2016年12月31日土曜日

アイス・ジョーズ AVALANCHE SHARKS

雪の中からコンニチハ。ありえないが、見て楽しむにはアリなのかもしれない・・。

 雪の中を海中のように高速で泳ぎまくる氷のサメ。僻地のスキー場の突如として現れ、スキー客らを次々と飲み込んでいく。地元の利益や自分の職を守るために、行方不明者の捜索に不熱心な地元民と、正義感ある保安官と不明者家族らが対立する、映画「ジョーズ」的な構図。

 映画の見どころは、追いかけっこのスリルと、雪景色や冬の山・湖の景色の美しさが楽しめるところではないかと思う。

 このサメは、どうやら昔、開拓者たちに虐げられて死んでいった、原住民のシャーマンが作り出した復讐神らしく、祭りのトーテムをたてて、その神を鎮めていたらしい。それが倒れたための事件となったのだが、なぜか、なぜか、スキー客の中に英語の話せない、身元不明な謎の日本人女性がいて、リフトで山の上に登り、トーテムを立て直すという不思議行動に出ている。

アジア系の外見ではあるが、表情の作り方、雰囲気がどう見ても日本人ではない・・。そして謎の行動の原理は、「モッタイナイ」とか、「後始末をして帰る」という日本人行動の模範的部分が描かれたのだろうか。


デッドライジング DeadRising Watchtower


(概要記録のみ)

 ジャーナリストである主人公チェイスが、抑制剤「ゾンブレックス」(露骨な名前・・)によりゾンビ化を抑制していたはずの町で混乱が起きたところに乗り込み、真相をあばくストーリー。「ゾンブレックス」が突然きかなくなり、感染歴のある人達が、次々とゾンビ化を始めたことが発端だが、不良薬配布を仕組んだのは、実は軍だったようである。
 事態の収拾のために、1年間有効なゾンブレックス入りのマイクロチップを、人体に埋め込む方法で鎮圧を始めたが、そこには軍の仕組んだ、ある計画も含まれていたようだった・・。

2016年12月27日火曜日

ファイナルデッドパーティー(邦題) night of the demons

ファイナルデスティネーションシリーズのところに、あたかもシリーズものであるかのように配置されていたので、「犯人のいない連続死亡事故」の恐怖を描いたシリーズだと思い込まされてレンタルした。

どうやら、館に巣食う悪魔の恐怖を描いたものらしい。

ターミネーター2で美少年として一世を風靡したエドワード・ファーロング。・・だったが、アルコール中毒で病的な顔になったり、太ってしまったりで、風貌は大きく崩れていた、そんな彼が、本作に出演していた。

 無断で空き家を借りきり、パーティの入場料を集めて荒稼ぎをもくろむ人、ボスに脅されて、パーティで買い手を探しまくるエドワードファーロング演じる、風采のあがらない薬物の売人、パーティに呼ばれてランチキ騒ぎをするアホそうな招待客たち、露骨にいちゃつきだす人達、どれをとってもなんだかなあ、な人たちばかりのパーティー・・。

 そこへ警察の手入れが入って、多くがそこで会場を後に、追い出されて出て行ったのだが・・。こっそり残った7人が、地下室に眠る悪魔たちの餌食になっていく話。骸骨に手を噛まれた女性から悪魔菌に感染して悪魔に変身してしまう。その風貌はかなり恐ろしく、凶悪である。

 ファイナルシリーズとは違うので、それを期待するとかなり残念で、パーティもかなり下品な感じだが、ゾンビと見まごうばかりの恐ろしい悪魔の風貌と迫りくる恐怖を楽しむなら、いいのかもしれない。

 劇中曲の紹介:
https://www.youtube.com/watch?v=Qs6E2ig_5QY

Zombie Girl - Blood, Brains And Rock N Roll





2016年12月24日土曜日

午後ロードショーより 「バイオハザード」

 言わずと知れた、ミラ・ジョヴォビッチのシリーズ・ゾンビ映画である。この第一作は2002年、今はなき東急文化会館でだっただろうか、渋谷の劇場で公開時に見た。が、テレビでも何度となく放送されるので、すでにおなじみ感が強い作品である。

 なので感想を書くにも、かなり今さら感があるのだが、気づいた部分をピックアップして記録しておこうと思う。

 往年の名作でゾンビ映画の金字塔だと言われている、1978年公開の「ゾンビ」(Dawn of the Dead ジョージ・A・ロメロ監督作品)に出ていた、ケン・フォリーさん演じる軍人のピーターと、本作の特殊部隊のワン隊長がとてもイメージがかぶっている。

往年の名作、「ゾンビ」(1978)今見ても、良い映画だと思う。


(1978年ゾンビ)取り乱す同僚を叱咤激励する、頼りになる軍人、ピーター。(ケン・フォリー)

(2002年バイオハザード/コリン・サーモン)冷静沈着で行動力もあり、頼れる存在、ワン隊長。が・・。

 どちらもかっこいい黒人軍人で、身のこなしが素早く、沈着冷静で適正な判断で仲間をまとめていく、頼れるリーダータイプである。精悍な顔つき・外見もカッコよく、まさに物語をいい感じに引き締めている。

 両者の違いは、最後まで生き残っていたか、死亡終了か、である。
 バイオハザードは、ゾンビ映画というジャンルだが、人工知能の冷徹感が、不気味に描かれている。ウィルス流出の機密保持のために、地下都市で働く人たちを、ほんの数手間で抹殺したAI、「クイーン」。

 ワン隊長の死はあっけなく、クイーンの主電源室前のレーザーで、数秒で全身バラバラにされるという最期だった。そのシーンは、人工知能への無機質な恐怖感を、十分に感じさせるものだった。


