2024年1月28日日曜日

エイリアン・コヴェナント

 

もともと入植先の惑星は、別の星に決まっていたのに、とある信号をキャッチして進路を変更してしまった。そこからまた恐怖が始まってしまう。

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突発的な宇宙嵐を受け、船内の故障トラブルのために船長死亡。代わりに船長となった者が不適切な判断を下したところから、災難が始まる。今回のエイリアンは、空気感染をする、既になんでもござれ的な、万能感染・繁殖型になっている。

着陸をした捜索隊が襲われ、母船に戻るシャトルまでも破壊、死者もでるが、そこで手を差し伸べてきたのが、前作「プロメテウス」で科学者ショウとエンジニアの星目指して脱出した、人造人間デイヴィットであった。彼は、エンジニアたちの星に到着すると、彼らを滅ぼし、一緒にいたショウ博士も殺してしまったようである。何を考えていたかというと、自分が「創造主」になり、エイリアンワールドを造ることを目指していたと思われる。

次々に襲われていく中、どうにか助けを呼んだ迎えのシャトルに乗り込んできたのは、元々の仲間ウェイド(こちらは危険性が低いアンドロイド)に入れ替わった顔そっくりのデイヴィットで、何食わぬ顔で乗員のコールドスリープを準備する。生き残りのダニエルズがそれに気づくも、スリープに入らされてしまい、デイヴィッドはこれから、エイリアンの胚を人間たちに植え付ける準備にとりかかる、と思われるエンディングであった。

空気感染して成長し、人体をぶち抜くシーンも怖いが、殺した人の頭部が水面の上を漂うシーンもなかなかリアルで不気味であった。エイリアンがやはり、直立姿勢で移動する場合はスピード感が出ない、ということで、犬型の走り方をするようになったと思われる。また、脱出する宇宙船に忍び込んでいたり、しつこくしがみつくシーンも相変わらずであり、エイリアンの1・2・4とも同じく、恒例パターンとなっている。

時系列で言うと、古い順に、プロメテウス>コヴェナント>エイリアン1~4となり、エイリアンの種類も、プロ・コヴェではネオモーフ、1~4でゼノモーフ、というタイプが出現している。

ネオモーフ。凶悪な性質だが、見かけはちょっとマイルド?

黒光りしている凶悪なゼノモーフ。これを見ていると、ゴキブリと人間のガイコツの掛け合わせのように見えてくる。



プロメテウス(2012年米英)

 

左から、人造人間デイヴィット・科学者ショウ・監督官ヴィッカーズ

あらすじは今後の方針として、作品に関するリンクを貼っていくことにしてみる。

https://www.google.com/search?q=%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%83%86%E3%82%A6%E3%82%B9&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8

10年以上前の公開当時、映画館に観に行った映画だが、レビューは書いておらず、WOWWOWで再放送を見たので記載しておく。

この作品でも、会社から派遣されたアンドロイドが、またしてもやらかす。この人造人間はまたもや、乗組員の飲み物にエイリアンの種をこっそり入れ、実験台にしてしまった。

「エイリアン」初回作の前日譚となるこの作品には、ノストロモ号が勝手に進路変更して目標物として向かって行った、謎の宇宙船が出てくる。宇宙船のコクピットで死んでいる宇宙人が、どのようにしてそうなったか、というのもおそらくここで説明されている感じである。

世界中の壁画から割り出し、ある惑星を目指した科学者たち。だがそこは、生命の実験場で、結局乗組員たちはそこでエイリアンの卵から出てきたそれに襲われたりして死んでいく。創造主、と言われるエンジニア(異星人)も結果としてショウ博士の体内から取り出したエイリアンと格闘の末に襲われ、エイリアンふ化のための苗床にされてしまう。

エイリアンは生存本能のみで行動する、いわゆる昆虫的で、するどい能力からゴキブリのようなたくましさすら感じる生物だが、周りをめぐってそれにかかわろうとする人物にろくな者がおらず、結局その当人たち、もしくは雇われ人が、手痛い仕打ちに遭う展開ばかりである。

創造主を気取って、危険極まりない生物や道具を作ったり手に入れ、あたかも自分が使いこなせるかのような錯覚をして、自らを滅ぼす愚かしさ。遠まわしに人間に対してもそう言っている気がしてならない。

2024年1月17日水曜日

エイリアン(1979年)

 

凶悪でグロテスクな外見の、巨大昆虫的な狂暴生物。これが人類に友好的なはずがない。

 おなじみエイリアン映画シリーズの第一作で、子供の時に映画館に父と兄とで観に行った記憶がある。その時の記憶は断片的ではあるものの、ケインの死亡シーンや、科学者アッシュが会社の作った人造人間で、乗組員を危険にさらしてでもエイリアンを地球に持ち帰ろうとし、最後に破壊されて焼却されたシーンは何となく覚えている。

