2016年11月27日日曜日

The Walking Deceased (邦題:ウォーキングゾンビランド)

ウォーキングデッドを主にパロディ化したB級ゾンビ系コメディ映画。

 保安官のリックがこん睡から覚めたとき、そこはゾンビたちが闊歩する世界だった。本作と同じ流れをくみながら、駐車場で振り向いた少女が、ゾンビではなかったのにあっさりと撃ち殺し、子供を待っていた父親も射殺して、車を奪うというところから、ムチャクチャさが始まっていた。

 コメディなのでそれは許容して、言葉をゆっくりだが話せて、人間の思考ができるゾンビ青年、そういう映画はかつて一本だけ観たが、ゾンビ界でもありえなそうな設定なので、個人的にはあまり好きではない。風貌的には日本のタレント「パックン」に似ていなくもない好青年系な彼。

 
ニックと、その息子や、ダリルもどきも登場する。

 病院→ダンスバー→ショッピングモール→郊外の農場、へと舞台を移しながらいろいろな人たちと合流していく。声変わりもしていない息子クリス(映画内ではニックがいつも、カール、カールと呼び間違える)が、生活のためにゾンビーバーを経営していたり、感染した母親や客を、一撃のもとに射殺するというシュールな場面、パロディならではできるハチャメチャさがいいところかもしれない。

 メンバーたちの奇人変人ぶりもコメディとして味を出しているが、ごちゃごちゃしてチープな感じもかなりある。また、農場も完全にウォーキングデッドのパロディである。
 最後にゾンビの治療薬が出てハッピーエンドかと思いきや、隕石の衝突によって、結局地球滅亡カウントダウン、という、それ必要なの?というラストだった。ラジオ放送が、CMなしで最期まで音楽を流してリスナーを楽しませる、という放送は、粋な計らいではあったが。


2016年11月21日月曜日

ピクセル: おそいかかってくるゲームの映画

昔懐かしの、パックマン、ドンキーコング、ギャラガなどのアーケードゲームをやりこなし、子供時代に準チャンピオンになりつめたものの、風采の上がらない大人になり果てた主人公が、ゲームおたくたちと共に宇宙人たちを撃退する話。

パックマンを捕える任務につくが、特殊アイテムで捕食者が逆転し、追いかけられることに。

宇宙に地球をアピールするための道具として、ゲームアイテムを同封して宇宙に漂流させたところ、敵意ある挑戦だと誤解されたあげく、ゲームシステムをパクった宇宙人が、地球にやってきてゲームそのままの怪物を放ち、襲いかかってくる。

昔懐かしアーケードゲームが大好きな世代の喜びそうな、コアなファン向けな題材。ゲームが襲ってくるというところが面白いところで、怪物にかじられた物質がピクセルに変換されてブロック片になって飛び散る映像が、見た目に美しい。

全体的に、ややチープな感じがするが、ネタとして一度くらい見てみてもよい作品かもしれない。

2016年11月2日水曜日

GANTZ O(ガンツ・オー) を見てきました。

フルCGムービーということで、がらりと雰囲気が違うようだったが、もともとアニメが好きなわけではない。
 前作などからの流れや、2,3年ほど前に他作品をフルCGでYoutubeで見たところ(バイオハザード?の姉妹映画だっただろうか、それなりに面白かったし、良かった)、そう悪くない出来栄えだったのをうけ、なんとなくレディースデーの映画メニューに選んでみた。

ガンツ(2011年)は、1が公開されたときに子供を連れて見に行った記憶があり、そこそこ面白かったので印象に残っている。

私のお気に入りエイリアン1・田中星人。初代歌のお兄さん、田中星児さんがモデル?