2016年12月4日日曜日

壊滅暴風圏 カテゴリー6


なんといっても午後ロードショーの映画は、つっこみどころ満載作品があるので、こちらもそのつもりで突っ込みを入れていこうと思う。

 激しい暴風による、市長のプライベートジェットの墜落から始まり、自由の女神の巨大な腕がもげ転がり、地下非難した人の出口がふさがれる。
 竜巻にのまれたり、強烈な冷気により瞬間凍結してしまった人たちや、高電圧の空気が上空からおそいかかってビルをとりまき、感電死する人たちが出るなど、パニックシーンもふんだんに描かれている。観てからやや時間は経ってしまったのだが、展開的にはそれなりに退屈はしなかったと思う。

 最後は何やらよくわからないが、上空2万メートルの地点でドライアイスをまく、という作戦で、どうにか危機を免れたらしい。


 最後につっこみどころはこれ、冷凍人間シーンのところ。
 発見した主人公がひいっ、とショックを隠しきれない表情を浮かべるのだが、お人形さんを相手に、演技ご苦労様です、としかいいようのないヒトコマであった・・・。

手前の人は生身の本物の人間だとわかるが、奥の人たち・・、特に女性がマネキンなのは、間違いない。
よく洋服売り場においてある、あれである。目が、ない。そしてとなりの男性も、マネキンだと思う・・。伏している子供と男性は、不明。(たぶん、マネキン。)

2016年12月3日土曜日

聖の青春

 二子玉川の映画館のE席は、ゆったり座れて肩が凝らないので利用したいが、競争率が高く、早い日取りで予約を入れないとすぐ埋まってしまう。そのため、やはり見たいと思っていた洋画作品も埋まっていて、人が行きたくない朝の時間帯を検討した結果、こちらの映画に落ち着いた。

 邦画は、かなり興味を持たないと滅多に見ない。たまに見ても、巨額を投じるハリウッド映画と比べてはいけないが、スケールの小ささや、人生観だの感情論だのに終始するストーリーや、結局作っている人の自己満足感が強いところばかりが気になって、結局何が言いたいのやら、心に響かないまま終わったりと、不完全燃焼で終わってしまいがちだからである。(あくまでも、個人的感想です。)

 この作品は、ドキュメンタリー的な色合いがあるので、見ても大きく外さないかもしれない、という予測と、松山ケンイチさんの自然な役作りに一目置いて、E席がそこしかなかったことを妥協させることになった。


ライバルである羽生善治棋士役は、東出昌大が演じている。

  子供のころから重い腎臓病を患い、一生それと付き合うことになったが、それが引き金だったろうか、膀胱がんにかかり、若くして命を落としてしまう、才能あった棋士の物語。
 病に伏せる前からずいぶん不摂生な生活をしていたのだろうか、酒を泥酔するまで飲みまくったり、タバコの副流煙ただよう雀荘でマージャン通いをしていた。吸わなくても、タバコの副流煙は、吸っている人よりも害が大きいそうであるから、もともと病を抱える体には大きな負担となっていただろうな、というシーンが続いた。

 羽生さんの、ひょうひょうとした感じを東出さんが近い感じで演じていただろうか。羽生さんは、私の個人的な目撃情報だが、といっても1997年位だったが、渋谷のセンター街を、すすっ、と、歩いていたのを見たことがある。(見間違いでなければ、ほぼ間違いないと思う。)
 午前中で人通りはあまりなく、また、気づく人も少なかったと思う。最寄りの将棋会館は、現在検索すると千駄ヶ谷が最寄りだが、その時はどこに行っていたのかはわからない。ただ、スーツを来て、気配を感じさせないで人目をさりげなくかわすような、ススッとした感じだった。

 やはり余命少ない主人公がかわいそうに思えたのは、普通に女の人と恋をしたり結婚をしたいという普通の夢がかなわず、自分の病気と向き合っていくしかない寂しさを感じたところであった。元タレントだったかわいい奥さんを射止め、家庭生活も順調な羽生さんを目の前にした、本音だったのだろう。

 聖が病気をしていなかったら将棋と出会わなかったかもしれないのは事実であるし、それを介して知り合った二人だった。が、接点は将棋だけれども、人生は重なることはない。本当にそれぞれだと思う。共有できる、と思えるのは、気持ちだけである。家族同士ですらそうなのである。気持は共有できても、同じ人生は歩めない。人生はそういう意味では孤独なのだから、結局は、自分のために悔いのない人生を送らないといけない(理想論)。

2016年11月27日日曜日

The Walking Deceased (邦題:ウォーキングゾンビランド)

ウォーキングデッドを主にパロディ化したB級ゾンビ系コメディ映画。

 保安官のリックがこん睡から覚めたとき、そこはゾンビたちが闊歩する世界だった。本作と同じ流れをくみながら、駐車場で振り向いた少女が、ゾンビではなかったのにあっさりと撃ち殺し、子供を待っていた父親も射殺して、車を奪うというところから、ムチャクチャさが始まっていた。

 コメディなのでそれは許容して、言葉をゆっくりだが話せて、人間の思考ができるゾンビ青年、そういう映画はかつて一本だけ観たが、ゾンビ界でもありえなそうな設定なので、個人的にはあまり好きではない。風貌的には日本のタレント「パックン」に似ていなくもない好青年系な彼。

 
ニックと、その息子や、ダリルもどきも登場する。

 病院→ダンスバー→ショッピングモール→郊外の農場、へと舞台を移しながらいろいろな人たちと合流していく。声変わりもしていない息子クリス(映画内ではニックがいつも、カール、カールと呼び間違える)が、生活のためにゾンビーバーを経営していたり、感染した母親や客を、一撃のもとに射殺するというシュールな場面、パロディならではできるハチャメチャさがいいところかもしれない。

 メンバーたちの奇人変人ぶりもコメディとして味を出しているが、ごちゃごちゃしてチープな感じもかなりある。また、農場も完全にウォーキングデッドのパロディである。
 最後にゾンビの治療薬が出てハッピーエンドかと思いきや、隕石の衝突によって、結局地球滅亡カウントダウン、という、それ必要なの?というラストだった。ラジオ放送が、CMなしで最期まで音楽を流してリスナーを楽しませる、という放送は、粋な計らいではあったが。


