2022年12月27日火曜日

マスターズオブホラー(2018年)


数編のオムニバスによって構成されている物語集。それぞれが、とある怪しい映画館を訪れた個々の人々が主人公となる映画を見させられ、奇妙な世界が展開していく。

1.宇宙から飛来した隕石から出てきた宇宙グモ。それらに寄生される人たち、それを殺してなんとか侵略を防ごうとする者。/ 2.悪魔の乗り移った少年、それが、女性、シスターへと乗り移り続け、その間に人々を惨殺していく恐怖。/  3.婚約者に勧められた整形外科医でおそろしくおぞましい姿に整形させられた女性。/  4.時間の経過とともに、自分を取り巻く環境と人間が、自分と子供以外、醜くおぞましく変化していってしまう恐怖におののく女性。/  5.殺人鬼に両親を殺され、自身も死にかけた少年が、死んだ人が見えるようになり、入院先の病院でいろいろな体験をする話。

5番以外、すべて怪しい映画館の主人(怪優・ミッキーローク演)によって映画を観終わった直後に殺され、幽霊となって少年の前にたちはだかったが、少年は映画館を後にして脱出する。ミッキーロークの、狡猾で、ねちっこい雰囲気のあふれる怪人も、非常に印象深かった。

ストーリー的には、4番の物語がホラー的に好きである。ふっと時間の経過に気づいたとき、目の前の人が、血に汚れた衣服をまとい、顔のゆがんだ人物に変化している。廊下なども異世界のように、血なのか汚れなのかわからないが、いたるところに液状の汚れがついておどろおどろしく変化しているというショック。不思議な世界の部分は白黒であるが、そこが、物語の暗さや、いっそうの想像力をかきたて、カラーよりも味わい深くなる感じがする。

また3番に出てくる整形外科医、あまり見ない顔なのに、きっと有名な俳優だろうという印象がぬぐえなかったが、あとでわかったのが、1980年のドラマ「将軍」のDVDで見た三浦按針を演じたリチャード・チェンバレンであった。



2022年12月4日日曜日

サバイバルファミリー

 


太陽の磁気嵐のせいだろうか、ある日突然、電気が止まり、電化製品もうごかなくなって、車も電車も動かず、水も断水になってしまった。トイレも流れなくなり、スーパーも品切れとなり、数日たってから主人公家族たちは無謀にも、東京から鹿児島に住む父親を訪ねることにした。(計画性がいまいち)いっそ、近くの海を目指したほうが良かったのかも?しれない。

 移動を決めた以上、自転車を見かけて購入したまでは良かったが、車も電車も動かないという時点で、なぜ飛行機も飛ばないということを想定しなかったのだろうか。そこからまず、残念すぎる感じがする。結局乗れないまま飛行場を後にし、なんとかホームセンターでペットフードや精製水、地図を入手するが、やはりそのあとも食料も水も底をつき、飢えて歩いた。水族館の魚を調理しての炊き出しも盛況となっていたが、たどり着いたときは品切れとなってしまった。そして、見かけた農家の豚を食べようと襲い掛かって失敗する。(当てがなさ過ぎて危なっかしい)

幸運にも農家の主人に食事を与えられ、仕事も与えられて信頼関係を結ぶが、やはり父が心配なために、そこを後にする。自給自足のような、その時は理想的とも思えた生活、ひきとめてくれたのにそこを出たのはやはり無謀な気がする。(チャンスを逃す)

橋がなくなっていたためにいかだを作り、川渡りを試みるも、自転車4台をあせって運ぼうとした結果、いかだがこわれて父が川に流される。(不運)

残った三人はの道を行く途中で野犬化した飼い犬たちにもらっていた食料をねらわれ、襲われそうになったところを蒸気機関車に助けられた。(不運と幸運)

意識を取り戻して道端に出たお父さんも、運よく機関車に発見され、救出される。(溺死しなかったのも、見つけてもらえたのも、映画だからうまくいくこと)

機関車で鹿児島に近づけたようであり、ようやく鹿児島の海で父親と再会。(そんなにうまくいくはずはないような気がする)

