2024年10月4日金曜日

ボーはおそれている

ジョーカー役も演じているホアキン・フェニックスの主演。

 「母親を殺したいという気持ちに罪悪感は感じるか?」精神科医とのやりとり。通院から戻った主人公の住む街は、とんでもなく治安の悪い街だった。住民たちがゾンビのように人を追いかけて襲い掛かったり、建物にゾロゾロ侵入していったりしていた。

人の部屋に入り込んで、勝手に乱痴気騒ぎや料理まで作り出す住民たちの頭のおかしさだが、入浴中にまで浴室に入り込まれる。その後素っ裸でアパートを飛び出した主人公は、車にはねられてしまう。保護された家もおかしな家で、いろんな理由で実家の母の葬式に行きたい主人公の付き添いを延期してくる。展開がすべて主人公の思惑と違う方に向かい、変な人たちの言動に会い、不安定な気持ちにさせられる。

その家の娘もとんでもない悪ガキだと思いきや、戦争で死んだ息子の部屋を大事にする母に腹を立て自殺してしまい、それがなぜか主人公のせいにされてしまう。母親の命令により、狂暴な同居人によって追われる身となる。

森に逃げ込み迷い、たまたま出会った女性に、家に連れて行ってもらう。そこでは演劇に自らも参加する観劇広場があり、役を演じているうちに主人公は過去の記憶やこれからのこと、いろいろな世界に身を投じていき、生き別れた息子や父親にも出会う。

が、追手の男の攻撃がいきなりきて、住民たちが次々と殺されてしまい、主人公も必死でにげまどった結果、車道に出て実家に戻ることができた。大きな会社の経営をする社長だった母。家もかなりの豪邸であったが、葬式は終わっていた。

母親の言うことはきちんと聞く、おとなしくまじめに育った男の子だった。色々なことに対応するボーの態度はいたってまっとうで、おかしなところはなく、常識的である。周りの人間がすべておかしいので、ボーの孤立感がひどい。だが少しメンタルが弱く、ちょっとしたことで怖くなり(たしかにストーリーは怖い)泣いてしまうシーンがちりばめられてあり、ボーが本当にかわいそうな感じがするところが、この人の演技力の賜物なのだろうと思う。

ボーが母親にだまされ、心臓が止まって死んでしまう病のため、異性のだれとも交わってはいけないということを信じ込まされていたが、森で父親に会ったことで嘘だとわかってしまい、古い知人と再会して童貞をささげる(知人女性は腹上死)。母親の死もあとから嘘だとわかった。屋根裏の巨大な男根のオバケを見せられたり、母がいかに自分の親から愛情を受けられず、ボーのことも無理して育てたのだと延々と語られ、お前のことなんか愛していない、という意思表示をされてボーはついかっとなって、母の首をしめる。

ここに毒親の影響を受け続けさせられた子供がいて、その子供が大人になり、様々な経験を通じて真実に気づいて母親に復讐する、というストーリーがある。

ボーは水辺からボートに乗り、沖へ漕いで出るが、洞窟に行きつく。ボートが動けなくなったその場所は法廷で、母親を殺した罪を延々と責められるのだった。そしてボートは爆破・転覆してしまう。

最後は母親の呪縛からはとうとう逃れられなかった、という締めくくりのようだ。主人公の内面世界だろうか?とも思うが、いや、本当の大人は、母親の呪縛からは抜け出さないといけないだろう。が、現実を味わった監督が、確信をもって描いた作品だということだろうか。副題をつけるなら、「毒親であったとしても、息子は母親からは逃れられない」といったところだろうか。

殆どが、狂人たちの闊歩するおかしな世界であって、癒しを感じられるのは唯一、森の劇場で人々が演劇を演じたり、主人公が人生をたどっていくシーン、息子と再会できたシーン、などであったかと思う。(それすらも、追跡してきた狂人男にぶちこわされてしまうから、ひどい。)

何が言いたいかよくわからない映画のあらすじだと思ったが、こうしてあらすじを順を追って書いてみると、監督が何を描きたかったのかが、合っているかは別として、個人的に推測することができる。そこがレビューを書いていて、自分で面白いと思える部分の一つでもあると思う。

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2024年9月17日火曜日

エイリアン:ロムルス を観てきました

 

これは、エイリアンシリーズの第7作目?になるだろうか。ストーリーやシーン、ヒロインの感じとしては、なんとなく第一作目に雰囲気が似ている。

https://www.google.com/search?q=%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%82%B9&rlz=1C1CHBH_jaJP754JP765&sourceid=chrome&ie=UTF-8

主人公レインが、移住希望した役所?での労働時間数を改ざん?されていたと思われるシーン。もしこれが見間違いでなければ、この居住地ではもしかすると一生、脱出することは不可能と思わせられた。

