二子玉川の映画館のE席は、ゆったり座れて肩が凝らないので利用したいが、競争率が高く、早い日取りで予約を入れないとすぐ埋まってしまう。そのため、やはり見たいと思っていた洋画作品も埋まっていて、人が行きたくない朝の時間帯を検討した結果、こちらの映画に落ち着いた。
邦画は、かなり興味を持たないと滅多に見ない。たまに見ても、巨額を投じるハリウッド映画と比べてはいけないが、スケールの小ささや、人生観だの感情論だのに終始するストーリーや、結局作っている人の自己満足感が強いところばかりが気になって、結局何が言いたいのやら、心に響かないまま終わったりと、不完全燃焼で終わってしまいがちだからである。(あくまでも、個人的感想です。)
この作品は、ドキュメンタリー的な色合いがあるので、見ても大きく外さないかもしれない、という予測と、松山ケンイチさんの自然な役作りに一目置いて、E席がそこしかなかったことを妥協させることになった。
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ライバルである羽生善治棋士役は、東出昌大が演じている。 |
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子供のころから重い腎臓病を患い、一生それと付き合うことになったが、それが引き金だったろうか、膀胱がんにかかり、若くして命を落としてしまう、才能あった棋士の物語。
病に伏せる前からずいぶん不摂生な生活をしていたのだろうか、酒を泥酔するまで飲みまくったり、タバコの副流煙ただよう雀荘でマージャン通いをしていた。吸わなくても、タバコの副流煙は、吸っている人よりも害が大きいそうであるから、もともと病を抱える体には大きな負担となっていただろうな、というシーンが続いた。
羽生さんの、ひょうひょうとした感じを東出さんが近い感じで演じていただろうか。羽生さんは、私の個人的な目撃情報だが、といっても1997年位だったが、渋谷のセンター街を、すすっ、と、歩いていたのを見たことがある。(見間違いでなければ、ほぼ間違いないと思う。)
午前中で人通りはあまりなく、また、気づく人も少なかったと思う。最寄りの将棋会館は、現在検索すると千駄ヶ谷が最寄りだが、その時はどこに行っていたのかはわからない。ただ、スーツを来て、気配を感じさせないで人目をさりげなくかわすような、ススッとした感じだった。
やはり余命少ない主人公がかわいそうに思えたのは、普通に女の人と恋をしたり結婚をしたいという普通の夢がかなわず、自分の病気と向き合っていくしかない寂しさを感じたところであった。元タレントだったかわいい奥さんを射止め、家庭生活も順調な羽生さんを目の前にした、本音だったのだろう。
聖が病気をしていなかったら将棋と出会わなかったかもしれないのは事実であるし、それを介して知り合った二人だった。が、接点は将棋だけれども、人生は重なることはない。本当にそれぞれだと思う。共有できる、と思えるのは、気持ちだけである。家族同士ですらそうなのである。気持は共有できても、同じ人生は歩めない。人生はそういう意味では孤独なのだから、結局は、自分のために悔いのない人生を送らないといけない(理想論)。