2016年11月21日月曜日

ピクセル: おそいかかってくるゲームの映画

昔懐かしの、パックマン、ドンキーコング、ギャラガなどのアーケードゲームをやりこなし、子供時代に準チャンピオンになりつめたものの、風采の上がらない大人になり果てた主人公が、ゲームおたくたちと共に宇宙人たちを撃退する話。

パックマンを捕える任務につくが、特殊アイテムで捕食者が逆転し、追いかけられることに。

宇宙に地球をアピールするための道具として、ゲームアイテムを同封して宇宙に漂流させたところ、敵意ある挑戦だと誤解されたあげく、ゲームシステムをパクった宇宙人が、地球にやってきてゲームそのままの怪物を放ち、襲いかかってくる。

昔懐かしアーケードゲームが大好きな世代の喜びそうな、コアなファン向けな題材。ゲームが襲ってくるというところが面白いところで、怪物にかじられた物質がピクセルに変換されてブロック片になって飛び散る映像が、見た目に美しい。

全体的に、ややチープな感じがするが、ネタとして一度くらい見てみてもよい作品かもしれない。

2016年11月2日水曜日

GANTZ O(ガンツ・オー) を見てきました。

フルCGムービーということで、がらりと雰囲気が違うようだったが、もともとアニメが好きなわけではない。
 前作などからの流れや、2,3年ほど前に他作品をフルCGでYoutubeで見たところ(バイオハザード?の姉妹映画だっただろうか、それなりに面白かったし、良かった)、そう悪くない出来栄えだったのをうけ、なんとなくレディースデーの映画メニューに選んでみた。

ガンツ(2011年)は、1が公開されたときに子供を連れて見に行った記憶があり、そこそこ面白かったので印象に残っている。

私のお気に入りエイリアン1・田中星人。初代歌のお兄さん、田中星児さんがモデル?




千手観音。無数の手に剣を持って高速で振り回す、冷酷な殺人鬼である。

 で、今回の作品は、アニメチックな女の子が出てきたとき、あーあ、またアニメ系萌え好みな人が好きそうななキャラが出てきちゃったなあ、と少しがっかりしそうになった部分もあったが、それよりも怪物出現やストーリー展開がテンポよかったので、楽しめたと思う。画像も、人物以外は本物のようにリアルに描かれていて、きれいな画像であった。

巨大な、特大怪物。建造物といったほうがいいくらいのものを眺めるのは、ある意味ロマンを感じさせる。

 実はこの映画、終了近いのか、朝9時前か、夜7時過ぎの時間帯でしか上映していなかったので(よく行く映画館)、朝の方で見てきた。ロビーにレディースデーのお客さんらしく女性が数名いたが、みんな、ガンツなぞには流れず、正統派・渡辺謙主演の「怒り」の映画会場の方に行った。
 普通はそうだよなとは思いつつも、映画を見たり感想文を書くのが仕事ならそうするが、自発的に見るのはやっぱり、あっ、というような奇想天外や空想的な世界のほうが、映画を見た気になれるので、そっちに行ってしまう。

2016年10月9日日曜日

エボリューション(2001年アメリカ)

 Xファイルのモルダー捜査官を演じていたデビット・ドゥカブニー主演の映画で、ジュリアン・ムーアという大物女優もヒロイン的な役で登場しているが、どう見てもこれまたB級映画であった。

 ヒロインのほかに、頭の弱そうな消防士志望の青年や、デビッド演じる大学教授仲間である「面白黒人」的な同僚、太っているという以外になんの特徴もわからない二人組の青年らが、落ちた隕石をめぐってドタバタを演じながら、未知の宇宙生物と戦っていく話。



この映画の監督は、権力を持った老人に対して反感を抱いているのだろうか。
 えらそうにいばりちらされたため、消防士志望の青年がムカついていたオジサンが、池から這い出た宇宙生物に食べられてしまったり、軍の将軍がヒロインと対立して彼女の話を聴き入れず、怪物たちの進化を早めてしまうようなことを行ってしまったりする。(ナパーム弾の投入)

 アメリカ映画のコンセプトは、「とてつもない」「途方もない」という感じが時折見て取れるが、この映画もそういった半端のないところがあった。
たったの数日間で、数億年分の進化をとげてしまった、つまり、アメーバ様の生物だったものが、数日間で、ショッピングモールの中を飛来してお客さんをわしづかみにして飛び回る「飛竜」に進化してしまったなど。

 火による爆発的な増殖・進化を描いた部分もこの映画のハイライトである。
 
小物モンスターなどに関しては、やはり低予算だったのか、たまにCG・特撮が、チャチに見えるところもあった。
 なんにしろ、半分ギャグが混じった映画で、元・モルダー捜査官がなんと、ジープの助手席で文字通り「ケツをまくって」相手をののしるシーンがあった。モルダーさんが、将軍に向かって生尻を見せる・・・。ちょっと衝撃的だった。

2016年10月4日火曜日

午後ロードショー「ディノシャーク」

 夏に見ていたのだけれども、やはりレビューを書くことに。
サメというか恐竜というのか、顔は恐竜そのままで、体はワニのようなウロコに覆われた、サメ形の体。この幼生が、氷山の崩壊によって海に放流され、やがて化け物に成長して暴れる話。

 サメのB級映画で、特撮を使いながらの食いまくり暴れまくりシーンが満載だったが、一つ大変トラウマになるところがあった。

 スティーブ(男)とルイス(女)の二人のシーン。プライベートプール付き・クルーザー付きのリッチなデート?と思いきや、スティーブがルイスを抱きかかえ、嫌がる彼女を笑いながら湖中に放り投げる。なんという仕打ち、女性に対してあまりに乱暴すぎる・・と思ったが、これが彼らの命が最後となるアホ行為であった。怪物が、そこにいたのである。

 「何かが水の中にいる!」必死に訴えるルイスを、鼻先で笑ってとり合わないクズのスティーブ。ギャーと叫んで水中でもがくルイスが、変わり果てた姿に。なんと、完全に下半身が食いちぎられて大量の血液が。。そして、そのまま水をかいて水面に上昇するという一瞬の映像が恐ろしい。