おそらく現実には、この家族と同じことをしようとすると、途中で野垂れ死にするような気がする。なぜかというと、移動の手段は徒歩のみになるとどれだけ時間がかかるかわからない上に、食料・水・寝床もなかったり、熱中症になったり逆に、凍え死ぬこともありえる。全世界的な事象で起きていて、誰もが他人を助けることが難しくなってしまっているのである。

いたずらに移動しても死ぬし、水・食料もないまま家に閉じこもっていても、どのみち死んでしまうという厳しい現実が見え隠れしてしまい、コメディ映画でもあるのだろうが、現実化すると、やはりこれは怖いなと思う。


2022年12月1日木曜日

ドント・ウォーリー・ダーリン を観てきました

 


旦那とはラブラブで、何の不足もない平穏な毎日、素敵なマイホームと一見申し分のないような生活を送っている主人公と周辺住民。ところが、時折フラッシュバックする断片的な記憶、何かがおかしいと相談を持ち掛けていた友人の自殺など、主人公女性も自分のいる世界に疑問を持つようになる。

あるとき、飛行機事故を見かけて「本部」を訪れたことから主人公の猜疑心はどんどん深まっていき、そこが作られたバーチャル世界だということにたどり着いた。

それをわかっていて世界にとどまる知人もいた。現実には子供はいないが、ここにいればそれがいて、守るべきもののために私は生きていける、といったことを言っていた。そして彼女は、主人公は行動を起こしてしまった以上、ここにいるとつかまるから逃げなさいと助言をくれた。

現実では職に困っていた恋人が、自分の許可も得ずに勝手に自分をバーチャル世界に連れてきてしまったことを知った。夫婦仲の良さ・すばらしい家、一見理想的な世界でのことが(毎日同じループなのを見ていると、なぜか見ている方がうんざりしてくる)、自分勝手な恋人によるものだと知ったとたん、身の毛もよだつような嫌悪感に変わってしまった。

バーチャルリアルティ空間の普及が予想される昨今であるが、その中で描かれた映画である。 作られた空間にだまされ、現実の記憶を失い、何者かに支配されながらも何かがおかしいと感じながら生き、逃げ場もない場所。映画「マトリックス」的なエッセンスも感じさせられる。日本のアニメで言うと、すでに40年も前のものだが、「うる星やつら」の映画「ビューティフル・ドリーマー」あたりだろうか。

何かがおかしい、ということに気づきさえしなければ、閉鎖空間の中ではあっても、これほどまで苦しむことはなかっただろう。が、気づいてしまったからにはこれに抗い、戦わなければいけないという苦しさ。これは一種のディストピアストーリーだとも思える。

周りに自分の考えを全否定された挙句、耐えきれなくなって自殺する人。気づいてはいても、あえてそれを受け入れ、安住する人。主人公の場合は、執拗に自分を阻止する旦那を結果的に殺害し(現実世界でも死亡するようである)、本当の世界にどうにか逃げ戻る、というラストだった。どれも自分の行った選択であり、それによって大きく結果も変わってきている。が、逃げ戻った世界は、本当の現実世界だっただろうか。

この現実世界も、仮想空間であるという説(二重スリットの実験より)もあるようである。だから、現実と思われている世界も実は、定まった形があるのではなく、みんなのとらえ方や気持ちによって、あり方が変化しているのかもしれない、という話である。

2022年11月23日水曜日

サイレント・ナイト を観てきました


設定上は、ロシアからの毒ガス攻撃で、ガスがやがて到達するとともに、体内から出血して死に至る、との報道がなされ、この映画で登場する家族知人たちも最後のクリスマスパーティを執り行うことになったようであった。

ロシアの攻撃、というのは現在のロシアウクライナ戦争から見立てたものなのだろう。

白い大きな郊外の家の中で、着飾った人たちが再開を喜び合う。だが何か、無駄にテンションが高いというのか、奇妙な雰囲気を感じさせる中、みんながこの最後の時間を共に過ごすために集まったという共通の理解をもっているのだということがわかった。

それにしても異様なはしゃぎ方は気になる。西洋人のノリって、こんなのだろうか??ダンスだ、飲めや騒げのお祭り騒ぎが何とも言えないが、じっとしてもいられない感じがそこまで駆り立てるのだろうか。

