畑の迷路感からくる恐れや、そこに何かが潜んでいるかもしれない、案山子(スケアクロウ。かかし)が動き出したりするという恐怖感を題材にした映画は数々作られている。とくに「スケアクロウ」というのは、モンスターの一角を確立した存在のようである。
全部見たい、というほどの興味はないが、ホラー映画において、案山子という題材は、一つのジャンルを築いているようである。
畑の迷路感からくる恐れや、そこに何かが潜んでいるかもしれない、案山子(スケアクロウ。かかし)が動き出したりするという恐怖感を題材にした映画は数々作られている。とくに「スケアクロウ」というのは、モンスターの一角を確立した存在のようである。
全部見たい、というほどの興味はないが、ホラー映画において、案山子という題材は、一つのジャンルを築いているようである。
S・キングの名作短編を改めて映画化した戦慄のホラー。広大なトウモロコシ畑が廃棄されることになり、カリスマ的リーダーに扇動された子どもたちが大人たちに反旗を翻す。(説明文より) |
悪徳企業に騙され、トウモロコシの品種改良に失敗したためにトウモロコシをやめようとしたら、その畑にいる魔物と懇意になっていた少女が、子供たちを味方につけて大人たちを殺しだした、というめちゃくちゃな話である。
設定はむちゃくちゃだが、この話の伏線には、こんな伝説のような言い伝えがあるようである。「トウモロコシ畑は深い森のようになっているから、迷子にもなるし不気味である。そこにはトウモロコシ畑に住む妖精や魔物がおり、迷い込んだものを取り込んでしまうことがある。」
日本の作家、村上春樹のショートショートにもたしか、「アスパラガス」の畑の話があり、夜になると毒ガスを発生させて倒れた人を襲う、といった話だったか、昔たまたま読んだ記憶がある。
アスパラガスが毒ガスを出す?という設定から、やはり不気味なものの存在としてとらえていたのだろうか。
森林よりも背は低いのだが、食用として植えるが相当高く育って人の背をこえることから、迷路のように生い茂る、トウモロコシやアスパラガス。そこから迷路・魔物の存在が、イマジネーションとして現れてくるようである。
XメンのプロフェッサーXことエグゼビア教授、を演じたジェームズ マカヴォイの主演。どうしてもエグゼビア教授のイメージが強いが、久しぶりに見ると、ずいぶんマッチョ体型になっていた。 |
旅先ですでに彼らの人間狩りは始まっていた。無職、移住者、などの周囲とのつながりがうすく、存在の有無が気にされない家族たち、そういう人達がおそらく狩りの対象者であることだと思われる。狩りの対象を見つけて自宅に招待し、最後に記念写真をとってから殺害して金品を奪うというやり口で、生計をたてているようであった。写真はアルバムに貼られ、少しづつ増えていく。
強盗殺人の変型版のようなものである。アメリカは国土が広大で、隣家との距離もあり、銃社会であることから、このようなストーリーが出来上がったと思われる。
話をすすめていくうちに、ホストの夫婦の挙動がおかしいこと、息子さん(本当は家族を殺された後に舌を切られてしゃべれなくなった子ども)の様子もおかしいことに、だんだんと不気味な雰囲気が増していく。
森に入った主人公たちがいろんなことを見たり体験をしていく、という漠然とした記憶しかなかった中、ふと読んでみた。森の中には一年をつかさどる各月の精霊がいて、それぞれ月替わりに交互に担当月の精霊があらわれ、季節を塗り替えていくという世界のようだった。
そこへ、シンデレラのようなあらすじだが、器量が良く性格も良い女の子が、継母といじわるな姉に虐げられて、寒い森へまきを取りに行かされたり、わがままな女王の褒美の金貨が欲しくなった継母たちに、季節外の花を取りに行かされたりと、大変こき使われる。
そこを、老兵や、季節の精霊たちに助けられ、継母たちは犬に変えられたり、女王もやり取りの中でわがままを改めたりと、事態は好転していく。
物語の味わいどころは、森や花・雪・精霊たち・たき火のぬくもり、金貨、宝石、女王と家来たちを登場させることで、自然の美しさときらびやかさ、取り囲む大人数の人達、ということで華やかなクリスマス的な舞台が想像できるような、そんなところではないだろうか。
映像が発達していなかった過去ほど、自分の頭を使って空想する世界が、読書の醍醐味だったと思われる。ただ、こういう本を読むと、なんだかいろいろ話の展開の仕方や、全体的な雰囲気が、すでに昔っぽいという印象である。
話の設定的には「シンデレラ」ととてもよく似ているのだが、どちらが先にできた話かというと、シンデレラのようで、ディズニー映画は1950年製作だが、原作の話はもっと古く、フランスの作家シャルル・ペローによって1697年に書かれた「サンドリヨン」だということなので、シンデレラの方が古そうである。
筒井康隆原作、小松左京の「日本沈没」のパロディを映画化したもの。 |
日本以外の世界の国々が、地殻変動によってすべて沈没し、日本の人口の数倍の外国人たちが、狭い日本に押し寄せてきた。食料自給率の低い日本なので、多くの食料価格は高騰したが、一部の食品は制度変革で低価格化もすすんだ。各国貨幣は暴落し、多くの外国人が持ち金の無価値化でホームレスとなり、治安も悪化。某国の者たちが謀反を起こして日本の首相を人質にとり、クーデターのようなものを起こすが、駆け付けた田所博士の予言のとおり、日本も沈没していった。田所博士が冒頭で、今後のマントルの動きについての説明をするときになぜか要領を得ない、めちゃくちゃな感じでお茶を濁し、ケムを巻くように退散したのが気になっていたが、これは最後の伏線であった。
話の顛末は別として、どこか既視感を感じさせる内容であり、少し不気味な感じもしないでもなかった。
それはさておき、パロディだけあり、ところどころにそれを感じさせるものがあった。「日本沈没」の1970年代作で小野寺を演じた村野武則や藤岡弘がそれぞれ、日本の首相や防衛庁幹部などを演じていた。他にも、よく見ると海外著名人のそっくりさん的な配役の人が、ところどころで面白おかしく登場している。
日本も最後に沈没するとわかったとたん、お互いに覇権を争いドタバタと取っ組み合いしていた者たちの間に、つかの間の平和が訪れた。どうしてもっと早くこれを迎えることができなかったのか。いつまでも醜い人間たちを、神様が見捨てて滅亡させることにした、そう思ってしまっても仕方がないなあという、そんな後味を残しながら終わった。