お姉さん・・、下半身が、ないよ・・。というかもう、この姿だけでも幽霊そのものだった・・。

 もちろん、CGだので演出しているのだが、画像として恐ろしかった。下半身がなくなって大量出血の状態で、あのように腕の力だけで水上に泳いでいけるのだろうか考えてみた。わからない。

 しかし、水面に手を出し、スティーブの手を断末魔の手でガッ!とつかむと、スティーブもろとも水面の下に引きずりこまれていったのは、彼女なりのスティーブへの復讐だった、とも言えるのだろうか。

自分の特に印象に残ったところは、そんなところである。



2016年10月1日土曜日

「君の名は」、見てきました。

 アニメ好きではないので、自分だけだと見に行く気にはならなかったが、今回も都民の日、かつ映画デー、ということで子供のお供をした。

 観客層はやはり若者が多く、小中学生の子供から~大人まで見に来ているようだった。
話は、パラレルワールドの話なのだろうか、タイムスリップした魂が男女の高校生の間を取替えっこのように行き来し、隕石の墜落で女の子のほうが命を落とすということに気づくのだが。

 結果としては、三年前の大事故前の時空に戻った時点で、村民を説得することでうまく避難ができ、本来は数百名の死者をだしていたはずだったのが、誰も死なずに済んだということ。

 心が入れ替わり、置手紙のように本人のスマホに記録されていく互いの行動だが、一度も会うことなくすれ違い続けるというのが、切なくもどかしいというところだろう。



2016年9月23日金曜日

私は幽霊(I am a ghost)




 「私は幽霊」、ドラマの題名によく使われがちな、暗に自分の存在が空気だとか、心が幽霊のようにもぬけの殻だ、という比ゆ的な使い方ではなく、名実ともに本当に死後、幽霊となった主人公の日常~除霊までが描かれている。

 ベッドで伸びをして、朝が始まる。「ファ~ア。」フライパンで朝ごはんの目玉焼きを焼く。食卓で食事をするが、なぜか彼女は途中でナイフを高く振り上げる。画面暗転。洗面所で血のにじんだ包帯を手にまいて、水を流している。暗転。「エミリー?」声をかけられてモップを取り落とす。暗転。家族の写真をいとおしそうに眺めたり、本を読んだり。暗転。食材の買出しに出かけるため、コートを羽織り、外に出る。暗転。そしてまた朝。(順番不同、抜け有りかも)以下、同。

 洗面所での場面以外は、微笑ましい日常である。が、同じことを繰り返しリピート。さすがにこれは・・、と見ていておかしいと思うと同時に、主人公は幽霊らしいので、ぐるぐると同じことを繰り返すのだろうと思った。はたから見ていると気持ちが悪いが、本人はまったく気づいていないし、楽しそうな様子なので、放置していても良いのではと思ったのだが・・。

 この映画の中では(事実はどうなのか不明)、幽霊は、生前の記憶をもとに、成仏できない間はひたすら追体験を繰り返すのだといわれている。
 他の映画やマンガ、書物では、自殺をした人の霊はもちろん成仏できず、自殺の場面を、ひたすら繰り返し追体験しつづける無限地獄に陥るのだという説もあり、だとするととてもおそろしい。

 なぜ除霊されることになったかというと、同じ家に住んでいる人が、音がしたりナイフがとんだり、幽霊の姿は見えなくても心霊現象に悩まされていたため、霊能者がやとわれたのである。

 反対に、エミリーのほうからも、生きている人(というか自分以外)の姿は全く見えない。家の住人からは、エミリーの追体験によってフライパンが動いたり、ということだけが目に見えている。

 自分が死んでいる、というのがわかった時点で大体が成仏するらしいのだが、多重人格だったため、他人格の殺人鬼の男が隠れていて、除霊は難航する。

 因果を理解しだすと、自分の追体験を客観的に見られるようになるんだとかで、同じ動作をぐるぐると繰り返す自分を、その横で、ハア・・、とあきれて見つめるエミリー。殺人鬼男も結果として同じ状態となったため、二つの魂はなんとか、成仏したようだった。

2016年9月22日木曜日

レッドタートル ある島の物語 (The Red Turtle)

 ここ一番の話題作で、ぜひともおすすめの一品である、とか、そういった気負った感じはない。
ただ単に、「映画を見に行きたい」という理由で、レディースデーで見るのに都合のいい時間帯に席があいていたので、見に行った。

 映画「パーフェクトストーム」のような恐ろしい嵐の海の中で一人きりもみして(普通はここで死亡)、なんとか無人島に流れ着いた主人公。彼の脱出するためのいかだを何度も海中から破壊し、阻止を図る赤海ガメ。やがて、そのカメの腹からなんと、女の人が出てきて、主人公と恋して子供も作り、家庭を築く。

 その後、子供が成長し、三匹のカメをお供に島を出て行ってしまい、夫婦は残されたが、やがて夫が老衰死し、妻はまたもとの海ガメになって、海へと帰っていく。セリフもなく、登場人物についての説明もない。

 目の前で起こることだけが、観客が得られる情報の全てであり、ストーリーというほどのものがない。映画の中、澄んだ海、ひたすら広がる砂浜、襲い来る大津波、助け合う家族、などの情景が、しずかに流れていく。

 本でたとえると、大変、詩的な感じがする。
 登場人物はそれぞれ、喜怒哀楽はしているかもしれないが、圧倒的な情景の中で、それはあまり重要視されていない。

 きれいな海で泳ぎたいなあ、見ていると本当に海に漬かったような涼しい感じがするなという、澄んだイメージが残った。

実際の風景にアニメを重ねる手法をとったシーンもあるのかも?しれないが、リアルさ・美しさのある風景は楽しめる。

2016年9月20日火曜日

アフターデイズ・ボディ

 三日間で徐々にゾンビになっていく女性を描いた「スリーデイズ・ボディ」こちらの続編となる。
 そうとは知らず、ジャケットの写真で勘違いし、こちらが「スリーデイズ」のほうなのかと・・。第一作は見ていないので見たかったし、こちらがその作品だとばかり思って借りてしまった。
 再生途中で、あれ、なんか変、というのに気づいて、いったん止めて、エエーッ、と言おうかとも考えたのだが、まあこれはこれで一つの映画だし、見ればわかるでしょ、と思い直した。前作ともほぼ独立したストーリーなので、それで正解だった。

