2020年12月31日木曜日

日本沈没(2006年)

 藤岡弘主演の方は見ていない。こちらは豊川悦司さんの田所博士、草なぎ剛さんの小野寺が登場している。


日本列島は1年以内に沈没することが判明したが、パニックを避けるためにあと5年で沈没すると公表した政府。受け入れ先の外国との交渉も難航する中、国民に「何もしない選択」も、日本人としてはしっくりくる、と言った総理大臣。序章の展開は全部もっともで、将来の天変地異が起きるときには、期せずしてこれと似たような対応がされそうな気がする。

 現実の話として、30年以内にほぼ確実に起きそうな南海トラフや首都直下巨大地震、富士山の噴火など、壊滅的な予想がされている以上、日本と言う劣悪物件の上にあえて住んでいる、としか言えないのが悲しい。人によって機会があれば、コロナが過ぎ去ったあとの将来にでも移住を考えたほうがいいのだろうか。

1970年代のドラマDVDをレンタルしたことがあるが、年代が古いため画面が暗くおどろおどろしさもあり、なんとなく不気味に感じるシーンもあり、インパクトの強い作品であったが、主人公たちは生き残って世界に移住していく、というラスト。

こちらの映画はラストの展開が違っていた。多数の死者を出しながらも、小野寺の自己犠牲により地面プレートの爆破に成功し、地面がひきずりこまれるのを防ぎ、なんとか全沈没は免れた、という結びであった。

日本沈没を調べていたら、2021年の秋ごろに新しくドラマが放送される予定もあるようであり、ちょっとしゃれにならない感があるなと感じてしまった。もしかすると来たる現実に向けて、備えよという意図があるのだろうか。



AI崩壊

 


AIが暴走を始め、人間を選別しだしたとき、どんな展開が待ち受けているのかがまさに映画化されたものである。劇場公開当初、新型コロナが出始めたころだったので、映画館での観覧をとりやめ、自宅で観られるようになってからようやく観ることになった。

警察庁理事官を演じる岩田剛典、主人公の義理の弟を演じる賀来賢人、と主人公以外にも大変魅力的なキャラクターが脇を固めている。理事官を務める岩田さんのくそ憎らしいエリートの役が大変印象的だったので少々調べたところ、慶大卒のエグザイルメンバーだったということが判明した。芸能界も昨今は高学歴の人が増えてきているように見える。

主人公が海外で生活している間に、日本の国家が破綻し、労働人口の激減によって人間選別を行わない限りもうもたないのだ、と理事官が告白したが、これは将来の日本に当てはまるのではないかと、少しゾクリとした。


2020年11月30日月曜日

ロボコップ(1987年)

 リアルタイムで観たという記憶があるが、最近まで再放送をまじまじと見ることはなかった。この映画の背景には近年、少し改善されたらしいが、デトロイトという大変治安の悪いアメリカの都市での凶悪犯罪の数々が象徴されているようである。

 相棒警官の女性、ルイス巡査は、明らかにマドンナ枠でマーフィのフォローをするという役割であり、警官としてはほとんど役に立っていない。ギャングの巣窟に潜入した後にあっけなくすきを突かれて蹴り倒されて気絶、結果、マーフィが一人つかまって殺されてしまう、という結果をたどる。物語の進行上にはしかたのない演出だったかもしれないが、男女警官ペアのみでギャングのたまりどころに潜入するのはいかがなものか、というのは実際の場合に問題になりそうである。

 腕をライフルで吹き飛ばされ、ハチの巣状態で銃撃された後、脳天に一発、とどめをさされるという散々な状況の中で息絶えたマーフィー。

 表向きには死亡扱いとなったため、マーフィの家族が家を売り払い、移転していなくなってしまったのをマーフィが後から知ることになったシーンは、ちょっと悲しかった。
 が、ロボとして再生するまでのチューニングシーンは面白く描かれている。

 ギャングのリーダー、クラレンスもかけたメガネが逆に厭味ったらしい感じで、悪役な雰囲気がよく出ていた。
 が、個人的には私はポンコツロボのED209がお気に入りである。コマ送りアニメ撮影によるぎこちない動き、渋い、威嚇的な音声も不気味で、大変良い味が出ている。そして、階段の上り下りができない情けなさがなんとも言えない感じである。

 クラレンスたちの追跡劇の中、ギャング仲間が工場廃液でドロドロにとけてしまうシーンもあったが、クラレンス自身は、意外に首への一撃であっさりと死んでしまうのがちょっとあっけなかった。


ポンコツロボットのED209。初登場シーンでいきなり、無実の人をなぶり殺しにしてしまった。威圧感のものすごい、しぶい声がとても魅力的である。

劇中の報道番組の合間のCM。恐竜の仕上がりや動きは少しちゃちだが、大変ユーモアにあふれている。「大きいことはいいことだ」、といういかにもアメリカらしいコピーのついた、車のコマーシャル。だがそれは、広大な国土があるからこそであり、日本とは事情が違いすぎる。

 

2020年11月3日火曜日

ショーン・コネリーさんが亡くなりました。

映画界のレジェンド、ショーン・コネリーさんが90歳で亡くなられました。ご冥福をお祈りします。

 ジェームズボンドをやっていたころ、それはそれはかっこいい人だなあ、と感心してみていたものだった。長身で均整のとれたスタイルはもとより、表情もダンディでクールな感じがしていた。亡くなった父が、「今日は007やるから見よう」と、放送日の晩になるとそう言っていたのを覚えている。子供だった私もつられて見はしたものの、印象的なシーンはところどころ覚えてはいるものの、ストーリーの完全な把握は全くできていなかった。そんな中での ショーンさんであった。

