2022年7月18日月曜日

バタフライ・エフェクト

 

何度も過去に戻ってやり直すも、ことごとくバッドエンドとなる展開。


 子供のころから記憶を良くなくすという経験のある主人公は、日記をつけるということを日課にした。その日記を見つめていると、周りの風景が揺れだして過去に戻れるのだが、行動を意図した選択でやりなおせるということに気づいた。ところが、良かれと思って行動をとった結果、現実に戻ると、主人公や、他の人が不幸になっているという結末となっている。

 だが、最愛の彼女をどうしても救いたいと考え、とうとう主人公がたどり着いた結論は、彼女に自分が恋愛の相手にならないような言動をとることであった。

 主人公はイケメンだなあ、と思ってみていたら、有名なアシュトン・カッチャーだったようであるが、見る映画の傾向としてあまり見かけないため、名前だけの認識となっていたようであった。甘いマスクながらも時折見せる、真剣な面持ちがこの人の魅力なのではないか、と思った。

2022年7月14日木曜日

楽園追放(2014年 日本)アニメ映画

 

未来の地球。人類の多くは荒廃した地上を捨て、電脳世界ディーヴァで暮らすようになっていた。現実でも今、内閣府によって「ムーンショットとは人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会の実現」と、定義されているが・・。

人類の98%が移住しているといわれている「楽園」ディーヴァ。社会に貢献する程度によって、与えられるメモリの高低が区分され、生活の快適性に格差が生じているようである。

電脳世界の外に暮らす人も少数おり、100年以上前から誕生したAIもいて、進化を続けて人格を獲得したようであった。そのAIは、自分らしく生きることを存在理由としてあげ、電脳化する人々と逆を行く、対局的な存在であった。そして彼は、果てしない宇宙へ旅立つことを計画し、それを決行するのであった。

 キャラクターの絵柄はいかにもオタが好みそうなデザインの少女に、パートナーはヒゲを生やしたちょい悪おやじ風優男、といった感じで、はっきり言って好みではなかった。が、動画サイトでだったか、人々がやがて暮らすことを仮定した世界ではないかと言われるものの想像が描かれているようだったので、参考になるかはわからないが、垣間見てみようと思ったわけである。

 電脳ディーヴァは、完全に支配者によって管理され、実績を積むことでよりその中での生活が充実するというものだが、いったん反抗的だとみなされると、市民権をはく奪されて檻のようなところに収監されるという怖いところでもあった。歯向かわなければ安全な暮らしが待っているといえども、それすら支配者の意向によってどうにでも決められてしまうのは恐ろしい。

 一方、荒廃した現実世界の中で暮らす人たちは、物々交換もあったりと原始的で、こちらは生活力がないと即、死んでしまうような場所であったが、音楽があったり、食べ物の味があったり、人間らしいといえば人間らしい暮らしがあり、それを求める人たちが選ぶ場所なのだろうか。物質に縛られすぎても生きることが苦しくなりそうで、表面だけ見ていると、ディーヴァとどちらがいいのかわからない。

 そして第三の道が、AIが計画していた宇宙への冒険であった。宇宙船はいわゆる閉鎖空間であり、何かが嫌になっても外に逃げられない。そして、安全にどこかの地に着陸できるとも限らない。少なくとも宇宙船の内部がどのようになっていて、水・食糧・空気が確保され、運動スペースもあり、重力もできればあって、退屈もしのげるのか、したくはないが最悪安楽死もできるようにするなどはっきりしないと、乗り込む気になれない。

 この映画の中でどれを選択するかは、見ている人によるだろうが、現実世界で暮らしている以上、一番今のところ、現実世界への安心感はある。



2022年7月13日水曜日

パラドクス(2014年 メキシコ)

 

時間ループものの映画もあるが、こちらはある空間に閉じ込められて出られなくなるという話。

閉鎖空間はここでは4通り描かれるが、主に二つの空間が取り上げられている。

一つは、エレベーターの裏の階段の回廊。1~9階まであるが、その上下はやはり、同じ1~9階の空間が延々と続くだけである。警官と兄弟(兄は警官に撃たれた傷が元で間もなく死亡)がそこから出られなくなり、水と食料だけは無尽蔵に出現するため、35年間もそこでそのまま生きている。

もう一つは、母と継父、兄妹で旅行に出かけるが、ある区間がループして、そこから出られなくなる。(妹は、継父からもらったジュースのアレルギーで喘息の発作がひどくなり、やがて死亡。)こちらもガソリンスタンドから無尽蔵に水と食料が湧き出るため、飢えることなく35年間暮らし続けた。

その後、年老いた警官、年老いた継父が死ぬが、「エレベーターに乗るな」「パトカーに乗るな」と警告を発していた。

が、それを無視して回廊からエレベーターに乗った弟、彼は、そこに置いてあった制服を着ることでエレベーターボーイとなるが、ホテルの廊下という閉鎖空間へ迷い込む。

一方、パトカーを発見して乗り込んだ兄は、おいてあった服装に着替え、ひげをそり、警官に成り代わって回廊に迷い込むルートをとるのだった。

警告の意味はなく、そもそも彼らがそういう役割使命をもった、そういう存在なのかもしれない。というのは、話の中で、現実の世界の彼らもまたいて、そちらは幸福な暮らしを送っているが、彼らのために、自分たちはこのような生涯を送るのだ、という会話があったからである。

