2024年11月12日火曜日

スイート・マイホーム

 

WOWWOW放送で放映された。ホラージャンルだったようだが、幽霊や妖怪の類ではなく、人の心理の闇が描かれており、そこから怖さが伝わってくる。

https://www.google.com/search?q=%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8


 住宅展示場で、好感度ナンバーワン的な女性営業担当者であり一級建築士の本田。彼女にすべてを任せるつもりが、同じ会社からそれを邪魔するような感じのねちっこい担当者にからまれる。会社内での連携がおかしなことになっており、最初からあやしい。

 結局本田が気の狂ったサイコパス的な存在で、新築した人の家の屋根裏に自室を作って居座っており、会社のライバルや、訪れた主人公の兄や不倫相手を殺害し、「邪魔者を消す」と称し、理想の家族像を作らせようと裏で画策していたというオチであった。が、最後のほうまで誰の仕業かわからないまま物語が進行するので、不気味さが増していくという造りであった。

 精神異常者の仕業として、大変迷惑で嫌な気分になる話であるが、救われないのが、奥さんまで狂気が移ってしまって、悪いものを見ないために、という理由で自らの赤ちゃんの両眼をつぶす、というラストであった。

 正常な精神が働かなくなった結果、予測不可能で、ためらうことなく奇怪な行動に出る恐ろしさ。この映画によってそれが、怖い形で描かれていた。もしかするとこれは、自身の家庭や家族、家を守ろうとするあまり、ある意味狂気を発現する人の存在を見たり感じたりして、それを意識した作品だったのだろうか。

2024年11月9日土曜日

スティーヴン・ヘンダーソンさん

 たまたま、「ボーはおそれている」「シビルウォー・・」の映画記事で連続して、この人が出てきた映画が続いたので書くことにした。

アメリカの好々爺。サンタクロースの扮装をしたら、まさにぴったりな感じである。

人種だが実は、白人ではなく黒人、ということである。おそらくアルビノという症状のため、肌が白くなっているものと思われる。

 黒人のアルビノで知っているアーティストに、サリフ・ケイタさんというミュージシャンがいるが、自国を離れてフランス在住のようである。彼らは生まれ故郷(アフリカ)では大変な目に合う危険ととなり合わせだという。アルビノ狩りにあったり差別されたり、命の危険にもさらされるということだ。黒人で白い肌というだけで貴重なモノ扱いされ、人権は認められず、腕を切り落とされたり、食べられたり、殺されたり、呪術などに使う道具とされたりするそうだ。彼は、たまたま才覚があって海外に脱出可能であっただけで、地元に残るアルビノの人は、悲惨で短い人生を送る羽目にあっているのかもしれない。

 スティーブンさんは、アメリカで生まれ育ったということなので、そのような迫害は一切受けていないだろうと思われるので、幸いだと思われる。


シビル・ウォー アメリカ最後の日 を観てきました

 

権威主義的な大統領に反発し、連邦政府から19の州が離脱したアメリカ。テキサスとカリフォルニアは西部同盟を結び、政府軍との間で内戦が勃発、各地で激しい武力衝突が繰り広げられていく。

 おとなしい日本人の世界からは到底、想像のつかない世界ではあるのだが、個人の銃所持の習慣もあるアメリカ。自由のために、良いアメリカを目指すために、人々は立ち上がった。

 近頃テキサス州の独立が話題となり、記事を抜き取ってみると、移民が急増させられていてそこから問題がおきているらしい。歴史的背景もあり、そういった話がおきているようだった。(以下、斜め読みした記事をはりつける。)https://news.yahoo.co.jp/articles/3b6c51eb13175eccd0449009971df479738b50d4昨今の動向も踏まえ、アメリカで内戦が起きるとどのようになるのか?という気持ちもあったことから、こちらの映画を鑑賞した。

 主人公リーは女性戦場カメラマンで、ある現場の取材時に、若いカメラマン志望の女性と知り合う。その後彼女が訪ねてきたホテルで再開するのだが、同僚のふるまいにより、ホワイトハウスへの取材に同行することになった。

 銃所持の男たちが警戒するガソリンスタンド、家を追い出された人たちのための?キャンプ、敵味方に分かれて銃撃戦が行われている危険な場所、内戦とは距離を置いて無関係に自身たちの暮らしを淡々と続けている地域の人たち、さまざまなシーンが見られた。本人たちも銃の男に脅され命の危険にさらされて必死に逃げ、同行中の一人(リーの恩師)が撃たれて死亡。たどり着いたホワイトハウス周辺での危険な銃撃戦、一歩間違えると即、死につながる状況の中、建物内を部隊に同行して大統領のところに到達した。

