2024年7月10日水曜日

「関心領域」を観てきました

 

塀の向こうについてはこの映画では何も描かれず、あくまでもこちら側の楽園に住む人たちの視線、態度がクローズアップされることにより、その視点について問題提起される作品であった。

https://www.google.com/search?q=%E9%96%A2%E5%BF%83%E9%A0%98%E5%9F%9F&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8

これは、第二次大戦中に、ナチスドイツがユダヤ人収容所を作り、収容していた時の物語である。最初に見たときから、この家を取り囲む異音はおかしかった。何も感じないという人々の異常性も大げさなくらいに描いたのかもしれないが、普通に見たら異常すぎる。

ピストル発射音、ゴーゴーという絶えず燃え盛る焼却炉(死体処分用)の音、収容された人たちの叫び声、など、どれをとっても不穏であると感じる音ばかり。しかも音量も大きく、夜の夜中、就寝中にも絶えず聞こえるそれらの音。それを聞きながら、今後の話や生活の話を隣に寝る夫に楽しそうに話し続ける妻。

人間処分場と壁一つだけで区切られた敷地は、さまざまな植物が植えられ、プールもあって温室も作られ、とてもすばらしいミニ楽園のような居住地となっていた。使用人たちに囲まれ、何不自由ない生活を送る婦人は、夫の昇進・転勤があっても、そこの生活を是が非にでも守り続けるんだ、というかたくなな姿勢を取り続けていった。

塀の向こうで何が起きているかを知っているのは、軍の幹部として昇進しつつある夫と、妻のみだとはとても思えないが、ここで不自由ない暮らしができるのだから、関係のないことには目を向けるな、という暗黙のルールのような雰囲気も支配していたかもしれない。

が、その家の末っ子である赤ちゃんは、大人の思惑に触れることはない。何かを常に感じ取っていたせいだろうか、一日中わあわあと泣き叫んでおり、夜間の夜泣きもひどい。あの地獄のような音が聞こえるのだから、致し方ないかもしれない。赤ちゃんが特段、注目を受ける描き方はされていないので、心理学で言うトリックスター、的な存在感はない。

一方、夫は夫で、軍でのユダヤ人抹殺の計画を進めながらも、どこか体の不協和音のようなものが起きていて、ゲエゲエと吐いたり、自分で抱えているストレスを黙殺しようとしているようにも見えた。

が、夫も妻もどちらも、自分たちはこれでいいんだ、と今の考え方を変えようとはならないまま、映画は終わっていく。そして自ら、自分は幸福だと言って、収容所のまさに隣に住み続けたがる妻、それも大変恐ろしい。

心の本当の声に耳を傾けず、「今だけ金だけ自分だけ」といった、目先の利益を追求する今の世の中にありがちな風潮が、風刺されている作品であると言えるかもしれない。

塀の中の暮らしは描かれていないが、象徴的なシーンがあった。

https://natalie.mu/eiga/news/575703 こちらの記事に描かれた、レジスタンスとして活動して、ユダヤ人捕虜に食料を分け与えていた少女をモデルとし、この映画ではサーモグラフィ描写で、夜になるとこっそりとリンゴを土に植える少女の映像として描かれていたようである。映画鑑賞中は、この家の女の子が、夜になると抜け出すのか?と訳が分からなくなっていたが、帰り着く家が違うようなので、あれれ、、となっていた。

あと、ラストシーンで、死体焼却された人たちが履いていた、真っ黒に汚れた膨大な数の靴が、山積みにされていたシーン。これを見ると、心にズンと重くのしかかるものを感じた。(たしか、殺害されたユダヤ人たちは数百万人にものぼったという記事をどこかで読んだ記憶があった)