一つの考察だが、現実世界のために犠牲になる、というのはわからないが、パラレルワールドというとらえ方もあるかもしれない。同じ自分だが、無数の空間の中に無数にいて、それぞれが異なった状況の中にいる、という話もあるわけで、そのパラレルワールドの一つの話、ともとらえられる気はする。

が、映画の焦点としては、ループする空間に閉じ込められた絶望感がよく描かれているため、地獄だなあと感じられるのである。

時空系怪談というのもあり、とても近いまっすぐな道で、すぐに着くはずなのに、なぜかいつまでも到着しない、という話もある。きつねに化かされたとも言われるが、これはちょっと一服するなど気分転換をすると、その状態から解けるというのが一般的な話なので、こちらの映画よりは絶望感が少ない。



2022年7月11日月曜日

Evil Dead II(1987年アメリカ)

 

邦題は、死霊のはらわた2で、ゾンビものの区分に入るようだが、惨劇は山小屋の中で主に起きていく話。恐ろしい悪霊を呪文でよみがえらせたのが発端。こちらも悪霊の呪いによって、小屋とその周辺の土地が堂々巡りの閉鎖空間となり、橋や道がなくなって外部に脱出ができなくなってしまう、という状況。

 かなり前にワンシーン(予告?)を見た記憶があり、森の中でゾンビになっている女性の体が、くるくる、くるくると踊るシーンだったと覚えているが、そこが印象的だった。が、それきり見る機会がなく、そのまま放置して忘れてしまったが、やっとレンタルで見ることができた。とにかくスプラッターというだけあり、グロで、汚い・ショッキングなシーンが多い。

しかしなんだかギャグっぽい雰囲気が漂って笑いを誘う場面もいくつかあるというところが、主演のブルース・キャンベルさんのユーモアセンスのもたらすところなのかなあと感じた。

悪霊を異次元に吹き飛ばす呪文を唱え、退散させたまでは良かったが、主人公も異次元に飛ばされ、中世のようなところにたどりついてしまうというエンディングだった。

2022年7月10日日曜日

高慢と偏見とゾンビ

 

イギリス貴族たちを中心とした、中世のロマンを舞台に描いている。

ここでのゾンビは知能が高く、会話をして人間をだましたり、人間社会に監視をくぐりながらうまく溶け込んで攻撃を仕掛けるタイプであり、人間が劣勢に追い込まれていた。

中世貴族のお屋敷など、雰囲気を味わいながら、ゾンビとの戦いや恋愛も描かれている、スタイリッシュ系ゾンビ映画である。お屋敷の姉妹たちも格闘技の心得があり、ドレスの下に剣を隠したりと、そちらも見どころである。

2022年7月9日土曜日

海底47m 古代マヤの死の迷宮

 

「海底47m」という映画を以前見たことがあるが、邦題はかなりそっくりで、そちらの続編的な取り扱いなのだろうか。




こちらが、以前見たことのある映画、「海底47m」。

海底47m、のほうは、スタッフの男性がサメに襲撃されてまず最初に死ぬが、古代マヤ・・のほうも似た感じの展開であった。赤い非常灯に照らされる人食い鮫の不気味で大きな口のシーンも共通しており、「姉妹映画」といえるのだろうか。

盲目のサメ1匹から逃れられればなんとかなるのかと思いきや、通路の埋没、酸素の欠乏、サメが2匹出現、脱出ロープの破損、激しい潮流などなどのいろいろな障壁が少女たちの目の前に立ちふさがる。

そもそもから言ってしまえばおしまいだが、素人が何の心得もなくいきなり洞窟ダイビングを始めてしまう、というのも大変に危なっかしく、やることが大変無鉄砲すぎる。脱出ロープを横取りすべく、割り込んでよじ登る友人(天罰が下ってサメの餌食に)など、やや自業自得なところもあった。ケイブダイビングを強くすすめてきた少女もサメとの格闘の末に窒息死、主人公の父親もやられ、また、主人公の少女たちも最期までサメとの格闘があり、飽きさせない展開であった。


2022年7月7日木曜日

PLAN 75 を観てきました

 

高齢化が進む近年の世相を反映した映画。核家族化・少子化が進んで、家族同士で互いの面倒をみれないというケースも少なくない中、生活の行き詰った高齢者が直面する問題。そこで、こんな制度ができたら、という話。

内容は重いが、とても考えさせられる話ではある。平均寿命=健康寿命と大きくかけ離れるケースも多い。少子化も進み、年金破綻や健康保険制度の危うさも叫ばれ、高齢者自身も自分の生活を守るには健康もお金も必要となってくるが、立ち行かなくなっていく人たちがいる。そんな中、苦肉の策として現れた制度が、75歳からの選択制安楽死制度だった。

本当は健康な体で、家族や仲間に囲まれ、自身の生活もゆとりをもって、いつまでも楽しく暮らしたいはず。生まれたからには当然の欲求だと思うが、それがかなわなかったために死を選ぶ、というのがとても悲しい。ただ、本当に苦しいと思いながら暮らしている人にとっては、悲しいが、その方法が本当に安楽死なら、救いにもなるのかもしれない。なので、この話に真っ向から否定する気にはなれないのである。