2024年12月18日水曜日

思い出のマーニー(2014年 日本)

 


主人公の杏奈は、心を閉ざし、喘息にも悩まされ、ある日療養のために親戚の家に少しの間滞在することになったが、そこでのひと夏の物語。

人とうまく関われず、ひねくれてしまったり、冷たい態度をとってしまったりと非常に問題を抱えていたが、離れ別荘に住む謎の少女との出会いを通じて気持ちが変わっていく。

映像的にきれいなのは、山々や緑の多い景色の中、遠くまで続く浅瀬の水と、その先にたたずむ洋館。
そんな幻想的な景色の中、空き家だと言われているはずの家に、幻のような存在の少女がいる不思議。


それは実の祖母であり、杏奈の魂を救う重要な存在であったが、母娘の関係のつまづきを、ここで孫をとおして修復していくことで、昇華していったのではないかと思われる。

原作は1967年に描かれた児童文学のようである。









懐古趣味「青い鳥」

 


小学校の学芸会で、他の学年が発表していた「青い鳥」のお芝居。そこで見ていた記憶は、チルチルとミチルの兄妹が、青い鳥を求めて旅をしていく途中の場面であった。

亡くなった人に再び会える、思い出の世界の中。記憶にあったのは、仲の良かったお友達(親戚?)とのシーン。皆で楽しく、無邪気におかしを食べたり?飲み物を飲んだりしている。心から談笑するというのは、こんな感じだろうなあと。この、思い出の世界でよみがえる若いお友達らとの幸せそうな場面が、いつまでも心に残り続けた。

そして、かごの青い鳥を手に入れることができて喜んで帰ろうと、その場を出たとたん、青い鳥がいつの間にか全部黒い鳥となり、死んでしまっていたシーン。(紙で作った黒い鳥の人形だったが)

原作本をネット書籍で読んでみたところ、思い出の世界には、亡くなった祖父母の家があり、祖父母に(仲の良い子供たちとも?)再会したということであった。旅の途中にも幸せはあったが、現実の世界の中に、必ず幸せは見つかるという話の児童文学であった。

2024年12月17日火曜日

(懐古趣味)「森は生きている」(1943年ソ連)の読書感想

 


小学校時代の学芸会で、他の学年がこの題目で演劇をやっていたのだが、内容についてはあまり覚えていなかった。同じく他の学年では「青い鳥」の演劇をやっていたのだが、こちらもアマゾンキンドルのアンリミテッドを使って読んでみたところだった。(別途記載)

森に入った主人公たちがいろんなことを見たり体験をしていく、という漠然とした記憶しかなかった中、ふと読んでみた。森の中には一年をつかさどる各月の精霊がいて、それぞれ月替わりに交互に担当月の精霊があらわれ、季節を塗り替えていくという世界のようだった。

そこへ、シンデレラのようなあらすじだが、器量が良く性格も良い女の子が、継母といじわるな姉に虐げられて、寒い森へまきを取りに行かされたり、わがままな女王の褒美の金貨が欲しくなった継母たちに、季節外の花を取りに行かされたりと、大変こき使われる。

そこを、老兵や、季節の精霊たちに助けられ、継母たちは犬に変えられたり、女王もやり取りの中でわがままを改めたりと、事態は好転していく。

物語の味わいどころは、森や花・雪・精霊たち・たき火のぬくもり、金貨、宝石、女王と家来たちを登場させることで、自然の美しさときらびやかさ、取り囲む大人数の人達、ということで華やかなクリスマス的な舞台が想像できるような、そんなところではないだろうか。

映像が発達していなかった過去ほど、自分の頭を使って空想する世界が、読書の醍醐味だったと思われる。ただ、こういう本を読むと、なんだかいろいろ話の展開の仕方や、全体的な雰囲気が、すでに昔っぽいという印象である。

話の設定的には「シンデレラ」ととてもよく似ているのだが、どちらが先にできた話かというと、シンデレラのようで、ディズニー映画は1950年製作だが、原作の話はもっと古く、フランスの作家シャルル・ペローによって1697年に書かれた「サンドリヨン」だということなので、シンデレラの方が古そうである。


2024年12月11日水曜日

日本以外全部沈没(2006年 日本)

 

筒井康隆原作、小松左京の「日本沈没」のパロディを映画化したもの。

 小松左京のSF小説「日本沈没」は、古くは1970年代~映画やドラマにもなり、近年もリメイク版が出ているが、こちらの映像化はこの映画一本のみとなっている。

https://www.google.com/search?q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BB%A5%E5%A4%96%E5%85%A8%E9%83%A8%E6%B2%88%E6%B2%A1&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8

日本以外の世界の国々が、地殻変動によってすべて沈没し、日本の人口の数倍の外国人たちが、狭い日本に押し寄せてきた。食料自給率の低い日本なので、多くの食料価格は高騰したが、一部の食品は制度変革で低価格化もすすんだ。各国貨幣は暴落し、多くの外国人が持ち金の無価値化でホームレスとなり、治安も悪化。某国の者たちが謀反を起こして日本の首相を人質にとり、クーデターのようなものを起こすが、駆け付けた田所博士の予言のとおり、日本も沈没していった。田所博士が冒頭で、今後のマントルの動きについての説明をするときになぜか要領を得ない、めちゃくちゃな感じでお茶を濁し、ケムを巻くように退散したのが気になっていたが、これは最後の伏線であった。

