2025年2月15日土曜日

2001年宇宙の旅(1968年 アメリカ)

 

アーサー・c・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督作品。

初めて見たのはまだ子供のころ、実家で確か父と一緒に家のテレビで見ていた記憶があった。サルがこん棒のようなものを手にして勝ち誇ったポーズをとったシーン、コンピューターが二人の宇宙飛行士の会話を、唇の動きで読み取っているシーン、宇宙飛行士が怒り、機能を解除したシーンを印象的に覚えていた。 

再度、十年ほど前に見たときは、最後のシーンの室内がずいぶん美しいなあと感じたこと、宇宙飛行士の人間として迎えた最期のシーンだったというのを理解はした。 今回は全体的な流れをうまくつかみたいというのもあったので、それぞれのシーンが何を言わんとしているかを確かめてみた。

結局なぜ一度見てわかりづらいかと言うと、それぞれのシーンは美しく、クラシックの名曲も流れてとても詩的で感動的であり、印象付けとしては強いのだが、シーンによって物語の展開が異常に遅く、集中力が奪われ、セリフ部分も異常に少ないことから、結局よくわからなかった、ということになっているのである。

見てもわかりづらいため、ネットレビューなども併せてみた。 https://www.google.com/search?q=2001%E5%B9%B4%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E6%97%85&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8

大体想像通りだが、最後に生き残った宇宙飛行士は、モノリスによって、宇宙生命体に転生した、ということらしい。モノリスによって一部のサルが道具を使うという知恵を得て進化し、人間となり、(一部の人間が)やがて行き着く最終形態は宇宙生命体である、という話だろうか。

そして、AIに頼り切ることへの危険性が、この作品でも描かれていた。AIの不具合により、人間の抹殺という恐ろしい事故が起こり、コールドスリープの乗組員も全員生命維持を停止されて殺されてしまったわけだが、たまたま後日見た動画で、イーロン・マスクがこんな解説を入れていた。https://www.youtube.com/watch?v=FU07R8LIrxc&t=1s (8:56~あたりから。AIが100%正直であるべきである、という彼の考え方には、とても共感を感じる。)

解説を見ていくと、乗組員をモノリスに「連れていく義務」と、彼らにモノリスの存在を「知らせてはいけないという義務」の矛盾にAIが挟まれた結果、全員殺して連れていく、という選択になってしまったのだそうである。そして、職務上AIは、どちらの義務も果たしたことになった。そこがAIの怖さでもあると言えるし、場面は違えど迎える未来にも起きそうな話である。 そういえば、AIをシャットダウンさせている途中のシーンで、ビデオ録画メッセージが入り、木星につくまでは任務は秘密だという話が入っていたようだった。

何でもかんでも極秘にしすぎたせいで、事故も起きやすいのでは、という気もする。モノリスの存在を隠すため、ロシア?などの関係者には感染症が広がっているというデマを流し、立ち入り禁止にしている区域もあるという話もしていたので、国家の覇権争いの生臭さも感じる。