 後年の印象は、アンタッチャブルでの老警官の役などである。最近になってから、昔の浜美枝さんががボンドガールをしたころのフィルムを見たりし、往年の007映画を再鑑賞してみた。昔の映画であるにかかわらず、このシリーズは古臭さをそう感じさせない、秀逸な作品だなあと感じた。


どこか皮肉な意思を感じさせる目が魅惑的


近年のショーンさん。間違いなくおじいさんだが、やはりかっこいい。



2020年10月27日火曜日

復活の日(1980年)

1980年公開の映画で、海外タイトルは、「Virs」らしい。原作は、1964年に小松左京によって書かれた小説である。

 映画としてかなりの年季もので、私も子供だった時分のものだったため、題名がいまいちピンとこなかった。そのころ、「人間の証明」やら、「野生の証明」などといったなんやら響きに重さを感じさせるタイトルの映画が出回り、タイトルを見て小難しそうだなあ、と思ったきり、特に見たいとも何とも思わなかったものである。

 野生の証明は、主演の薬師丸ひろ子の薬師丸の「お父さん、怖いよ。何か来るよ。大勢でお父さんを殺しに来るよ」というセリフがCMで流れていたかな?という記憶と、人間の証明は、ずっと後で観た時に、「ぼくの帽子」という詩の中で、「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。」というのが劇中に流れていたのが印象的であった。

 その当時の映画には、それぞれのキャッチコピー的なものがあったようである。が、ジョーズだのエイリアンだのといった、わかりやすいハリウッド映画は、ストーリーが把握できなくても見て盛り上がれたものの、こういった大人向けの邦画は、当初はいまいちとりつきが悪かった。きちんと、事件の背景やら内情の把握、時系列の把握などといった、細かい設定を理解しないとわからないからである。

 この映画を初めて見たのも数年前くらいだった。米ソ冷戦時代の当時を反映する映画設定であり、「米ソは互いを粉砕することができる。そのために核兵器禁止条約によってお互いが手出しをできなくなった。そこで、新たな兵器が必要になったのだ。」とのセリフが。互いにつぶし合う、という時点でかなりまずいとしか言えなそうだが。そこで、このウィルスである。現在世界中で蔓延している新型コロナウィルスとかぶってしまう。

 人間の本性はとても獰猛で残忍、好戦的で同族搾取、支配、殺戮が大好きな種族である、と言えるのは悲しい。あたたかな、人間的な面ももちろんあるが、そんな人や立場ばかりではないから、現実面でも多種多様な問題が起きている。気違いが核ミサイルのスイッチや、その他重要兵器を握れば、この映画のように人類が滅んでしまうのである、とこの映画は訴えている。


 

2020年10月10日土曜日

シャイニング(1980年) ~往年の名作~

 

1921年、手前中央にいるジャックはすでにこのホテルにおり、ダンスホールで楽し気に写真に映っている。

「ジャックは最後、ホテルにとりこまれたために後から写真に参加した」という風に私はとらえていたが、ネット解説の一つに、次のようなことが書かれていた。そちらのほうにも納得したのだが、1921年にホールで映っていたジャックは実在し、その死後に、家族を殺して自分も猟銃自殺をした前の管理人・グレイディに転生し、その死後に現在のジャックに転生した、という見方があった。グレイディ事件の時系列に無理がなければ、それもありである。トイレのシーンで、グレイディが「あなたはずっと管理人ですよ」とジャックに言ったのが大変謎であったが、そのくだりもあるから、そちらの見立てが合っているのかもしれない。

 有名な名作ホラーなのでとりたててどうという書き込みもしないが、双子の女の子の亡霊のシーン、ダニーが廊下を三輪車で走るシーン、血が噴き出すエレベーターホール、風呂に現れた老婆の腐乱死体、客室からのぞき込む犬?妖怪と男、美しいが恐ろしい雪景色の巨大立体迷路など、象徴的な画像がもりだくさんであり、それらが美しく、大変印象深いところも名作たるゆえんと言える。

バタリアン(1985年)~往年の名作~

 


 特に売れっ子な俳優を際立たせるなどせずに、ストーリーの面白さでグイグイとすすむ展開が良かった。今はすっかり死語となり果てた?「オバタリアン」(オバハンをやや面白おかしく野次った感じ、別称的なもの)という単語はここから発祥していた。老婆ゾンビがちぎれた背骨をゆさゆさしながらしゃべる姿は強烈な印象をもたらし、すっかり有名に。そしてここから転じてオバタリアン、となったとか。

 生物標本の会社に就職した若い青年フレディ、その教育係のおじさん、フランク。フランクの悪ふざけによって、タンクの毒ガスがもれてしまい、街は大惨事に。暴れだした標本用の人間の死体の取り押さえに、駆け付けた社長とともに奮闘する。犬の半身標本も吠え出したりと、ドタバタ感があり面白い。

 葬儀屋アーニーの飄々とした感じもなかなか良かったが、フレディの死に至るまでの演技が意外と上手だったのではないか?という気がした。ガスを吸い込んでからどんどん具合が悪くなっていって半べそをかきながら痛みを訴え、一瞬の死亡時間をおいてから蘇り、バタリアンとなって凶暴に豹変するところも、演技を忘れさせる自然さがあった。

 問題解決なら爆破だ、という大変に大雑把な(アメリカ的?)発想により、バタリアンが大量発生した町がミサイルで吹き飛ばされる。が、問題解決には至っていない。バタリアンが吹き飛んだ煙や灰からまたガスが発生し、新たなバタリアンを生んでしまうからだ。この大雑把さが、次への不安要素を呼び寄せるラストとなっている。