そんな中、不法脱出を試みたのは大正解なのだったが、コールドスリープの燃料をとりに知らずに向かった先は、エイリアンたちがうごめく宇宙ステーション「ロムルス」であった。

そこには例の、人の顔に憑りつくフェイスハガーがおり、レインたちを追いかけまくる。そしてステーションを管理していたのは、エイリアン第一作目でリプリーに焼却された、悪名高いユタニ社のアンドロイド・アッシュそっくりなルークであった。

アッシュを演じていた俳優さんは死去しており、アニマトロニクスという技術で再現したCGIということであったが、アッシュそっくり(服装まで)な姿を見た瞬間、いやな予感がした。案の定、妊娠中の女性船員におかしなクスリをすすめて接種させ、この女性はエイリアンと人間のハーフを出産し、それに殺されてしまう。

第一作目のリプリーと今作のレインが、ヒロイン的な働きをするところ、メカの画面の動きが一作目そっくりなところ、アッシュ(ルーク)の悪だくみ、ラストシーンでエイリアン(ハーフ)を船外追放するところ(リプリーの放ったワイヤーランチャーのひもと、レインの命綱のかぶり)など、ところどころ第一作と共通する部分があると思う。

ウェイランド・ユタニ社は、人間の安全よりも、自社の利益(生物兵器の開発による利益)を優先とする悪徳会社である。また、レインが移民局?にきちんとした労働時間を元に転出を申請に行ったはずなのに改ざんされ、最低5年間は移動できないとされてしまったことなど、自分の身を預けるための会社であったり社会インフラであったりするはずのものが、人々をだましたり、いいように管理・労働搾取する組織で、まったく信用のできない存在であったということ。それらを安心・信用してきた地盤が覆されるということが、映画によってぞっとする感じで描かれている。


2024年9月10日火曜日

サユリ を観てきました

 


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念願の戸建マイホームを手に入れた大家族だったが、その家で亡くなったサユリの呪いのために、一人二人と死んでいく。

父、祖父、弟、母、姉たちが、不気味なサユリの霊によって一人づつ殺されて行ってしまい、7人もいた家族が、主人公ののりおと、ボケてしまっている祖母の二人だけになり、これはもう詰んだという状態になった。

家族がどんどん死んでいくのに普通に学校に登校し、のりおが大して落ち込んだそぶりも見せないところは、演出としてちょっと変だった。 さらに驚いたのは、家族二人きりになってから、祖母が突如、正気を取り戻し、太極拳の師範として、のりおを指導し始めたこと。突如、リーダーシップを握ってのりおと二人で怨霊に対峙するんだと言い放ち、のりおの修業を始めるというストーリー展開に、どうにもへんてこな感じはした。

何事も、強靭な心と体を鍛えることこそ、困難に立ち向かえるのだというのは同感であるが、ボケていたおばあちゃんが豹変したのはさすがにヘンだとしか言えなかったが。

おばあちゃんを演じたのは、名バイプレイヤーの根岸 季衣さんという方、なかなか役どころに合っていた。サバサバッとした下町おばちゃん的な雰囲気がありながらも、クールな容貌が印象的である。

若いころの根岸さん

サユリを追い込んで、最後には命まで奪った家族があぶり出され、問題の家に連れてこられた。サユリに性暴力をふるった最悪な虐待の父親、それを見て見ぬふりしたネグレクトの母親、ブチぎれて暴れたサユリを殺そうとしてきた妹、どれを見ても最悪な感じである。サユリが家族に多大なる恨みを抱いて死んだとしても、赤の他人の家族を襲うのは明らかに間違いなのだが・・。引きこもりになる前のサユリはほっそりとしてとてもかわいらしく、そのかわいらしい外見が、クズの父親の虐待を助長させてしまったのは残念だとしか言いようがない。

まあ、ストーリーの目指す道筋のようなものをつけるとしたら、理不尽な暴力、理不尽なことを押し付ける人には、黙って耐えるのではなく、それが間違っているのだから、怒れ。立ち上がれ。本当の自分の権利を主張するために戦え。身も心も強く持って自身の生きる権利を勝ち取るのだ。そういうことなのかな、と思う。


2024年7月27日土曜日

あのコはだぁれ? を観てきました

現代Jホラーを作り続ける第一人者、清水崇さんhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%B4%87 監督作品。

 https://www.google.com/search?q=%E3%81%82%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%AF%E3%81%A0%E3%81%82%E3%82%8C+%E6%98%A0%E7%94%BB&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&oq=%E3%81%82%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%AF&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUqDQgCEAAYgwEYsQMYgAQyBggAEEUYOTINCAEQABiDARixAxiABDINCAIQABiDARixAxiABDINCAMQABiDARixAxiABDINCAQQABiDARixAxiABDIQCAUQABiDARixAxiABBiKBTINCAYQABiDARixAxiABDIHCAcQABiABDINCAgQABiDARixAxiABDIHCAkQABiPAtIBCDM1MzRqMGo3qAIAsAIA&sourceid=chrome&ie=UTF-8