最後は、毒ガスを吸って吐血し、死んだと思われた(仮死状態?)アート少年だけが息を吹き返し、政府から安楽死用の錠剤をのんだ他の人たちは(たぶん)死んでしまった、というラストだった。何かの脅威に対しての恐怖を駆り立てられ、死を選択させられるというのは、政府からしくまれた何かだったのだろうか。他の人のレビューも少し読んだところ、このような見解を示している人もいた。

2022年11月9日水曜日

スペンサーダイアナの決意 を観てきました

 

クリステン・スチュワートがダイアナ役を演じている。

王室で毎年、クリスマスを過ごすために女王の私邸に集まっている。おそらくダイアナはすでにチャールズと別居生活に入っていたのだろうか。詳しく調べないとわからないが、雰囲気からしてそんな感じもしてくる。

夫から送られた(カミラともおそろいであるという)真珠のネックレスをばらばらにして一粒ごとに食べるという幻想を抱いたり、摂食障害を起こしていて、吐いたり暴食したりの状況をくりかえし、精神的に追い詰められていたダイアナ。夫の王に殺された、妻のアン・ブーリンと自分を重ね合わせるようになっていた。その背景には、夫のチャールズ皇太子とカミラ夫人の不倫関係があり、アン・ブーリンも夫が侍女と結婚を望むために殺された、という物語があったためであった。

どうにか自分を取り戻したいと感じて荒れ果てた生家に立ち入ったダイアナ。アン・ブーリンのまぼろしも見えたりする中、ダイアナ・スペンサーであるという自覚をもって自分らしく生きていこうとする思いが芽生えたようだった。

結婚の失敗(一方が内心そう思っていて、他方が気づかなかったり、思いやりが足りないこともある)によって、本人として新たな気づきや強さを得ることは普通にあることだと思う。この場合もそうであり、ただし王室への嫁入りだったために、事態は周囲から大きく取りざたされてしまい、本人も大変傷ついたと思われる。

離婚に至るまでのほんのステップのような一幕を、切り取った感じの映画であったが、ダイアナの精神的な自立を描いた作品だったと思う。

2022年11月1日火曜日

貞子DX を観てきました

 

小芝風花がIQ200の大学院生を演じている。左側がエグザイル・ランページの川村が演じる自称・占い王子

 科学では説明できないことを完全否定する、IQ200の大学院生あやか。が、現実的にはすでに、その考え方は古臭いような気がする。あまり偏りすぎるとオカルト的にはなってしまうものの、当てられた予言など、科学で説明できない事象について、無知なのではないかと思うからである。

 あやかは自分の持論について自信がありすぎて、呪いを自ら踏んでしまう羽目になったが、そこから本題がスタートしていく。霊能力者・ケンシンとのテレビ出演をきっかけに、自称・占い王子を助け、ビデオを鑑賞した挙句、共にその呪いと戦うことになった。

ホラー要素についてだが、確かに迫りくる貞子や、家族親戚の姿を借りて現れる幽霊の形態は不気味で気持ち悪いが、全体的にはタイムリミットを気にしながら、幽霊を振り切りつつ、必死に解決策を探していくハラハラ感のほうが強いと思う。

以前までは呪いに殺されるまで7日間あったが、本作では24時間に短縮されてしまい、不気味感よりもスピード感が強まったようである。

 (ネタバレ)

24時間で宿主が死んでしまう。ウィルスも本来生存を目指すはずなのになぜ短縮されたのか。いろいろ考えた挙句、呪いを断つのではなく、その動画(ビデオ)を毎日24時間ごとにみんなで見ることで呪いに浸かる、という方法が見いだされ、主人公たちはとうとう生き抜くことができるようになった。そこが新しい。

(追記)

・占い王子の演出がねちっこくて気持ち悪いと思ってしまった。たいして親しくもないのにやたらと身を寄せてきたり、ささやいてきたり、下の名前で呼んだりと、うっとうしいことこの上ないキャラクターを演じている。思いついた名言を吐くようなゼスチャー(鼻の下をシュッと指でなぞって決め顔する)をして、決め台詞を吐くのもうっとうしく、面倒くさい。自宅の部屋が汚部屋(おべや)手前の汚さなのも、ドン引きである。