千手観音。無数の手に剣を持って高速で振り回す、冷酷な殺人鬼である。

 で、今回の作品は、アニメチックな女の子が出てきたとき、あーあ、またアニメ系萌え好みな人が好きそうななキャラが出てきちゃったなあ、と少しがっかりしそうになった部分もあったが、それよりも怪物出現やストーリー展開がテンポよかったので、楽しめたと思う。画像も、人物以外は本物のようにリアルに描かれていて、きれいな画像であった。

巨大な、特大怪物。建造物といったほうがいいくらいのものを眺めるのは、ある意味ロマンを感じさせる。

 実はこの映画、終了近いのか、朝9時前か、夜7時過ぎの時間帯でしか上映していなかったので(よく行く映画館)、朝の方で見てきた。ロビーにレディースデーのお客さんらしく女性が数名いたが、みんな、ガンツなぞには流れず、正統派・渡辺謙主演の「怒り」の映画会場の方に行った。
 普通はそうだよなとは思いつつも、映画を見たり感想文を書くのが仕事ならそうするが、自発的に見るのはやっぱり、あっ、というような奇想天外や空想的な世界のほうが、映画を見た気になれるので、そっちに行ってしまう。

2016年10月9日日曜日

エボリューション(2001年アメリカ)

 Xファイルのモルダー捜査官を演じていたデビット・ドゥカブニー主演の映画で、ジュリアン・ムーアという大物女優もヒロイン的な役で登場しているが、どう見てもこれまたB級映画であった。

 ヒロインのほかに、頭の弱そうな消防士志望の青年や、デビッド演じる大学教授仲間である「面白黒人」的な同僚、太っているという以外になんの特徴もわからない二人組の青年らが、落ちた隕石をめぐってドタバタを演じながら、未知の宇宙生物と戦っていく話。



この映画の監督は、権力を持った老人に対して反感を抱いているのだろうか。
 えらそうにいばりちらされたため、消防士志望の青年がムカついていたオジサンが、池から這い出た宇宙生物に食べられてしまったり、軍の将軍がヒロインと対立して彼女の話を聴き入れず、怪物たちの進化を早めてしまうようなことを行ってしまったりする。(ナパーム弾の投入)

 アメリカ映画のコンセプトは、「とてつもない」「途方もない」という感じが時折見て取れるが、この映画もそういった半端のないところがあった。
たったの数日間で、数億年分の進化をとげてしまった、つまり、アメーバ様の生物だったものが、数日間で、ショッピングモールの中を飛来してお客さんをわしづかみにして飛び回る「飛竜」に進化してしまったなど。

 火による爆発的な増殖・進化を描いた部分もこの映画のハイライトである。
 
小物モンスターなどに関しては、やはり低予算だったのか、たまにCG・特撮が、チャチに見えるところもあった。
 なんにしろ、半分ギャグが混じった映画で、元・モルダー捜査官がなんと、ジープの助手席で文字通り「ケツをまくって」相手をののしるシーンがあった。モルダーさんが、将軍に向かって生尻を見せる・・・。ちょっと衝撃的だった。

2016年10月4日火曜日

午後ロードショー「ディノシャーク」

 夏に見ていたのだけれども、やはりレビューを書くことに。
サメというか恐竜というのか、顔は恐竜そのままで、体はワニのようなウロコに覆われた、サメ形の体。この幼生が、氷山の崩壊によって海に放流され、やがて化け物に成長して暴れる話。

 サメのB級映画で、特撮を使いながらの食いまくり暴れまくりシーンが満載だったが、一つ大変トラウマになるところがあった。

 スティーブ(男)とルイス(女)の二人のシーン。プライベートプール付き・クルーザー付きのリッチなデート?と思いきや、スティーブがルイスを抱きかかえ、嫌がる彼女を笑いながら湖中に放り投げる。なんという仕打ち、女性に対してあまりに乱暴すぎる・・と思ったが、これが彼らの命が最後となるアホ行為であった。怪物が、そこにいたのである。

 「何かが水の中にいる!」必死に訴えるルイスを、鼻先で笑ってとり合わないクズのスティーブ。ギャーと叫んで水中でもがくルイスが、変わり果てた姿に。なんと、完全に下半身が食いちぎられて大量の血液が。。そして、そのまま水をかいて水面に上昇するという一瞬の映像が恐ろしい。