恋人が、トラックに思い切り跳ね飛ばされるというショッキングな出だしから、彼の代理教師として、主人公が赴任した高校。そこには、過去の忌まわしい事件があり、「さな」という死んだ女生徒がいまだ怨念によってそこにとどまり、その場の人たちに呪いをかけていく。「さな」という名前、聞いたことのある不気味な鼻歌、ここら辺からこれは、「ミンナノウタ」の続編であることに気づいた。

すでに前作で、トラウマ的な存在となった、さなの家。今回も登場して十分に楽しませてくれた。おなじみの、何度も繰り返すセリフ。住人の狂気、オバケ化も怖いが、逃げ出た後に家を振り返ると、先ほどは普通の家だったのに、荒れ果てた廃墟となっている展開。映画「IT」での、登場人物が成人して訪れた生家での出来事同様、これらの演出によって不気味な怖さを演出している。

ちょっと驚いたのが、さなの実家の父母は、実際には存命で、老人ホーム的なところで生活していたというところ。死んだのは、さなと、お腹の子供のみ。(母は頭がおかしくなり、赤子の人形をずっと抱いていた)

清水監督作品の「呪怨」で登場する「としお」も今回出てくるが、お母さんの胎内で、さなの怨念によって殺されたのではなかったのだろうか??が、それが生きていて?実は、事故に遭った恋人?ちょっと流れがわからないところがあった。

他の疑問点は、自分の声や音が呪いの録音テープに録音されてしまうと、死ぬ運命になるという点。男子生徒も録音されて、突然姿を消してしまったが、さなの怨念をお母さんが抑え込むと同時に、無事に戻ってくることができた。が、主人公が女生徒を救うために自己犠牲となり、自分のことを録音した結果、ラストシーンで主人公の死が確認された。録音したのに一人は助かり、一人は死んでしまうという矛盾点。

作品には矛盾点があり、明らかにヘンだという内容もある。が、怖いもの見たさを満足させてくれるものであり、夏の風物詩・ホラー映画を楽しむために映画館に行くことも含めて楽しんでいるので、了解しながら観ると良いと思う。そしてもちろん、一観客として、この矛盾点に気づいても記述するのみで、これをどうしようという責任も義務も一切ない。


2024年7月10日水曜日

「関心領域」を観てきました

 

塀の向こうについてはこの映画では何も描かれず、あくまでもこちら側の楽園に住む人たちの視線、態度がクローズアップされることにより、その視点について問題提起される作品であった。

https://www.google.com/search?q=%E9%96%A2%E5%BF%83%E9%A0%98%E5%9F%9F&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8

これは、第二次大戦中に、ナチスドイツがユダヤ人収容所を作り、収容していた時の物語である。最初に見たときから、この家を取り囲む異音はおかしかった。何も感じないという人々の異常性も大げさなくらいに描いたのかもしれないが、普通に見たら異常すぎる。

ピストル発射音、ゴーゴーという絶えず燃え盛る焼却炉(死体処分用)の音、収容された人たちの叫び声、など、どれをとっても不穏であると感じる音ばかり。しかも音量も大きく、夜の夜中、就寝中にも絶えず聞こえるそれらの音。それを聞きながら、今後の話や生活の話を隣に寝る夫に楽しそうに話し続ける妻。

人間処分場と壁一つだけで区切られた敷地は、さまざまな植物が植えられ、プールもあって温室も作られ、とてもすばらしいミニ楽園のような居住地となっていた。使用人たちに囲まれ、何不自由ない生活を送る婦人は、夫の昇進・転勤があっても、そこの生活を是が非にでも守り続けるんだ、というかたくなな姿勢を取り続けていった。

塀の向こうで何が起きているかを知っているのは、軍の幹部として昇進しつつある夫と、妻のみだとはとても思えないが、ここで不自由ない暮らしができるのだから、関係のないことには目を向けるな、という暗黙のルールのような雰囲気も支配していたかもしれない。

が、その家の末っ子である赤ちゃんは、大人の思惑に触れることはない。何かを常に感じ取っていたせいだろうか、一日中わあわあと泣き叫んでおり、夜間の夜泣きもひどい。あの地獄のような音が聞こえるのだから、致し方ないかもしれない。赤ちゃんが特段、注目を受ける描き方はされていないので、心理学で言うトリックスター、的な存在感はない。

一方、夫は夫で、軍でのユダヤ人抹殺の計画を進めながらも、どこか体の不協和音のようなものが起きていて、ゲエゲエと吐いたり、自分で抱えているストレスを黙殺しようとしているようにも見えた。

