2024年6月30日日曜日

日本と世界・ホラー映画への一般的な感想



純粋な和製ホラーの場合、幽霊の気持ち悪さ以外にも、呪いやしきたり、念、など日本特有の背景への不気味さ、など、気味悪さも奥深かったりする。そういった発信側の作り方もそうだが、それを受け取る観客の感受性も含めて、物語の世界が作り上げられる感じがあるなあと思う。

 一般的には、Jホラーには「念」「呪い」というものが多く描かれ、すべての映画が大団円を迎えるものばかりではない。対応しようにも処理できないものは、処理できないものとして、そのままラストとなっても、映画の中で継続していくのである。それらがみんなの心に残って、スクリーンの外にも怖さが伝わり、残ってしまうのである。

一方、欧米人からしても気味悪いものは気味悪いだろうが、ハリウッド映画の場合はいつのまにかそれは、「モンスター」「悪魔・悪霊」といった、「悪」であったり「魂」であったりと、呪いや災いを解くべく、解放したり退治するべき対象として、つまり、放置せず、きちっと処理するべき対象として描かれている感がある。古い映画ほどその傾向が強いかもしれない。退治してしまうから、後を引く怖さはない。ゴーストバスターズのようなものである。

そもそも神様や霊などは、現代ではそこまで存在感はないが、古来の日本的な考え方だと特別な存在ではなくて、普段から周辺にあるものだという認識がある感じがすることから、認識や感受性の背景が違ってくるのかもしれない。 そして古来からのそれらが深かったり広かったりするほど、残り続ける「何かしら」も根強い。

添付画像を見て思い出したが、映画「シャイニング」が名画だと思える一つに、設定上、墓地をつぶして建てられた古いホテルが舞台であり、そこには土地を追われたインディアンたちの恨みがベースに敷かれているので幽霊は普通に出やすいこと、ホテル自身が不思議な力「シャイニング」を持っている(ここは欧米的。日本式だとやはり、「呪い」だと思うが、呪いばかりでも起きる現象が限られそうで面白味がない)、という比較的きちんと敷かれた背景があるのも、映画の奥行を深めていると思う。