・偽霊能力者・ケンシンの実家の父親である神主さんを演じている渡辺裕之さんは、実際すでに今年の5月に亡くなっており、映像に出てきた瞬間にあれ?と思ったのだが、映画の収録が亡くなる前に行われていたと思われる。不気味な幽霊姿でも出演されているが、実際に亡くなっているので、ある意味本物の幽霊であるイメージもあり、シュールな感じがした。



2022年10月24日月曜日

「カラダ探し」を観てきました

 


 水泳大会を風邪で休んだのときっかけに、クラスからはぶられていわゆる「ボッチ」になってしまった主人公の明日香(橋本環奈)。

 体をバラバラにされた怪物「赤い人」の魔力によって、心に隙間のある同級生たちが6人選ばれ、バラバラになった体の断片を、夜の校内を探すことになった。探しきる前に毎回全員が赤い人に殺される。朝起きるとそれは夢だが、前の日と同じ一日が始まり、それが永遠にループしている。夜になるとまたカラダ探しに自動招集されて同じ死闘が繰り返される。

 毎日がループなので、好きなことを、と昼間に海辺で遊んだりして仲間のきずなを深める男女。明日香もすっかりその輪の中に溶け込んでいた。

 恐ろしいことに後半、赤い人が人形のエミリーと合体して巨大化、彼らを食べたりし始める。 そして食べられてしまうと、一夜明けても戻ってこれず、彼ら以外の生徒からも忘れ去られてしまう。つまり、同じ夜をループしていく中、食べられると仲間が減っていくことになる。勝機が減っていくということに、焦りを感じさせられる。

 校内図書室の先生から、彼がカラダ探しの元・経験者であり、仲間への大切な気持ちは残るが、記憶は消えていたという話を聞いた。カラダ探しが終わると、また自分はクラスで独りぼっちとなってしまうのか。

幼稚園からの幼馴染だった同級生から、忘れないしるしであるピンブローチ?を渡され、きずなを深める明日香。やがて怪物から最後のピースを得ることで、カラダ探しが完結する。


 現実世界でもなぜか、全員同じメンツでくじで選ばれ、クラス委員として晴れて集まることになった。そしてピンブローチを見つけたことで、幼馴染とのきずなを思い出す二人。偶然が重なる不思議もあるが、なにもかもがすばらしい再出発のようだった。

が最後に、校内の古井戸の水底に沈んだ古い新聞紙、その小児殺人被害者であった生前の「赤い人」の顔が、明日香の幼いころ(8歳?)の写真と名前に切り替わるラストエンドがあった。これは何を意味するのか。

公開後のレビューが書かれているのを見てみたが、最も同感できる推測は、本当のバラバラ殺人事件の被害者は、明日香であったかもしれない、ということ。「みんなから(ボッチの)私は見えないの」という明日香のセリフも、そう思うと思わせぶりである。そしてこれまでのすべての話は、彼女の作り出した世界だったのだろうか。 絵にかいたような青春、幼馴染との恋愛、素晴らしい偶然による再会、たしかに誰かの願望が再現された世界だったのだろうか?という感じもある。

もっとも、8歳の女の子が殺害されて果たせなくなった夢として、高校生になって学生生活を謳歌したい、という願望を抱くのだろうか?というのもあまりよくわからないが。


話的にいろいろ突っ込みどころはあり、どうして赤い人は、自分の体を探してほしいのに、皆の邪魔ばかりして殺そうとするのか?、井戸の新聞紙は、年数がたっているため古くなって、とっくに溶けてなくなっていそうな感じがするので、元の形状で現存するのは無理なのではないか、などなどある。

が、毎日の繰り返しゲームとなった殺されゲーム、怪物との鬼ごっこや惨殺シーン、なかなかドキドキさせられたりした。青春高校ドラマ的なものはすでに年代的に自分の感覚とはずれてしまっているが、話のテンポはそこそこよかったと思う。