 その直前、若いカメラマン志望の女性がいちいち前に出すぎて兵士たちに注意をされるのだが、それでもまた前に出てしまう。これは危ない、という場面でも出すぎた結果、リーがそれをかばって撃たれて死んでしまう。カメラマンは部隊の腰巾着のようなものなので、前に出なければ最初に殺される立場でもないのだが、余計なことをしたせいでそういうことになってしまう。

 命だけは・・、と命乞いの言葉を発した直後、大統領も射殺された。間違っているものは間違っている、そして政府がムチャクチャをするなら、人々は立ち上がり、大統領ですら許すことはない、という人々のたくましさと自由を求める気概が、この映画のテーマの一つとなっているだろうか。これはこの映画を見る人たちにも届くと良い。

2024年10月4日金曜日

ボーはおそれている

ジョーカー役も演じているホアキン・フェニックスの主演。

 「母親を殺したいという気持ちに罪悪感は感じるか?」精神科医とのやりとり。通院から戻った主人公の住む街は、とんでもなく治安の悪い街だった。住民たちがゾンビのように人を追いかけて襲い掛かったり、建物にゾロゾロ侵入していったりしていた。

人の部屋に入り込んで、勝手に乱痴気騒ぎや料理まで作り出す住民たちの頭のおかしさだが、入浴中にまで浴室に入り込まれる。その後素っ裸でアパートを飛び出した主人公は、車にはねられてしまう。保護された家もおかしな家で、いろんな理由で実家の母の葬式に行きたい主人公の付き添いを延期してくる。展開がすべて主人公の思惑と違う方に向かい、変な人たちの言動に会い、不安定な気持ちにさせられる。

その家の娘もとんでもない悪ガキだと思いきや、戦争で死んだ息子の部屋を大事にする母に腹を立て自殺してしまい、それがなぜか主人公のせいにされてしまう。母親の命令により、狂暴な同居人によって追われる身となる。

森に逃げ込み迷い、たまたま出会った女性に、家に連れて行ってもらう。そこでは演劇に自らも参加する観劇広場があり、役を演じているうちに主人公は過去の記憶やこれからのこと、いろいろな世界に身を投じていき、生き別れた息子や父親にも出会う。

が、追手の男の攻撃がいきなりきて、住民たちが次々と殺されてしまい、主人公も必死でにげまどった結果、車道に出て実家に戻ることができた。大きな会社の経営をする社長だった母。家もかなりの豪邸であったが、葬式は終わっていた。

母親の言うことはきちんと聞く、おとなしくまじめに育った男の子だった。色々なことに対応するボーの態度はいたってまっとうで、おかしなところはなく、常識的である。周りの人間がすべておかしいので、ボーの孤立感がひどい。だが少しメンタルが弱く、ちょっとしたことで怖くなり(たしかにストーリーは怖い)泣いてしまうシーンがちりばめられてあり、ボーが本当にかわいそうな感じがするところが、この人の演技力の賜物なのだろうと思う。

ボーが母親にだまされ、心臓が止まって死んでしまう病のため、異性のだれとも交わってはいけないということを信じ込まされていたが、森で父親に会ったことで嘘だとわかってしまい、古い知人と再会して童貞をささげる(知人女性は腹上死)。母親の死もあとから嘘だとわかった。屋根裏の巨大な男根のオバケを見せられたり、母がいかに自分の親から愛情を受けられず、ボーのことも無理して育てたのだと延々と語られ、お前のことなんか愛していない、という意思表示をされてボーはついかっとなって、母の首をしめる。

ここに毒親の影響を受け続けさせられた子供がいて、その子供が大人になり、様々な経験を通じて真実に気づいて母親に復讐する、というストーリーがある。

ボーは水辺からボートに乗り、沖へ漕いで出るが、洞窟に行きつく。ボートが動けなくなったその場所は法廷で、母親を殺した罪を延々と責められるのだった。そしてボートは爆破・転覆してしまう。

最後は母親の呪縛からはとうとう逃れられなかった、という締めくくりのようだ。主人公の内面世界だろうか?とも思うが、いや、本当の大人は、母親の呪縛からは抜け出さないといけないだろう。が、現実を味わった監督が、確信をもって描いた作品だということだろうか。副題をつけるなら、「毒親であったとしても、息子は母親からは逃れられない」といったところだろうか。

