【公開日】2025年初夏公開予定
【出演】小栗有以(AKB48) 船ヶ山哲 大熊杏優 大関れいか2025年4月13日日曜日
国産新感覚ホラームービー 『2025年7月5日 午前4時18分』
最近見に行きたい映画がなく
https://branc.jp/article/2024/11/13/1341.html?pickup_list_click2=true
https://branc.jp/article/2025/01/20/1420.html?pickup_list_click1=true
脚本家や俳優を中心とした映画関連組合のストライキにより、撮影件数が激減、とある。
そこに加えて火災などが加わり、イベントも開催しにくくなった、ということであった。
映画界もグレートリセットの波に飲み込まれてしまったのだろうか。
こうなったら仕方がないので、過去の映画作品をTV放映分やレンタルDVD、アマプラ、その他、契約していないがネトフリなどもあるので、様々な方法で家での視聴をするしかないかもしれない。
2025年3月18日火曜日
Youtube 映画「The Day After (1983)」、「Threads (1984) 」
The Day After (1983) https://www.google.com/search?q=The+Day+After+(1983)&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8#cobssid=s
Threads (1984) https://www.google.com/search?q=Threads+(1984)&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8
どちらも核戦争の被害にあう人々の姿を描いたものだが、Treadsの方が、核被爆後の人たちの生々しい、余生、と言ったほうがふさわしい悲惨な姿が細かく描かれていた。
The Day・・の方は、人々が被ばくしてから直後間もない被害状況にスポットライトが当てられ、その後の人生については描かれていない。
Threadsのほうは、何日後・何週間、何カ月、何年後と十年以上にわたった描写がなされている。被爆直後に即死する人、大火災に巻き込まれて焼け死んだ人、ケガがもとで亡くなる人以外に、放射能を浴びて体調を崩し、病気になって死ぬ人たち。食料や水、電気もない中、凍えるような寒さ、相当苦しんだ彼らも膨大な人数であっただろうが、生き残った人たちも悲惨であった。
ずっと後になっても以前の生活どころか、崩れて黒くすすけた家の残骸に身を寄せながら、着の身着のまま、ネズミを食べたり、虫の被害や天候被害に遭いながら、やせた土地を耕して命からがら生き、悲惨な生活を送る。
被爆する前は、素敵な生活を楽しんでいた女性、被爆後に母親となったが、夫や家族も亡くなり、長い間つらい生活を続けていた。子供が10歳を超えたころには老婆のように老いさらばえ、歯もぼろぼろ、白濁した目をあけたまま、黒く汚れ切った家のねぐらの中で、娘の目の前で息をひきとった。寿命もおそらく縮んでしまっただろう。人々は、笑顔も余裕もなく、口数もなく、表情も暗い。おそらくホームレスより何倍もひどい。ただのホラー映画よりもずっと恐怖感を覚える、恐ろしい話である。
2025年3月11日火曜日
ウォーキング・デッド シーズン11 の放映が始まりました。
久しぶりに見たが、登場人物が多少入れ替わっていた。 |
何年も前に、シーズン6?位を実家で見ていたのだが、あまりの残虐シーン(レギュラー出演役のキャラクターが、あっという間に問答無用で惨殺されてしまい、しかも映像がかなりグロかったので、なんだかドンビキしてしまい、見るのをやめてしまったのであった。特に、グレンの撲殺シーンなどは、頭がつぶれて目玉が飛び出し、それはもうひどいものであったと感じたのである。
そこから年月が流れ、シーズン11の開始で見だしたのだが、いつのまにやら主人公っぽかったリックやカールはいなくなっており、ダリルやマギー、キャロルらが主要キャラとなっていた。(視聴していたころの顔なじみにはほかにも、ユジーン、ロジータなど)
シーズン6~10のあらすじは、またネットで調べてみようと思う。
(追記)
ウォーキングデッドのwiki的なサイトがあり、そこからシーズンごとにしらべることができる。
あらすじをななめ読みしたところ、カールはシーズン8で死んでしまい、リックやミショーンは、一行と別の道を歩み出し、一時的に物語から姿を消して、ラストのほうで合流するようであった。
後記・・シーズン11は、知事の独裁制がしかれ、見て見ぬふりをされている独立都市を舞台に、レギュラー役を中心にして市民が立ち上がり、民主的な集合体に生まれ変わるまでが描かれている。
その後、はぐれた仲間を探しに、ダリルが一人、バイクにまたがって放浪の旅に出ていくのだが・・。現実は厳しい。ドラマだからこそ、あくまでも格好がつけられるのである。(冷めたことを言うと、ガソリンが切れたらどうするのだろう。水・食料を持つにしても限りがあり、ガス欠もあり、ゾンビたちの群れにやられて終わるのではないか、という感想を抱かずにはいられない)
