをしている。

船体がいつ沈むかわからない恐怖と、船体の上へと移動するなかで立ちふさがる困難で、ハラハラ感を感じさせてくれる。


1972年映画の「ポセイドン・アドベンチャー」
 そして個人的には1972年の映画の劇中曲、古いが、「The morning after」はとてもいい曲だと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=msgxhVgUc6I



シックスヘッド・ジョーズ

凶暴な性質だが、ぷっくりとした星形の形状がヒトデを思わせ、全体像がかわいらしく見えなくもない。


頭のうち、二つを使って足代わりとして陸地もスイスイ移動。とんでもない化け物だが、どこかしら見た目は愛嬌が。

 とんでもモンスター映画で、ストーリー性もおおざっぱで登場キャストも全員無名で特筆する感じもないが、サメの個性が光った。

 途中、ライフルでサメが二度ほど頭を打たれ、一匹だけ死亡する、という展開があったが、二度とも、死亡した頭部をとなりの頭が食いちぎる。
 ちぎれた部分からの出血多量で普通なら死んでしまうのに、と思っていたら、食い破ることで再生を促す、ということだったらしい。一晩か二晩(忘れた)のうちに、そこから新たな頭がズズズッ、と生えてくるのである。

 さすがB級映画、つっこみどころが多い。登場シーンによって、サイズが違うご都合主義で、ラボの床穴から頭を突き出すシーンでは、あれっ?こんなに小さかったっけ、と思っていたが、別シーンでは別物のように巨大化していたり。
 また、CGを登場人物の上に重ねているだけ感がすごく、上に重なったので食べられました、という感じの演出や、食われたはずなのに、次のシーンでは血だらけで倒れているだけ、などの、なんやらおかしなシーンはいっぱいある。

 ラストシーン、爆発によって吹き飛んだ頭同士で、共食いをしようとしながら息絶えるところは、このサメらしさがきちんと演出されていてよかったと思う。


2019年8月19日月曜日

フランケンフィッシュ

パッケージのイラストほど大きな魚ではないが、推定3m前後?くらいだろうか。CGを駆使しているB級ホラー映画だが、登場人物たちがこのタイミングで?、というくらいあっけない無残な死をとげていくのがある意味テンポ良く見られる映画である。

沼の雷魚が遺伝子操作で怪物化してしまい、釣り人や沼のワニ、ボートハウスに住む人たちを次々と襲っていく。魚が大変醜悪で気持ち悪い感じなのと、ボートハウス集落が意外に味のある風景を演出しているところが、味わいどころだろうか。

クリムゾン・プラネット

メイン舞台は、火星ではなかった。

密室内が完全に舞台であり、科学者である主人公とAI、オンライン画面でときおり交信している同じ科学者である姉、室内で主人公を閉じ込めようとした同僚、主な登場人物はここらへんである。

AIと主人公の会話が中心というのか。火星でキューブを発見したが、結局探査機は何もできないままキューブが地球の南極に移動し、各国基地間の衝突が問題となる、など人間同士のいさかいを止められない。

しかしそれはすべて、密室内のモニターを通してみられる映像とAIの報告ばかりなので、やや現実味がうすく、AIが人類に失望してミサイル総攻撃を行い、滅亡させるところもそんな感じで流れていく。

主人公もAIに室内酸素を操作されて窒息死。最後は、アンドロイドに移植された主人公(たち?)の意識がキューブに吸収され?、宇宙空間に存在し続けていくんだよ、ということなのだろうか。解釈的によくわからないが、そんな感じのメッセージを込めた結末となっていただろうか。

物語がやや難解で、登場人物が少ない密室劇。また、どうしてそうなるの?という不思議展開もあったり。一般的な映画評価は低いようだが、雰囲気を味わう、という意味ではまあ、一つの作品だったかなと思った。

2019年8月8日木曜日

シアター・ナイトメア


 映画館のアルバイト店員、しかもそこそこ高齢者で、仕事や待遇にいかにも不満をかかえてそうな感じで、その店員の悪だくみによって観客とアルバイトの上司がはめられ、命を奪われていくという話。(店員を演じているのは、「エルム街の悪夢」のフレディを演じている俳優だそうだ。)

 それにしても、このしょぼくれた店員の悪だくみを中心に話が進んでいくのが最初から不愉快な感じであった。
 飲み物に薬を入れて観客女性に飲ませるなど、はじめからやっていることが犯罪そのものである。さらに、プライドばかり高く、仕事に誠実に向き合わないために映像技師の仕事を外されたらしい。上司にそれを指摘されて逆恨みをする。

 最初から共感性のない主人公の目線で、物事が悪い方悪い方へ進んでいくのは、不快感を募らせる。物語からただよう、ねちっこい陰湿な感じが嫌で、終始ほとんど二倍速で見てしまった。
 結局、その店員が嫌っている上司(上司としてはすごくまっとうで、きちんと仕事面で努力しない彼を叱咤しただけ)と、観客の青年が策にはまって殺されてしまうが、この老人の制作映画のワンシーンとしておさめられてしまい、老人は映画をみながらほくそ笑む。そこがまた、イラッとした。
 魅力のかけらもない悪役(考えることは悪いことばかりのアルバイト老人)が、あたかも自分が神であるかのようにふるまい、しかも悪だくみが成功してしまうのは、非常に許せない感じがする。

2019年8月4日日曜日

ダウンサイズ とアントマンに見られる縮小思考


誰の言葉だっただろうか、人間が思いつくことは、その時は実現不可能かと思われても、いずれは実行可能になる、ということだった。

荷物がかさばり、重い。引っ越しの荷物が大きくて大変である。なかなか片付かない。いつかこれらに、レーザーのようなものを当てて小さくして、配置をきめてから元の大きさに戻る技術が開発されないだろうか・・、と私もよく考えていた。

映画界でもそれに似たダウンサイジング思考が時折、散見される。古くは1966年映画「ミクロの決死圏」、「インナースペース」(1987年)のように、人体を探検する旅を題材としたSF映画があるが、近頃は人体の不思議探求から、小さくなった人間がどんなことをやれるか、ということに焦点が移っているかもしれない。

こちらの映画では結局、ミニサイズ人間の世界での出来事に後半は普通の世界同様に描かれているので、ダウンサイジング描写は前半くらいだろうか。主人公がアジア系女性と出会い、のちの人生選択に大きな影響を受けていくが、この映画は意外に平凡な終わり方になっている。