2024年12月11日水曜日

日本以外全部沈没(2006年 日本)

 

筒井康隆原作、小松左京の「日本沈没」のパロディを映画化したもの。

 小松左京のSF小説「日本沈没」は、古くは1970年代~映画やドラマにもなり、近年もリメイク版が出ているが、こちらの映像化はこの映画一本のみとなっている。

https://www.google.com/search?q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BB%A5%E5%A4%96%E5%85%A8%E9%83%A8%E6%B2%88%E6%B2%A1&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8

日本以外の世界の国々が、地殻変動によってすべて沈没し、日本の人口の数倍の外国人たちが、狭い日本に押し寄せてきた。食料自給率の低い日本なので、多くの食料価格は高騰したが、一部の食品は制度変革で低価格化もすすんだ。各国貨幣は暴落し、多くの外国人が持ち金の無価値化でホームレスとなり、治安も悪化。某国の者たちが謀反を起こして日本の首相を人質にとり、クーデターのようなものを起こすが、駆け付けた田所博士の予言のとおり、日本も沈没していった。田所博士が冒頭で、今後のマントルの動きについての説明をするときになぜか要領を得ない、めちゃくちゃな感じでお茶を濁し、ケムを巻くように退散したのが気になっていたが、これは最後の伏線であった。

話の顛末は別として、どこか既視感を感じさせる内容であり、少し不気味な感じもしないでもなかった。

それはさておき、パロディだけあり、ところどころにそれを感じさせるものがあった。「日本沈没」の1970年代作で小野寺を演じた村野武則や藤岡弘がそれぞれ、日本の首相や防衛庁幹部などを演じていた。他にも、よく見ると海外著名人のそっくりさん的な配役の人が、ところどころで面白おかしく登場している。

日本も最後に沈没するとわかったとたん、お互いに覇権を争いドタバタと取っ組み合いしていた者たちの間に、つかの間の平和が訪れた。どうしてもっと早くこれを迎えることができなかったのか。いつまでも醜い人間たちを、神様が見捨てて滅亡させることにした、そう思ってしまっても仕方がないなあという、そんな後味を残しながら終わった。



2024年12月10日火曜日

ディープブルーライジング

 

設定がありえないことばかり。南極で暴れる変異型オンデンザメ。

氷の海を元気に泳ぎ回り、かつ、背びれだけで南極研究所の周辺の氷をカットし(ありえない)、漂流させて研究所を丸ごと襲う、というサメたちの驚きの手法。

むちゃくちゃトンデモ映画でばかばかしいとは思いつつも、娯楽の内だと思えば展開はまあまあな感じだろうか。

氷上の犬や人を、海中から氷を破壊しつつ襲って食う。また、研究所を周辺の氷から切り離したうえで海底まで沈没させて、まわりをぐるぐる泳いで捕食の機会をうかがうサメたち。そして様々な脱出方法を試みて建物外に出る研究員たちを襲ってパクリ、パクリ。サメ映画としてのサービス充実感はあった。

最後に救助してくれた大型船に乗り換え、生き残った男女が3名助かった。が、問題を起こしている変異ザメは放置のまま、助かって良かったね的なエンディングを迎えて映画が終了した。

おそらくこのまま、サメの危険性が周知されず、周辺の町などはやられっぱなしの状態となり、かなりの被害が出ることが予想される。そんな結末であった。


2024年11月22日金曜日

「ガメラ」のチラシもしくはパンフの掲載シーン写真の記憶 (動画検索:giron vs gyaos)



 かなり古いので、リバイバルでなければ、おそらく映画は見に行っていないと思われる。(父から?パンフレットを見せてもらっただけの可能性もある)

 全体はあまり覚えていないが、ギャオス(コウモリ型宇宙怪獣)の頭部切断シーンの写真があり、その当時はかなり衝撃的に感じた。おそらくその時に目にしたのは、明らかではないが、上の方の写真だったかもしれない。

 こちらも記憶的にかなり遠いのだが、怪獣名はギャオス、このシーンがガメラ映画のワンシーンであることを突き止め、これに出てきそうな切断技が使える怪獣=ギロチン型怪獣?にやられたと思われたので、そこから動画検索したところ、以下の動画にたどり着いた。

 怪獣が相手を打ち負かして、「フォッ、フォッ、フォッ。」と笑い声を出すところが、なにやら人間的で変である。古い映画なので、撮影技術や怪物のぬいぐるみは現代クオリティよりも低品質だが、伝わってくるものはそれなりに印象的だった。

日本ホラー映画大賞 上映会に行ってきました。

 

これを見るチャンスは、年一回だけだろうか。おととしも行った(第一回)のだが、あれから上映作品のDVDも出ていないし、どこかで再度見たいのだが、見る機会が本当にない。