再生終了ストップしていたこのTV画面を見た母が、「気味の悪い絵ねえ」と。
どうしてもジャケット写真での明らかなイメージ偽装にひっかかったり、自分で間違えたり、まがい物をつかんでしまったりして本来の希望と違うものを見ることも数点あるが、それはそれで、ご縁だと思って見ることにしている。

 どうやらゾンビウイルスを撒き散らす主犯格の男がいたらしい。そいつが悪さをするのを、本作の主人公がつきとめて、最後の最後に(ゾンビとして)息の根を止める結末だった。

 ストーリーとしては比較的ありきたりな感じ?で、ウイルス感染後、肉体の変化がすすみ、網膜がにごったり皮膚が変質したり、どす黒い血を吐血したりと、その行程を見せて、ウエエ・・という気持ち悪さを感じさせるところが、一番のインパクトを与えている部分だろうか。

 欧米でありそうなカジュアルスタイルな「個人をしのぶ会」、映画内では「アリスの人生を祝う会」と言っていただろうか(アリス:前作の主人公の友人)。
 アリスの身内の家に親しい友人知人が集まり、立食風のこじんまりしたパーティ形式をとって、一人が楽器演奏をしてアリスに贈る歌を即興で歌ったりしていた。
 形式にこだわらないながらも、温もりというか、やさしさがあるというのか、これはこれでいい「しのぶ会」だなあ、とぼんやり見ていた。

 そこに主人公が激しい耳鳴りや大量の鼻血に見舞われ、鼻血がスープにポタ、ポタ、ポタ。本人があわてて退席してトイレに逃げ込んだ後、アリスのお姉さん?がこともあろうか、おいしそうにその鼻血スープを召し上がっていた。スープに血が浮いてるのに、見ていなかったのだろうか・・。(もちろんゾンビ化フラグ確定である)

 こちらも主人公のゾンビ化・射殺、と誰も幸せになれないエンディングだったが、悪の枢軸が主人公にかみ殺されて、決着がついたのだろうか?


 

2016年9月14日水曜日

ラストサマー (I Know What You Did Last Summer /1997) 午後ローより

副題をつけるなら、「カギ爪男は死なず」である。
 この映画は割りと有名で、いろいろな放送網で放映されているけれども、なんとなくチープな感じがして、きちんと視聴したことがなかったのだが、今回はまじめに見てみた。

 砂浜でたわむれる4人の男女の会話に出てくる、カギ爪男の話。「車を引っかく異様な音がする。男のほうが調べてくると言って車を降りたが、様子がおかしい。ひっかく音がポトンポトンという音に変わり、それは木にぶらさがった彼の死体からしたたる血だった。」だの、アメリカンスリラーらしいほら話であった。
 個人的にはそういう話より、車からは降りなかったが、家に帰り着くと血のついたカギ爪が車に突き刺さっていた、という最後にしていた話のほうが好きである。

 本編に戻る。これまたアメリカ映画らしい、イチャイチャダブルデート(ここもチープな演出)の帰り、浮わついた運転をして夜道で人をはねてしまった。何が何でも警察に届け出たくない。停車中を知人に見られたため、証拠隠滅のために遺体を捨てに行く。
 途中、息をふきかえしたのに隠し通すため湖?に沈めてとどめをさす、という悪質さ。どう見ても殺人なのに「いいか、事故だ。事故だったんだ。俺らは、誰も悪くない。」と言い放つ男は強引だった。
死んでるよ・・。どうしたらいいんだ。そうだ、何もなかったことにするんだ。

 車にはねられ重傷を負い、水中に沈められて、なお生きていたというありえなさ。そして死ななかったこの怪人がカギ爪男となってみんなを襲い、殺していく。

恐怖のカギ爪男。このいでたちもチープである。
ちょっとがっかりだったのが、カギ爪男が後半、マスクをとった普通の私服姿で登場し、ただの「気違いオヤジ」の外見になってしまったことである。死なないで神出鬼没なのだったら、モンスターなのだから、顔は割れないほうがいいと思うのだが・・。

 カギ爪男が手首を切断して海に転落したので、死亡が期待されたのだが、最後は襲撃必至の?シャワーシーンになった。生き残った女の子が一人、シャワールームに。「去年の夏のことを知っているぞ」という落書きを見たあと、まもなくそのガラスがバーンと割れて、何かが襲ってきた。

 これもなかなかチープな感じのエンディングとしてまとまっている。





2016年9月13日火曜日

大洪水(De Storm 2009年オランダ)

レンタルDVDのサイトだったか、ショップだったか忘れてしまったのだが、DVDチラシのようなものにひっかかってしまったのがきっかけで見ることになった。

たしか、これにだまされたのだと思う。ディザスターパニックものだと思ったのだが・・。

公開された国では、内容にきちんと沿ったものが出ているようで、上部掲載のものとは大違い。

 
偽装もはなはだしいのにあきれかえったが、内容は見てみて、まずまずだった。常に牧歌的なオランダの農村部を背景に、腰~首くらいまで浸水した中での人々のやりとりがメイン。人生ドラマそのものより、農村である雰囲気が崩れないまま、遠浅の水がずっと満ちている風景が美しく幻想的で、個人的にはそちらが見所だったと思う。

主人公を助け、後のパートナーとなる人物との出会い。

主人公は何度も無理を言って赤ん坊の捜索に出る。

村人の多くが、このホテルに避難し、上階部分に身を寄せた。
細く盛り上がった道の部分だけ、どうにか水没をまぬがれている。

ストーリーは、嵐で海水が内陸部まで押し寄せ(オランダは、土地が海水面より低い地形である)、一時期は家屋の二階部まで水がきて、家族たちを失ったりする中、主人公の女性が、自分の産んだ赤ん坊を見失って必死に探し回るあらすじ。