殆どが、狂人たちの闊歩するおかしな世界であって、癒しを感じられるのは唯一、森の劇場で人々が演劇を演じたり、主人公が人生をたどっていくシーン、息子と再会できたシーン、などであったかと思う。(それすらも、追跡してきた狂人男にぶちこわされてしまうから、ひどい。)

何が言いたいかよくわからない映画のあらすじだと思ったが、こうしてあらすじを順を追って書いてみると、監督が何を描きたかったのかが、合っているかは別として、個人的に推測することができる。そこがレビューを書いていて、自分で面白いと思える部分の一つでもあると思う。

https://www.google.com/search?q=%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%81%AF%E3%81%8A%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8



2024年9月17日火曜日

エイリアン:ロムルス を観てきました

 

これは、エイリアンシリーズの第7作目?になるだろうか。ストーリーやシーン、ヒロインの感じとしては、なんとなく第一作目に雰囲気が似ている。

https://www.google.com/search?q=%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%82%B9&rlz=1C1CHBH_jaJP754JP765&sourceid=chrome&ie=UTF-8

主人公レインが、移住希望した役所?での労働時間数を改ざん?されていたと思われるシーン。もしこれが見間違いでなければ、この居住地ではもしかすると一生、脱出することは不可能と思わせられた。

そんな中、不法脱出を試みたのは大正解なのだったが、コールドスリープの燃料をとりに知らずに向かった先は、エイリアンたちがうごめく宇宙ステーション「ロムルス」であった。

そこには例の、人の顔に憑りつくフェイスハガーがおり、レインたちを追いかけまくる。そしてステーションを管理していたのは、エイリアン第一作目でリプリーに焼却された、悪名高いユタニ社のアンドロイド・アッシュそっくりなルークであった。

アッシュを演じていた俳優さんは死去しており、アニマトロニクスという技術で再現したCGIということであったが、アッシュそっくり(服装まで)な姿を見た瞬間、いやな予感がした。案の定、妊娠中の女性船員におかしなクスリをすすめて接種させ、この女性はエイリアンと人間のハーフを出産し、それに殺されてしまう。

第一作目のリプリーと今作のレインが、ヒロイン的な働きをするところ、メカの画面の動きが一作目そっくりなところ、アッシュ(ルーク)の悪だくみ、ラストシーンでエイリアン(ハーフ)を船外追放するところ(リプリーの放ったワイヤーランチャーのひもと、レインの命綱のかぶり)など、ところどころ第一作と共通する部分があると思う。

ウェイランド・ユタニ社は、人間の安全よりも、自社の利益(生物兵器の開発による利益)を優先とする悪徳会社である。また、レインが移民局?にきちんとした労働時間を元に転出を申請に行ったはずなのに改ざんされ、最低5年間は移動できないとされてしまったことなど、自分の身を預けるための会社であったり社会インフラであったりするはずのものが、人々をだましたり、いいように管理・労働搾取する組織で、まったく信用のできない存在であったということ。それらを安心・信用してきた地盤が覆されるということが、映画によってぞっとする感じで描かれている。


2024年9月10日火曜日

サユリ を観てきました

 


https://www.google.com/search?q=%E3%82%B5%E3%83%A6%E3%83%AA&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8#vhid=py81rseNgILUjM:&vssid=l

念願の戸建マイホームを手に入れた大家族だったが、その家で亡くなったサユリの呪いのために、一人二人と死んでいく。

父、祖父、弟、母、姉たちが、不気味なサユリの霊によって一人づつ殺されて行ってしまい、7人もいた家族が、主人公ののりおと、ボケてしまっている祖母の二人だけになり、これはもう詰んだという状態になった。

家族がどんどん死んでいくのに普通に学校に登校し、のりおが大して落ち込んだそぶりも見せないところは、演出としてちょっと変だった。 さらに驚いたのは、家族二人きりになってから、祖母が突如、正気を取り戻し、太極拳の師範として、のりおを指導し始めたこと。突如、リーダーシップを握ってのりおと二人で怨霊に対峙するんだと言い放ち、のりおの修業を始めるというストーリー展開に、どうにもへんてこな感じはした。

