2016年9月14日水曜日

ラストサマー (I Know What You Did Last Summer /1997) 午後ローより

副題をつけるなら、「カギ爪男は死なず」である。
 この映画は割りと有名で、いろいろな放送網で放映されているけれども、なんとなくチープな感じがして、きちんと視聴したことがなかったのだが、今回はまじめに見てみた。

 砂浜でたわむれる4人の男女の会話に出てくる、カギ爪男の話。「車を引っかく異様な音がする。男のほうが調べてくると言って車を降りたが、様子がおかしい。ひっかく音がポトンポトンという音に変わり、それは木にぶらさがった彼の死体からしたたる血だった。」だの、アメリカンスリラーらしいほら話であった。
 個人的にはそういう話より、車からは降りなかったが、家に帰り着くと血のついたカギ爪が車に突き刺さっていた、という最後にしていた話のほうが好きである。

 本編に戻る。これまたアメリカ映画らしい、イチャイチャダブルデート(ここもチープな演出)の帰り、浮わついた運転をして夜道で人をはねてしまった。何が何でも警察に届け出たくない。停車中を知人に見られたため、証拠隠滅のために遺体を捨てに行く。
 途中、息をふきかえしたのに隠し通すため湖?に沈めてとどめをさす、という悪質さ。どう見ても殺人なのに「いいか、事故だ。事故だったんだ。俺らは、誰も悪くない。」と言い放つ男は強引だった。
死んでるよ・・。どうしたらいいんだ。そうだ、何もなかったことにするんだ。

 車にはねられ重傷を負い、水中に沈められて、なお生きていたというありえなさ。そして死ななかったこの怪人がカギ爪男となってみんなを襲い、殺していく。

恐怖のカギ爪男。このいでたちもチープである。
ちょっとがっかりだったのが、カギ爪男が後半、マスクをとった普通の私服姿で登場し、ただの「気違いオヤジ」の外見になってしまったことである。死なないで神出鬼没なのだったら、モンスターなのだから、顔は割れないほうがいいと思うのだが・・。

 カギ爪男が手首を切断して海に転落したので、死亡が期待されたのだが、最後は襲撃必至の?シャワーシーンになった。生き残った女の子が一人、シャワールームに。「去年の夏のことを知っているぞ」という落書きを見たあと、まもなくそのガラスがバーンと割れて、何かが襲ってきた。

 これもなかなかチープな感じのエンディングとしてまとまっている。





2016年9月13日火曜日

大洪水(De Storm 2009年オランダ)

レンタルDVDのサイトだったか、ショップだったか忘れてしまったのだが、DVDチラシのようなものにひっかかってしまったのがきっかけで見ることになった。

たしか、これにだまされたのだと思う。ディザスターパニックものだと思ったのだが・・。

公開された国では、内容にきちんと沿ったものが出ているようで、上部掲載のものとは大違い。

 
偽装もはなはだしいのにあきれかえったが、内容は見てみて、まずまずだった。常に牧歌的なオランダの農村部を背景に、腰~首くらいまで浸水した中での人々のやりとりがメイン。人生ドラマそのものより、農村である雰囲気が崩れないまま、遠浅の水がずっと満ちている風景が美しく幻想的で、個人的にはそちらが見所だったと思う。

主人公を助け、後のパートナーとなる人物との出会い。

主人公は何度も無理を言って赤ん坊の捜索に出る。

村人の多くが、このホテルに避難し、上階部分に身を寄せた。
細く盛り上がった道の部分だけ、どうにか水没をまぬがれている。

ストーリーは、嵐で海水が内陸部まで押し寄せ(オランダは、土地が海水面より低い地形である)、一時期は家屋の二階部まで水がきて、家族たちを失ったりする中、主人公の女性が、自分の産んだ赤ん坊を見失って必死に探し回るあらすじ。

 その当時の1953年の世間では、未婚の母が異端扱いされ、差別され疎んじられていて、映画の中でも主人公は、父親にも子供の存在を認めてもらえず不遇な立場にあった。彼女の、何事にも意固地になるその頑固で自己中心的な行動にたびたびイラッとしながら見ていたが、結局生まれた子供は、子供を亡くした別の母親がこっそり連れ去り、そのまま18年たってしまう。そして、やや気の毒な結末を迎える。
 大堤防の落成イベントに出席し、ふとしたことで生き別れた子供と再会するのだが、子供はやはり、生みの母である自分にではなく、育ての親のもとに歩み戻っていく、というラスト。



2016年9月12日月曜日

2012 Doomsday (和名:2012)

画像はストーリー上のイメージで、このようなシーンは、なかった

ディザスターパニックものという分類なのだろうが、実際の大災害シーンは、ほぼ、ない。
雪や雹(ひょう)のふる部分が、CG画像で出てくるだけである。

通信通話をしている会社員の会話で、災害が世界的規模なのだということだけ演出されている。

このような地味で低予算な環境の中、不思議を感じさせるのは、使命を終えたと思われる人物が、ある瞬間に忽然と姿を消してしまうところ。

嵐にもまれる乱気流をなんとか乗り切る二人乗りの小型ジェット。その中で死んだ家族への思いを語り合う二人だが、無事着陸がすんで、飛行機を出してくれた友人が、自分の役割はここまでだ、と言ったあと、ふと目を離した瞬間、忽然と姿を消している。

目的地に向かう車内で語り合う母と娘。私は神様を信じるし、この世はすべて神様の贈り物。あなたも最高の贈り物だった、と心安らかな表情で語る母。エンジンの不調で娘がボンネットをあけて調べるうちに、こちらも忽然と消えてしまった。