 その当時の1953年の世間では、未婚の母が異端扱いされ、差別され疎んじられていて、映画の中でも主人公は、父親にも子供の存在を認めてもらえず不遇な立場にあった。彼女の、何事にも意固地になるその頑固で自己中心的な行動にたびたびイラッとしながら見ていたが、結局生まれた子供は、子供を亡くした別の母親がこっそり連れ去り、そのまま18年たってしまう。そして、やや気の毒な結末を迎える。
 大堤防の落成イベントに出席し、ふとしたことで生き別れた子供と再会するのだが、子供はやはり、生みの母である自分にではなく、育ての親のもとに歩み戻っていく、というラスト。



2016年9月12日月曜日

2012 Doomsday (和名:2012)

画像はストーリー上のイメージで、このようなシーンは、なかった

ディザスターパニックものという分類なのだろうが、実際の大災害シーンは、ほぼ、ない。
雪や雹(ひょう)のふる部分が、CG画像で出てくるだけである。

通信通話をしている会社員の会話で、災害が世界的規模なのだということだけ演出されている。

このような地味で低予算な環境の中、不思議を感じさせるのは、使命を終えたと思われる人物が、ある瞬間に忽然と姿を消してしまうところ。

嵐にもまれる乱気流をなんとか乗り切る二人乗りの小型ジェット。その中で死んだ家族への思いを語り合う二人だが、無事着陸がすんで、飛行機を出してくれた友人が、自分の役割はここまでだ、と言ったあと、ふと目を離した瞬間、忽然と姿を消している。

目的地に向かう車内で語り合う母と娘。私は神様を信じるし、この世はすべて神様の贈り物。あなたも最高の贈り物だった、と心安らかな表情で語る母。エンジンの不調で娘がボンネットをあけて調べるうちに、こちらも忽然と消えてしまった。

神を信じる者が世界の終わりの前に神に天に引き上げられる、という以前に書いたニコラス・ケイジの「レフト・ビハインド」映画の話のような状況を思わせた。

最後は、同行者が途中で亡くなるなどつらい思いをしながら数人の男女(臨月の妊婦と女性二人と初老にさしかかりそうなおじさん二人)がマヤの遺跡にたどり着く。そしてそこ以外は崩壊の危機に陥り、世界が終わるのである・・。最後にその遺跡の中で誰かが言った。「この世はこれで終わるの。そしてまた、この場所でこれからが始まるの。」(そんなばかな)

2016年8月30日火曜日

地底探検 (Journey to the Center of the Earth 1959年 アメリカ作品)



 後々、何度かリメークされているようで、おそらく、「センターオブジアース」映画の元祖であると思われる。
 子供のころ、TVでやっていたのを座っておとなしく見ていた記憶がある。
子供なので、字幕を読みきれるはずもなく、吹き替えだったとしても個々の事情がわかるわけもなかった。
 大学教授や、その学生でもあり婚約者を残して旅に出てきた青年、研究を横取りしようとした学者の未亡人が急きょ、旅に参加することになった事情、その他もろもろ、今となってようやくわかったが、当時はさっぱりわからないまま、下記のシーンだけ覚えていた。

 
洞窟の外は海だったが、洞窟内の怪獣が砂浜の一行に気づいて、彼らを食べようと、いっせいに穴ぐらから下りて出てくる。高いところの穴からは、「バタリ」「ドサリ」と音を立てて降りてきて、不気味な感じがした。

最終地点で遭遇した巨大トカゲ怪獣。右側が探検隊。

 
アトランティスの遺品、アスベストの大皿に乗って、火山流の吹き上げる火柱に押し上げられて脱出。


晴れやかなフィナーレ。当時は無事、帰れたんだな、となんとなくわかった。

2016年8月28日日曜日

「神様の言うとおり」


コミックが原作の、2014年の作品。
15~18歳?だったか、その年齢層の若者がターゲットでゲーム会場に誘導され、無茶苦茶ルールを各オバケから押し付けられる。そして、そのとおりに出来なかった者は、全員処刑されてしまう。

「ラスト・ワールド」



大学?の授業で、定員10名のシェルターに入るには、20人いる人数からどういう人員選別を行うかを、クラスでシュミレーションしながら討論をしていく、という話。

「ゾンビ・ナイト」

 どうしてゾンビが、ホラーでの人気ジャンルになるのかを考えてみた。ゾンビは醜悪であり、おそろしい。
 しかしそれ以前に、生きていても死んでいても、人体の一部もしくは全部が、大きく損壊したり、腐敗して変色・変質したりするのを見るのは、やはりおそろしい。恐怖は、そこからもきているのではないだろうか。
 変質してしまった「人間だった」ものが、どす黒くなって、うめき声をあげながら襲い掛かってきたら、やっぱり怖いと思う。

 ゾンビものはたくさん見ているので見飽きてはいるのだが、たまに見ると、「逃げて、逃げてー」とか「ばか!そっちじゃない!」「何やってるんだ・・」「そうだ、それだ!」と、ハラハラしたりほっとしたりするところが、一種のストレス解消剤となっているのかなと思う。
 

 夜、墓地の土中から、次々に起き上がって徘徊を始めるゾンビたち。通行中の数人連れの中の女性、両足のもげた不審者にからまれ、ギャーと叫んでそれを振り切った後、逃げるのはいいのだが、仲間の呼びかけにも応じず、墓地の奥まで走る走る・・。いったいどこまで行ってしまうのだろう。①

 危ないから家の外に出るな!という家の主人の言葉に反発し、出ていくと言って聞かない女性。部屋に監禁されて、悪あがきして窓をあけ、外に出ようとしたら、案の定、ゾンビに侵入されて襲われた。②