話の顛末は別として、どこか既視感を感じさせる内容であり、少し不気味な感じもしないでもなかった。

それはさておき、パロディだけあり、ところどころにそれを感じさせるものがあった。「日本沈没」の1970年代作で小野寺を演じた村野武則や藤岡弘がそれぞれ、日本の首相や防衛庁幹部などを演じていた。他にも、よく見ると海外著名人のそっくりさん的な配役の人が、ところどころで面白おかしく登場している。

日本も最後に沈没するとわかったとたん、お互いに覇権を争いドタバタと取っ組み合いしていた者たちの間に、つかの間の平和が訪れた。どうしてもっと早くこれを迎えることができなかったのか。いつまでも醜い人間たちを、神様が見捨てて滅亡させることにした、そう思ってしまっても仕方がないなあという、そんな後味を残しながら終わった。



2024年12月10日火曜日

ディープブルーライジング

 

設定がありえないことばかり。南極で暴れる変異型オンデンザメ。

氷の海を元気に泳ぎ回り、かつ、背びれだけで南極研究所の周辺の氷をカットし(ありえない)、漂流させて研究所を丸ごと襲う、というサメたちの驚きの手法。

むちゃくちゃトンデモ映画でばかばかしいとは思いつつも、娯楽の内だと思えば展開はまあまあな感じだろうか。

氷上の犬や人を、海中から氷を破壊しつつ襲って食う。また、研究所を周辺の氷から切り離したうえで海底まで沈没させて、まわりをぐるぐる泳いで捕食の機会をうかがうサメたち。そして様々な脱出方法を試みて建物外に出る研究員たちを襲ってパクリ、パクリ。サメ映画としてのサービス充実感はあった。

最後に救助してくれた大型船に乗り換え、生き残った男女が3名助かった。が、問題を起こしている変異ザメは放置のまま、助かって良かったね的なエンディングを迎えて映画が終了した。

おそらくこのまま、サメの危険性が周知されず、周辺の町などはやられっぱなしの状態となり、かなりの被害が出ることが予想される。そんな結末であった。


2024年11月22日金曜日

「ガメラ」のチラシもしくはパンフの掲載シーン写真の記憶 (動画検索:giron vs gyaos)



 かなり古いので、リバイバルでなければ、おそらく映画は見に行っていないと思われる。(父から?パンフレットを見せてもらっただけの可能性もある)

 全体はあまり覚えていないが、ギャオス(コウモリ型宇宙怪獣)の頭部切断シーンの写真があり、その当時はかなり衝撃的に感じた。おそらくその時に目にしたのは、明らかではないが、上の方の写真だったかもしれない。

 こちらも記憶的にかなり遠いのだが、怪獣名はギャオス、このシーンがガメラ映画のワンシーンであることを突き止め、これに出てきそうな切断技が使える怪獣=ギロチン型怪獣?にやられたと思われたので、そこから動画検索したところ、以下の動画にたどり着いた。

 怪獣が相手を打ち負かして、「フォッ、フォッ、フォッ。」と笑い声を出すところが、なにやら人間的で変である。古い映画なので、撮影技術や怪物のぬいぐるみは現代クオリティよりも低品質だが、伝わってくるものはそれなりに印象的だった。

日本ホラー映画大賞 上映会に行ってきました。

 

これを見るチャンスは、年一回だけだろうか。おととしも行った(第一回)のだが、あれから上映作品のDVDも出ていないし、どこかで再度見たいのだが、見る機会が本当にない。

 第一回上映会は冒頭部分で少し遅刻してしまい、見損ねたところもあったが、不気味な作品が数々見れて、楽しかった。今年は遅れることなく初めから見れたが、それなりに見ごたえのある作品があり、やはり今年も面白かった。

 「蟲毒」は、ラストで生き残った女性がやはり、呪いから逃げきれずに首が落ちてしまうシーン、「夏の午後、おるすばん・・」は、玄関で呼び鈴を押す友人や母が果たして本物か化け物なのかが疑心暗鬼になるところ、おしゃべりしている人形は、いったい何者なのかというところ、「fataL(ファタール)」は、怖さと言うより画像の美しい演出などが良かったと思った。

 そして会場を出て化粧室に立ち寄ったあとに、人の少なくなった廊下を通っていたら、「清水崇監督」ご本人らしき人(「清水さん」と呼ぶ声が聞こえてはっと気が付いた)が関係者さんたちと輪になって歓談していたところをたまたま見た。とても小柄な方で、輪の中でも特にそんな感じだったが、その存在感はとても大きい。古くは「呪怨」でその名をはせており、日本のホラー映画界の重鎮中の重鎮である。