何事も、強靭な心と体を鍛えることこそ、困難に立ち向かえるのだというのは同感であるが、ボケていたおばあちゃんが豹変したのはさすがにヘンだとしか言えなかったが。

おばあちゃんを演じたのは、名バイプレイヤーの根岸 季衣さんという方、なかなか役どころに合っていた。サバサバッとした下町おばちゃん的な雰囲気がありながらも、クールな容貌が印象的である。

若いころの根岸さん

サユリを追い込んで、最後には命まで奪った家族があぶり出され、問題の家に連れてこられた。サユリに性暴力をふるった最悪な虐待の父親、それを見て見ぬふりしたネグレクトの母親、ブチぎれて暴れたサユリを殺そうとしてきた妹、どれを見ても最悪な感じである。サユリが家族に多大なる恨みを抱いて死んだとしても、赤の他人の家族を襲うのは明らかに間違いなのだが・・。引きこもりになる前のサユリはほっそりとしてとてもかわいらしく、そのかわいらしい外見が、クズの父親の虐待を助長させてしまったのは残念だとしか言いようがない。

まあ、ストーリーの目指す道筋のようなものをつけるとしたら、理不尽な暴力、理不尽なことを押し付ける人には、黙って耐えるのではなく、それが間違っているのだから、怒れ。立ち上がれ。本当の自分の権利を主張するために戦え。身も心も強く持って自身の生きる権利を勝ち取るのだ。そういうことなのかな、と思う。


2024年7月27日土曜日

あのコはだぁれ? を観てきました

現代Jホラーを作り続ける第一人者、清水崇さんhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%B4%87 監督作品。

 https://www.google.com/search?q=%E3%81%82%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%AF%E3%81%A0%E3%81%82%E3%82%8C+%E6%98%A0%E7%94%BB&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&oq=%E3%81%82%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%AF&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUqDQgCEAAYgwEYsQMYgAQyBggAEEUYOTINCAEQABiDARixAxiABDINCAIQABiDARixAxiABDINCAMQABiDARixAxiABDINCAQQABiDARixAxiABDIQCAUQABiDARixAxiABBiKBTINCAYQABiDARixAxiABDIHCAcQABiABDINCAgQABiDARixAxiABDIHCAkQABiPAtIBCDM1MzRqMGo3qAIAsAIA&sourceid=chrome&ie=UTF-8

恋人が、トラックに思い切り跳ね飛ばされるというショッキングな出だしから、彼の代理教師として、主人公が赴任した高校。そこには、過去の忌まわしい事件があり、「さな」という死んだ女生徒がいまだ怨念によってそこにとどまり、その場の人たちに呪いをかけていく。「さな」という名前、聞いたことのある不気味な鼻歌、ここら辺からこれは、「ミンナノウタ」の続編であることに気づいた。

すでに前作で、トラウマ的な存在となった、さなの家。今回も登場して十分に楽しませてくれた。おなじみの、何度も繰り返すセリフ。住人の狂気、オバケ化も怖いが、逃げ出た後に家を振り返ると、先ほどは普通の家だったのに、荒れ果てた廃墟となっている展開。映画「IT」での、登場人物が成人して訪れた生家での出来事同様、これらの演出によって不気味な怖さを演出している。

ちょっと驚いたのが、さなの実家の父母は、実際には存命で、老人ホーム的なところで生活していたというところ。死んだのは、さなと、お腹の子供のみ。(母は頭がおかしくなり、赤子の人形をずっと抱いていた)

清水監督作品の「呪怨」で登場する「としお」も今回出てくるが、お母さんの胎内で、さなの怨念によって殺されたのではなかったのだろうか??が、それが生きていて?実は、事故に遭った恋人?ちょっと流れがわからないところがあった。

他の疑問点は、自分の声や音が呪いの録音テープに録音されてしまうと、死ぬ運命になるという点。男子生徒も録音されて、突然姿を消してしまったが、さなの怨念をお母さんが抑え込むと同時に、無事に戻ってくることができた。が、主人公が女生徒を救うために自己犠牲となり、自分のことを録音した結果、ラストシーンで主人公の死が確認された。録音したのに一人は助かり、一人は死んでしまうという矛盾点。

作品には矛盾点があり、明らかにヘンだという内容もある。が、怖いもの見たさを満足させてくれるものであり、夏の風物詩・ホラー映画を楽しむために映画館に行くことも含めて楽しんでいるので、了解しながら観ると良いと思う。そしてもちろん、一観客として、この矛盾点に気づいても記述するのみで、これをどうしようという責任も義務も一切ない。