そして、それぞれ、ニックやミショーンは一人ひとり、力強く生きているシーンが出てきた。リックの発した「生きるのは、自分たちだ。」は、みんなの胸にひびいた。いや、立派な言葉であるが、何度も言うが水・食料の消費に縛られること、安全な場所で休息をとる必要がある以上、ゾンビがいなくてもそれなりに大変なのにどうするのだろう、としか言いようがない。が、ラストシーンでこの格言を心にしながら皆、強く生きていくことを誓うのだった。
といった、ちょっと理想論過ぎる感じもするラストであった。(ただし、完結するにはこの感じで持っていくしかなさそうである。)
2025年3月10日月曜日
スーパーマン4(1987年)
スーパーマンの後ろにいるのは、ニュークリアーマンという敵役キャラ。マッチョで金髪碧眼、華やかな容貌でスタイリッシュな雰囲気もあるのだが、何も考えないパワー派なイメージもある。 |
スーパーマンが博物館に寄贈した髪の毛を盗み出したルーサーによって、太陽の力を利用して作られたニュークリアー・マン。こんなことに悪用されるようでは、スーパーマンは、自分の身体の一部でさえ、だれにも入手できないようにしなければならなくなる。
そしてニュークリアーマンは、ひたすら高出力パワーを誇る人造人間だが、爪でスーパーマンをひっかいたところからスーパーマンを弱らせ、あわや老衰で死亡するところまで追いやった。3とはまた違った危機を迎えるところも一つの見どころであった。
核兵器の廃棄をスーパーマンが一手に引き受けたところも象徴的であったが、悪役ルーサーが、スーパーマンを排除しかけた時、「恐怖心をあおって金を儲ける」と言ったところが、戦争や感染症を経験する現代に、それを感じさせるような共通な話なのではないかと思わせた部分である。
2025年3月8日土曜日
スーパーマンIII/電子の要塞(1983年 アメリカ)
悪の心に支配されてすっかりやさぐれてしまった、ダークサイドスーパーマンがこの作品の見どころの一つ。高校同級生の美人シングルマザー役の女性は、映画「IT」にも出演しているようである。 |
2025年2月17日月曜日
ゼロ・グラビティ(2013年 アメリカ)
見ていてドキドキ感のある、サバイバルサスペンス映画である。 |
https://www.google.com/search?q=%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%86%E3%82%A3&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&oq=%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%86%E3%82%A3&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUyCQgAEEUYORiABDIHCAEQABiABDIHCAIQABiABDIHCAMQABiABDIHCAQQABiABDIHCAUQABiABDIHCAYQABiABDIHCAcQABiABDIHCAgQABiABDIHCAkQABiABNIBCDQ0ODBqMGo3qAIIsAIB8QUvTzB_RmeqKw&sourceid=chrome&ie=UTF-8
これこそまさに、見ていて何度もドキドキさせられる娯楽映画らしい娯楽映画だと思う。
とにかく、死んでおかしくないシーンが多すぎる。
1.宇宙ダストが大発生し、こちらに向かって大量に飛来してきたため、浮かんでいた宇宙ステーションがどれもこれも大きなダメージを受けた。ステーション乗組員も死亡、船外作業をしていた仲間も死亡。
2.宇宙に投げ出されるも、仲間のロケット噴射スーツのおかげで拾われ、なんとかロシアのステーションにたどりつけた。(仲間はたどりつけずに死亡)
3.たどりついたステーションで火災が発生し、船内が火の海となる。封鎖・離脱して逃れたが、バッテリー不足で死を覚悟したところ仲間の幽霊(または神か、幻的なもの)に助けられ、脱出方法がひらめく。なんとか「着地」をすることで、中国のステーションにたどりつく。
4.操作方法がよくわからないまま大気圏突入を試み、なんとか無事成功。
5.湖のような水中に到着し、そのままポッドが水中に沈むも、なんとか脱出。
1~5の手順で地球に帰還してきたのだが、どの手順中に死亡してもおかしくないくらい危険な状態に陥っている。なので、宇宙から見た美しい地球の景色を背景に、無情なサバイバルが何度も試されていく、というのがこの映画の見どころとなっていると思う。
ロシアステーションにたどり着く直前に漂流して死亡したジョージクルーニー(マット)が、死後も主人公の命を救うべく見守り続け、脱出のヒントを与えて助けくれたシーンにより、さすがの存在感を与えてくれた。