 セーフルーム(アメリカの裕福な家庭にある?)で待っていろと言われたにかかわらず、男の子はじっとしておられずに階段を下り、②の女の人を出してあげようと、家族たちが言い合いしているスキに監禁部屋のカギを開け、ドアまでご丁寧にあけてしまう・・。③

 そしてゾンビたちに襲われ、助けに入った家族も襲われる。それでもなんとか倒し、重傷を負うはめになった男性1名をかばいながら全員でセーフルームへ。
 重傷の男性が死亡し、ゾンビ化する前に頭を打ちぬいておこうという父親を、泣いてとめる母親。死亡後、早く処理すればいいのに、なぜか自身も泣き崩れ、彼を銃で撃たない父親。そうこうするうちに男性が起き上がり、父親を襲撃・・。④

 ゾンビの大群相手に、一人で板のバリケードを押さえていたお父さん。これはまず、助からないと思われたのに、あとから、家族の元に無事にやってきた。これもちょっとありえない。⑤

 ゾンビ映画の歴史はすでに数十年たち、作品数も数しれない。そうした中で、銃でゾンビを倒す方法、それは「頭を撃ち抜く」通説である。
 しかし、最近?出たらしいこの映画でも、どうせあとから「頭を狙え」となるくせに、途中までずっとゾンビの体しか撃たずに襲われ続け、ドタバタ状態を繰り返す。⑥
 
 上記①~⑥でよくわかる、登場人物たちの愚鈍さと、ありえないシチュエーションが目に余った。まあ、墓場の背景感、街の雰囲気や住宅街の雰囲気、ガラス張りの温室のシーン、きれいにいい感じに描かれているのと、ゾンビのメイクの質は良いと思うので、いい部分もなきにしもあらずだった。

「オルカ」

 CS放送で、1977年製作の「オルカ」を放映していた。そういう映画があるのは知っていたが、きちんとそれを見たことはなかったので、いい機会だったので見てみた。


主人公の肌年齢は5、60代にも見える。(左側は、ヒロイン)
漁村の良い雰囲気がでていたのと、素朴なタッチの演出が良かった。が、あー、これ、撮影用プールで撮ったシーンだな、というのが水の透明度や明るさ、波の静かさでわかってしまうところもあった。
 演出面では、最後のほう、ヒロインであるレイチェルの問題行動が目に余った。オルカとの決闘を決めた主人公が、せっかく爆弾をぶつけてケリをつけようとしていたのに、「そんなひどいことはしたくない!」などといって、からみついて爆破を失敗させた。
 これまでにも、主人公はさんざん仲間を食い殺されてきたというのに、ヒロインがオルカをかばうのは、ちょっと理解ができない。その後もオルカに逆襲され、主人公を含めてラストで三名の死者をだすという結末となった。

 もちろん、オルカが爆破されていたらそこで映画は終わり、主人公が海中でオルカに向けて言い放った「お前はいったい何者なんだ・・」という名?セリフのシーンもなかったので、演出だというしかない。


 そして、主人公を演じたこのリチャード・ハリスさんは、後世、ハリーポッターに出演中、2002年に72歳で亡くなった、ダンブルドア校長その人だというのもわかった。

2016年8月27日土曜日

また見てしまった、午後ロー 「シャーク・ナイト」

悪者には最後には神の裁きが下りる。の鉄板。

映画館もいいのだが、時間とお金がかかる。せっかく東京に来てテレビ東京も見れるのだから、こちらも時間があれば、ご飯を食べたりコーヒーを入れながらなどの「ながら見」で、やや大雑把な扱いではあるが、見ていこうと思う。

男女の大学生グループが、電話の通じない水路に囲まれた湖畔の別荘へ遊びにいくも、次々とサメに襲われていく話。

ヒロインが地元に住んでいたときにそこのインストラクター・デニスと恋仲であったが、大学進学と同時に別れを切り出した。すると、デニスの殺意を感じるような出来事が起きたり、事故で彼の顔にケガを負わせたりしてしまう。

ヒロインもわだかまりの塊となっていたが、数年後にそこを訪れると、すっかりやさぐれたデニスと、地元保安官もつるんでかなり悪いことをしていた。サメを大量に放流して、人を食わせるところを撮影して、シャークウィークに売り込むという金儲けだった。

だまして船に乗せ、銃を突きつけてナイフで出血させてから湖に突き落とす、というサディスティックな方法。
 アメリカの映画に多い気がするが、映画「ミザリー」にも共通するような、圧倒的有利な立場にある、狂気にとりつかれた殺人鬼が、自分の手のひらの上で転がすように相手を翻弄する恐ろしさ。

監禁した被害者をベッドに拘束。気分によってやさしくしてくるかと思えば、鬼のようになってハンマーで足の骨を砕きにかかるのだ。「私の言うことがきけないのか!」と言ってそうである。


2016年8月18日木曜日

シン・ゴジラ

兄が好きで見てきて、いろいろ話を聞かせてきたので、本人的には気に入って面白かったのだと思うので、見てきた。

そもそもゴジラだのガメラだの、私が子供のころに、父と兄と三人で公開されるとその映画を見に行った記憶があり、なつかしいというアイテムではあるが、個人的な興味は、かなり薄い。

自衛隊がバリバリに活躍し、かっこいい感が半端ない。もしかしてだが、これは、国際問題をみこしての自衛隊イメージアップ作戦の一端を担っていたりするのだろうか

ゴジラそのものは放射能生物というありえない生き物なので、もう知らんわ勝手に倒しちゃってくださいと、感情移入が薄いけれども、自衛隊の行動はとても作戦的で機能的で、注目の対象となった。

かわいい高校生が、「決めた。私、自衛官になる!」というCMを最近目にした。どうしても国際間の問題と、きな臭さが強まる昨今なので、これ、何気に戦略考えてる??と思ってしまいがちになる。

それはさておき、長谷川博己のキレ者具合、竹野内豊の落ち着いた大人感、諸俳優陣の味ある個性の演出は、がんばったと思う。「いい女演出」がちょっと気になったが、石原さとみ自体は良いと思う。