お姉さん・・、下半身が、ないよ・・。というかもう、この姿だけでも幽霊そのものだった・・。

 もちろん、CGだので演出しているのだが、画像として恐ろしかった。下半身がなくなって大量出血の状態で、あのように腕の力だけで水上に泳いでいけるのだろうか考えてみた。わからない。

 しかし、水面に手を出し、スティーブの手を断末魔の手でガッ!とつかむと、スティーブもろとも水面の下に引きずりこまれていったのは、彼女なりのスティーブへの復讐だった、とも言えるのだろうか。

自分の特に印象に残ったところは、そんなところである。



2016年10月1日土曜日

「君の名は」、見てきました。

 アニメ好きではないので、自分だけだと見に行く気にはならなかったが、今回も都民の日、かつ映画デー、ということで子供のお供をした。

 観客層はやはり若者が多く、小中学生の子供から~大人まで見に来ているようだった。
話は、パラレルワールドの話なのだろうか、タイムスリップした魂が男女の高校生の間を取替えっこのように行き来し、隕石の墜落で女の子のほうが命を落とすということに気づくのだが。

 結果としては、三年前の大事故前の時空に戻った時点で、村民を説得することでうまく避難ができ、本来は数百名の死者をだしていたはずだったのが、誰も死なずに済んだということ。

 心が入れ替わり、置手紙のように本人のスマホに記録されていく互いの行動だが、一度も会うことなくすれ違い続けるというのが、切なくもどかしいというところだろう。



2016年9月23日金曜日

私は幽霊(I am a ghost)




 「私は幽霊」、ドラマの題名によく使われがちな、暗に自分の存在が空気だとか、心が幽霊のようにもぬけの殻だ、という比ゆ的な使い方ではなく、名実ともに本当に死後、幽霊となった主人公の日常~除霊までが描かれている。

 ベッドで伸びをして、朝が始まる。「ファ~ア。」フライパンで朝ごはんの目玉焼きを焼く。食卓で食事をするが、なぜか彼女は途中でナイフを高く振り上げる。画面暗転。洗面所で血のにじんだ包帯を手にまいて、水を流している。暗転。「エミリー?」声をかけられてモップを取り落とす。暗転。家族の写真をいとおしそうに眺めたり、本を読んだり。暗転。食材の買出しに出かけるため、コートを羽織り、外に出る。暗転。そしてまた朝。(順番不同、抜け有りかも)以下、同。

 洗面所での場面以外は、微笑ましい日常である。が、同じことを繰り返しリピート。さすがにこれは・・、と見ていておかしいと思うと同時に、主人公は幽霊らしいので、ぐるぐると同じことを繰り返すのだろうと思った。はたから見ていると気持ちが悪いが、本人はまったく気づいていないし、楽しそうな様子なので、放置していても良いのではと思ったのだが・・。

 この映画の中では(事実はどうなのか不明)、幽霊は、生前の記憶をもとに、成仏できない間はひたすら追体験を繰り返すのだといわれている。
 他の映画やマンガ、書物では、自殺をした人の霊はもちろん成仏できず、自殺の場面を、ひたすら繰り返し追体験しつづける無限地獄に陥るのだという説もあり、だとするととてもおそろしい。

 なぜ除霊されることになったかというと、同じ家に住んでいる人が、音がしたりナイフがとんだり、幽霊の姿は見えなくても心霊現象に悩まされていたため、霊能者がやとわれたのである。

 反対に、エミリーのほうからも、生きている人(というか自分以外)の姿は全く見えない。家の住人からは、エミリーの追体験によってフライパンが動いたり、ということだけが目に見えている。

 自分が死んでいる、というのがわかった時点で大体が成仏するらしいのだが、多重人格だったため、他人格の殺人鬼の男が隠れていて、除霊は難航する。

 因果を理解しだすと、自分の追体験を客観的に見られるようになるんだとかで、同じ動作をぐるぐると繰り返す自分を、その横で、ハア・・、とあきれて見つめるエミリー。殺人鬼男も結果として同じ状態となったため、二つの魂はなんとか、成仏したようだった。