 第一回上映会は冒頭部分で少し遅刻してしまい、見損ねたところもあったが、不気味な作品が数々見れて、楽しかった。今年は遅れることなく初めから見れたが、それなりに見ごたえのある作品があり、やはり今年も面白かった。

 「蟲毒」は、ラストで生き残った女性がやはり、呪いから逃げきれずに首が落ちてしまうシーン、「夏の午後、おるすばん・・」は、玄関で呼び鈴を押す友人や母が果たして本物か化け物なのかが疑心暗鬼になるところ、おしゃべりしている人形は、いったい何者なのかというところ、「fataL(ファタール)」は、怖さと言うより画像の美しい演出などが良かったと思った。

 そして会場を出て化粧室に立ち寄ったあとに、人の少なくなった廊下を通っていたら、「清水崇監督」ご本人らしき人(「清水さん」と呼ぶ声が聞こえてはっと気が付いた)が関係者さんたちと輪になって歓談していたところをたまたま見た。とても小柄な方で、輪の中でも特にそんな感じだったが、その存在感はとても大きい。古くは「呪怨」でその名をはせており、日本のホラー映画界の重鎮中の重鎮である。


2024年11月21日木曜日

人形アニメの良さ

 映画などでの昔の人形・ロボ特撮関係の動作部分は、たどたどしいが故に却って、不気味さが増してよい味わいが出ている。

ターミネーター(1984年)のクライマックス部分、骨格だけになったターミネーターが工場の中で襲い掛かってくるシーンや、シンドバッド黄金の航海(1973年)などにみられる、アニメーションでの動きに、目を引き付ける面白さがある。

ターミネーター骨格スタイル。工場のプレスによって破壊。

シンドバット。悪者の使う妖力によって動き出した、(青銅製?)邪神カーリーとの戦闘部分。階段上で戦うところ、仲間が横から体当たりして突き落とした。https://www.youtube.com/watch?v=ROssbvtE41U




ジェイソンとアルゴノーツ

 

ギリシャ神話由来のTALOS(タロス) は巨大な青銅の自動人形で、神の鍛冶屋ヘパイストス によって造られた生きた彫像ということ。 https://www.theoi.com/Gigante/GiganteTalos.html

この映画は全編を見たわけではなく、動画サイトでハイライト部分のみ紹介されていたのを見たのだが、以前読んだことのある「モンスター解説?」のようなものが記憶に残っていたのだが、それが初めて今回動画サイトでその該当部分を見たことでようやく一致したので、なるほどという合点がいったのである。

以前目にした解説はたしか、「青銅でできたそのモンスターには唯一弱点があり、それはアキレス腱部分だった。ヘラクレス?がそのかかと部分をねらい、そこから全身の血液が流れ出て怪物は死んでしまったのだ」的な記述だったと思うが、その説明部分が印象的だったので覚えていたような気がする。動画を見たところ、タロスのかかとに大きな栓がついていて、ヘラクレスがそこを外した、ということだったようだ。動画のサムネイルを見てなんとなくピンと来たことから、動画に結び付いた。https://www.youtube.com/watch?v=8goVW2TNlE0

かなり古い映画のようである。機会があったときに、流し見してみようと思う。

2024年11月12日火曜日

スイート・マイホーム

 

WOWWOW放送で放映された。ホラージャンルだったようだが、幽霊や妖怪の類ではなく、人の心理の闇が描かれており、そこから怖さが伝わってくる。

https://www.google.com/search?q=%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8


 住宅展示場で、好感度ナンバーワン的な女性営業担当者であり一級建築士の本田。彼女にすべてを任せるつもりが、同じ会社からそれを邪魔するような感じのねちっこい担当者にからまれる。会社内での連携がおかしなことになっており、最初からあやしい。

 結局本田が気の狂ったサイコパス的な存在で、新築した人の家の屋根裏に自室を作って居座っており、会社のライバルや、訪れた主人公の兄や不倫相手を殺害し、「邪魔者を消す」と称し、理想の家族像を作らせようと裏で画策していたというオチであった。が、最後のほうまで誰の仕業かわからないまま物語が進行するので、不気味さが増していくという造りであった。

 精神異常者の仕業として、大変迷惑で嫌な気分になる話であるが、救われないのが、奥さんまで狂気が移ってしまって、悪いものを見ないために、という理由で自らの赤ちゃんの両眼をつぶす、というラストであった。

 正常な精神が働かなくなった結果、予測不可能で、ためらうことなく奇怪な行動に出る恐ろしさ。この映画によってそれが、怖い形で描かれていた。もしかするとこれは、自身の家庭や家族、家を守ろうとするあまり、ある意味狂気を発現する人の存在を見たり感じたりして、それを意識した作品だったのだろうか。