神を信じる者が世界の終わりの前に神に天に引き上げられる、という以前に書いたニコラス・ケイジの「レフト・ビハインド」映画の話のような状況を思わせた。

最後は、同行者が途中で亡くなるなどつらい思いをしながら数人の男女(臨月の妊婦と女性二人と初老にさしかかりそうなおじさん二人)がマヤの遺跡にたどり着く。そしてそこ以外は崩壊の危機に陥り、世界が終わるのである・・。最後にその遺跡の中で誰かが言った。「この世はこれで終わるの。そしてまた、この場所でこれからが始まるの。」(そんなばかな)

2016年8月30日火曜日

地底探検 (Journey to the Center of the Earth 1959年 アメリカ作品)



 後々、何度かリメークされているようで、おそらく、「センターオブジアース」映画の元祖であると思われる。
 子供のころ、TVでやっていたのを座っておとなしく見ていた記憶がある。
子供なので、字幕を読みきれるはずもなく、吹き替えだったとしても個々の事情がわかるわけもなかった。
 大学教授や、その学生でもあり婚約者を残して旅に出てきた青年、研究を横取りしようとした学者の未亡人が急きょ、旅に参加することになった事情、その他もろもろ、今となってようやくわかったが、当時はさっぱりわからないまま、下記のシーンだけ覚えていた。

 
洞窟の外は海だったが、洞窟内の怪獣が砂浜の一行に気づいて、彼らを食べようと、いっせいに穴ぐらから下りて出てくる。高いところの穴からは、「バタリ」「ドサリ」と音を立てて降りてきて、不気味な感じがした。

最終地点で遭遇した巨大トカゲ怪獣。右側が探検隊。

 
アトランティスの遺品、アスベストの大皿に乗って、火山流の吹き上げる火柱に押し上げられて脱出。


晴れやかなフィナーレ。当時は無事、帰れたんだな、となんとなくわかった。

2016年8月28日日曜日

「神様の言うとおり」


コミックが原作の、2014年の作品。
15~18歳?だったか、その年齢層の若者がターゲットでゲーム会場に誘導され、無茶苦茶ルールを各オバケから押し付けられる。そして、そのとおりに出来なかった者は、全員処刑されてしまう。

「ラスト・ワールド」



大学?の授業で、定員10名のシェルターに入るには、20人いる人数からどういう人員選別を行うかを、クラスでシュミレーションしながら討論をしていく、という話。

「ゾンビ・ナイト」

 どうしてゾンビが、ホラーでの人気ジャンルになるのかを考えてみた。ゾンビは醜悪であり、おそろしい。
 しかしそれ以前に、生きていても死んでいても、人体の一部もしくは全部が、大きく損壊したり、腐敗して変色・変質したりするのを見るのは、やはりおそろしい。恐怖は、そこからもきているのではないだろうか。
 変質してしまった「人間だった」ものが、どす黒くなって、うめき声をあげながら襲い掛かってきたら、やっぱり怖いと思う。

 ゾンビものはたくさん見ているので見飽きてはいるのだが、たまに見ると、「逃げて、逃げてー」とか「ばか!そっちじゃない!」「何やってるんだ・・」「そうだ、それだ!」と、ハラハラしたりほっとしたりするところが、一種のストレス解消剤となっているのかなと思う。
 

 夜、墓地の土中から、次々に起き上がって徘徊を始めるゾンビたち。通行中の数人連れの中の女性、両足のもげた不審者にからまれ、ギャーと叫んでそれを振り切った後、逃げるのはいいのだが、仲間の呼びかけにも応じず、墓地の奥まで走る走る・・。いったいどこまで行ってしまうのだろう。①

 危ないから家の外に出るな!という家の主人の言葉に反発し、出ていくと言って聞かない女性。部屋に監禁されて、悪あがきして窓をあけ、外に出ようとしたら、案の定、ゾンビに侵入されて襲われた。②

 セーフルーム(アメリカの裕福な家庭にある?)で待っていろと言われたにかかわらず、男の子はじっとしておられずに階段を下り、②の女の人を出してあげようと、家族たちが言い合いしているスキに監禁部屋のカギを開け、ドアまでご丁寧にあけてしまう・・。③

 そしてゾンビたちに襲われ、助けに入った家族も襲われる。それでもなんとか倒し、重傷を負うはめになった男性1名をかばいながら全員でセーフルームへ。
 重傷の男性が死亡し、ゾンビ化する前に頭を打ちぬいておこうという父親を、泣いてとめる母親。死亡後、早く処理すればいいのに、なぜか自身も泣き崩れ、彼を銃で撃たない父親。そうこうするうちに男性が起き上がり、父親を襲撃・・。④

 ゾンビの大群相手に、一人で板のバリケードを押さえていたお父さん。これはまず、助からないと思われたのに、あとから、家族の元に無事にやってきた。これもちょっとありえない。⑤

 ゾンビ映画の歴史はすでに数十年たち、作品数も数しれない。そうした中で、銃でゾンビを倒す方法、それは「頭を撃ち抜く」通説である。
 しかし、最近?出たらしいこの映画でも、どうせあとから「頭を狙え」となるくせに、途中までずっとゾンビの体しか撃たずに襲われ続け、ドタバタ状態を繰り返す。⑥
 
 上記①~⑥でよくわかる、登場人物たちの愚鈍さと、ありえないシチュエーションが目に余った。まあ、墓場の背景感、街の雰囲気や住宅街の雰囲気、ガラス張りの温室のシーン、きれいにいい感じに描かれているのと、ゾンビのメイクの質は良いと思うので、いい部分もなきにしもあらずだった。