が、夫も妻もどちらも、自分たちはこれでいいんだ、と今の考え方を変えようとはならないまま、映画は終わっていく。そして自ら、自分は幸福だと言って、収容所のまさに隣に住み続けたがる妻、それも大変恐ろしい。

心の本当の声に耳を傾けず、「今だけ金だけ自分だけ」といった、目先の利益を追求する今の世の中にありがちな風潮が、風刺されている作品であると言えるかもしれない。

塀の中の暮らしは描かれていないが、象徴的なシーンがあった。

https://natalie.mu/eiga/news/575703 こちらの記事に描かれた、レジスタンスとして活動して、ユダヤ人捕虜に食料を分け与えていた少女をモデルとし、この映画ではサーモグラフィ描写で、夜になるとこっそりとリンゴを土に植える少女の映像として描かれていたようである。映画鑑賞中は、この家の女の子が、夜になると抜け出すのか?と訳が分からなくなっていたが、帰り着く家が違うようなので、あれれ、、となっていた。

あと、ラストシーンで、死体焼却された人たちが履いていた、真っ黒に汚れた膨大な数の靴が、山積みにされていたシーン。これを見ると、心にズンと重くのしかかるものを感じた。(たしか、殺害されたユダヤ人たちは数百万人にものぼったという記事をどこかで読んだ記憶があった)


2024年6月30日日曜日

日本と世界・ホラー映画への一般的な感想



純粋な和製ホラーの場合、幽霊の気持ち悪さ以外にも、呪いやしきたり、念、など日本特有の背景への不気味さ、など、気味悪さも奥深かったりする。そういった発信側の作り方もそうだが、それを受け取る観客の感受性も含めて、物語の世界が作り上げられる感じがあるなあと思う。

 一般的には、Jホラーには「念」「呪い」というものが多く描かれ、すべての映画が大団円を迎えるものばかりではない。対応しようにも処理できないものは、処理できないものとして、そのままラストとなっても、映画の中で継続していくのである。それらがみんなの心に残って、スクリーンの外にも怖さが伝わり、残ってしまうのである。

一方、欧米人からしても気味悪いものは気味悪いだろうが、ハリウッド映画の場合はいつのまにかそれは、「モンスター」「悪魔・悪霊」といった、「悪」であったり「魂」であったりと、呪いや災いを解くべく、解放したり退治するべき対象として、つまり、放置せず、きちっと処理するべき対象として描かれている感がある。古い映画ほどその傾向が強いかもしれない。退治してしまうから、後を引く怖さはない。ゴーストバスターズのようなものである。

そもそも神様や霊などは、現代ではそこまで存在感はないが、古来の日本的な考え方だと特別な存在ではなくて、普段から周辺にあるものだという認識がある感じがすることから、認識や感受性の背景が違ってくるのかもしれない。 そして古来からのそれらが深かったり広かったりするほど、残り続ける「何かしら」も根強い。

添付画像を見て思い出したが、映画「シャイニング」が名画だと思える一つに、設定上、墓地をつぶして建てられた古いホテルが舞台であり、そこには土地を追われたインディアンたちの恨みがベースに敷かれているので幽霊は普通に出やすいこと、ホテル自身が不思議な力「シャイニング」を持っている(ここは欧米的。日本式だとやはり、「呪い」だと思うが、呪いばかりでも起きる現象が限られそうで面白味がない)、という比較的きちんと敷かれた背景があるのも、映画の奥行を深めていると思う。


2024年6月29日土曜日

シャッター(2008年 アメリカ)

 

奥菜恵が完全にオバケ役、不気味な女のキャラクターとなって登場。



この映画は監督が日本人のようなので、それなりに日本的なテイストが色濃かったようである。新婚旅行兼・仕事のために訪れた日本。車を運転していた道中の山道で、女性を轢いてしまったという出来事から、霊障に見舞われるようになったカップル。

仕事先の日本の会社を出入りする夫が、実は以前、英日通訳の女性と遊びで交際し、しつこく付きまとわれたことから逃げるために、ある時に同僚とつるんで薬を盛って暴力をふるい、恐喝じみたことをしていたことがわかった。そしてその相手が車で轢いてしまったと錯覚した女性(奥菜恵)であったことが分かった。

女性はすでに自殺しており、訪れた自宅には朽ち果てた遺体があり、なんと、青酸カリの瓶が3本も置いてあった。朽ちた遺体が、ねずみ色の油粘土で作った感があり、少し安っぽかったのと、青酸カリの瓶3本とは、あまりに多すぎるのでは?ないのだろうか。3本一気飲み?というのは、ものすごい荒業なような気がする。(漫画や本でしか知らないが、ほんの少しだけでも致死量になるのではなかっただろうか)

霊障による心霊写真、同僚の謎の変死、と心霊ホラーの典型的なエッセンスも取り入れたストーリーであった。