それと、英会話のレベルも昨今、全体的に向上しているのは時代だなあと思った。環境や金銭、時間、やる気に恵まれた一部の人だけでなく、全員がネイティブスピーカーを先生にするところから初めて公用語として使わなければ、一般に浸透するのはまだまだ先のようではあるが・・。

アリス・イン・ワンダーランド

完全に子供に付き合っての観覧であった。渋谷のTOEIで見てきた。

人気の高い、マッドハッターを演じるジョニーデップは今回主人公のようなものだが、赤の女王演じるベテラン女優や、白の女王演じるアン・ハサウェイも「アリス」シリーズのファミリーである。


 ストーリー的には、マッドハッターの生い立ちや、赤の女王がどうして頭が大きく性格も悪くゆがんでしまったのかというエピソードと、姉妹の和解を描いている。

それぞれ個性的でいいが、意外に印象的でいい雰囲気を見せてくれたのが、時を支配する「タイム」役に扮したサシャ・バロン・コーエンさんであった。

 映像的に良かったところは、時空をタイムマシーンでアリスがとんでいくシーン、周囲がぐるりと海のように青く波うち、しぶきをあげているのが、航海している感があって良い、と思ったところ。

 それと、一時的に時間が停止して、全員が石像になってしまうところだった。チェシャ猫は神出鬼没で消えて逃げられるのかと思いきや、本体を現しながら石になってしまい、時を司る「タイム」も無敵ではなく同じく石になってしまい、世界の破滅を想像させるシュールな雰囲気がよかった。

2016年7月31日日曜日

テラフォーマーズ

イメージ 1


火星に持ち込んだゴキブリが、たったの500年で人間化するという無茶ぶり、
さらに全ゴキブリが、触覚が頭上に生えただけの、鍛えぬいたおっさんボディビルダーに変化してしまっているというありえなさ・・。
 原案はいいとして、もうちょっと、ゴキブリらしさを残した怪物にしたほうがよかったのでは。なんだか不気味さと、見かけのすっとんきょうさが混じっている。火星に向かった地球人である主人公たちは、いともあっけなく、のっけからバタ、バタ、と倒れていく。
 あっけなく首が切られて飛んだりつぶされたり。昆虫が相手なのでまことに容赦なく、シュールな殺され方をしている。もうひとつは、主人公たちが手術で変えられた虫に変化したときのメイクが・・。カラードーランを塗っただけの顔に、かぶりものをかぶった感、これがちょっとチャチかったかも??
 ただ、原作の漫画の絵にはそれなりに忠実かもしれない。しょっぱなから死んでしまった武井咲さんが、なぜか死後直後から幽体離脱??!して飛行体になり、幽体だからありえないのだが鱗粉を撒き散らして粉塵爆発を引き起こし敵をやっつけるという、細かいことを言うと、非常にありえない展開を迎える。この世のものではない美しさ、その光輝く飛行体が舞い飛ぶシーンは、ひとつの見所ではある。

ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン

見てから1か月以上たっていると思うが、レビューを書こうと思う。

自分の青春時代に強い印象を残した、プリンスの死後、その動画を見ていた関係で、そのお師匠さん的な、大変大きな存在だということがわかり、たまたま映画をやっていたので見ることにした。

 貧しい育ちから身を起こし、アメリカンドリームと言われるまでに音楽で大成功したその人生エピソード。
 彼は、すぐれた作曲・歌唱力に恵まれたばかりではなく、とてもしたたかで、どうやったら前に前に進んでいけるかを常に考えていたように思う。
 地元の主催者の了解を得ないとライブ活動ができない、ならば自分でプロモーションをしよう、と活動したり、当時はライブをCDにして販売しなかった音楽界の常識を打ち破り、ライブCDで大ヒットを出したこと、その他、ライブをする中での自己演出、数々の商才やプロデュース力にもかなり長けていたというのがわかる。

「考えろ、考えるんだ、ジェームス」そう言ってそうな雰囲気。知恵も執念も人一倍ありそうである。

 とりわけ、連れ添っていたマネージャーが志半ばで亡くなってから、彼は自分自身をマネージメントするようになった、と映画で語られていたが、なるほどと思った。この時期以降に、彼の冷徹さがものすごく現れ、関係者を独裁的に厳しく支配する、「専制君主」となったようである。

年代的には相当前からの人なので、リアルタイムで聴いていた曲は少ない。昔聴いたことあるな、と思う曲はここらへん。

Livin in America

https://www.youtube.com/watch?v=UzDDJm27vmc

2016年7月19日火曜日

テレ東午後ショー: トリプルヘッドジョーズ

汚染物質が原因で、奇形化・凶暴化した巨大ザメ。
 とにかく暴れまくって、海上研究所の破壊はする、人を食べまくり、洋上の船にも踊りかかって難破させて人を食う、本当に凶暴なサメである。CG技術は、まあまあ?ある船長が大ナタで頭部を切断するも、そこから新たに三つ生え始めてしまうというしぶとさ。

陸にも上がってきて、各々の頭で一人づつお食事

あばれまくるその姿、食い方のえぐさを堪能できるのだが、映画としてある部分に、重大なミスがあるのだ。これは、まずいだろうというほどの痛恨のミスなのではないだろうか・・。

スタンリーが船上でサメに手首から先をパックリと食われてしまい、切断された手首から、血が吹きだした。「おれはもう助からない」と、早々と自分に見切りをつけてしまい(止血したら助かるんでは・・)、ごみ汚染地区にサメをおびきよせると言って海中にダイブ。

ところがそこで、海上をクロールで泳ぐスタンリーさんの、ちぎれた腕、もどってるんですよねえ・・。止血のために切断部にまいたはずのタオルが、しっかり「生え変わった?!」こぶしに巻きついています。これ、もっと話題になってるような気がしたんですが・・あまりのくだらなさに反応も薄いのでしょうか。

サメと同じ体質なのか。

とにかくムチャクチャさを楽しむB級映画なのですが、そんなことより、スタンリーの手首の話をしたかったので、レビューを書いてみました。