 後からの再放送や、エイリアン映画のとりことなったオタク人間の兄が所蔵するアメリカ産のアメコミ(漫画)、録画テープなどを見たりして記憶が定着し、あらすじはかなり頭に入った感じがする。コールドスリープ中に航路を大きく外れて救難信号をとらえに惑星に向かってしまっていた宇宙船ノストロモ号。危険に巻き込まれた場合、本来の貨物の輸送の仕事はどうするのだろうといういい加減さは感じたが、貨物輸送は実は、乗組員をだますためのカモフラージュだったのか?とも思ってしまう。実際問題は、道を外れた時用に燃料を余計に積まないといけなくなったり、リスクの方が大きくなるような気がする。

 警告信号を発していたが却って、それをキャッチした船をおびき寄せているという、非常にありがた迷惑で不用意な仕掛けを作った被害者宇宙人。だが、これがないと物語が始まらない。ずらりと並んだエイリアンエッグから幼虫に襲われて意識不明、救助されて乗船という流れからのエイリアン誕生・逃亡。被害者ケインが苦しみぬいて胸をぶち破られ、エイリアンが船内に逃げていくシーンは、当初はとてもショッキングで衝撃的であった。

 それからは怪物となったそれを捕まえようとして逆に殺されたり食べられて?しまう乗組員たち。たった一人残ったリプリーが宇宙船の自爆装置を起動する際、なんやらえらく面倒くさい手順を踏んでいくものだなあと思ったが、リアリティはなぜかとてもあったし、焦燥感を募らせる演出としてとてもありな感じで素直に見ていたが、装置起動も面倒でキャンセルも面倒なあげく、自爆停止に失敗するというかなり難ありのシステム。

 宇宙船の人工知能「マザー」とはキーボード入力で問答を入力して行うが、パソコンの走りというのか、時代の先取り感がかなりあった。

 脱出シャトルにエイリアンがちゃっかり乗り込んでいるのはすでに、全シリーズを通してのエイリアンあるあるになっている。初めての作品だったので、エイリアンがシャトルの一角に隠れていたことがわかった時の衝撃も大きく、えええ・・というショックを感じていた。言葉は発しないが、危機回避能力や察知本能はものすごいので、かなり手ごわい。最後はリプリーの工夫により、エイリアンの排除に成功した。コールドスリープにつくリプリーが、「眠りの森の美女」のような美しい感じで終わるラストシーンだったが、次作の2で始まる展開はあまり幸福感がない。(3もそうなのだが)

2024年1月13日土曜日

エイリアン4(1998年)

 


 四作目にして芽生えた、エイリアンへの母性・・、という副題がつけられそうな内容であった。第3作目でリプリーは、溶鉱炉に自ら身投げして、エイリアンが生まれないように食い止めたのに、なぜかクローン技術でよみがえらされ(ここまではいいとして)、胸の寄生エイリアンごと複製されたという、ちょっと疑問の多い設定。

 さておき、エイリアンの増殖・研究を進めるチームがいて、その宇宙船の中で復活させられたが、エイリアン遺伝子が混ざったために、血液も強酸化して運動能力や身体能力が大幅に向上したリプリー。それなりに少し年を重ねた感もあるが、妖艶な怪しい雰囲気がただよう、ちょっと人間離れした雰囲気を感じさせるオーラを放ち、さすがの存在感であった。二等航海士リプリーが死んでから200年経過したという話が後から出たとき、遺伝子レベルでエイリアンとも混ざり、リプリーであった者がすでに別の存在となって甦ったという感じがあった。

 1での仲間は全滅、2での仲間とも交流を深め、平和な気持ちでコールドスリープに入ったのを最後に、みんな死んでしまった中、ひたすらエイリアンと戦う運命を背負う。そうした中、胎生生物に変化したクイーンから生まれたニューボーンエイリアンが、奇妙にリプリーになついた。時折、せつなそうな表情を見せるのも新しい演出であった。

2024年1月12日金曜日

エイリアン3(1992年)

 

今回は丸刈り姿のリプリーが見られる。が、均整がとれた容姿が美しいのでやはり見栄えがする。

 第三作の舞台は、宇宙の流刑地であった。第二作で交流のあった者たちが、エイリアンの幼虫が脱出船内で起こした事故のせいで、次々と死んでしまった。仲間のヒックス、必死でかばった少女ニュート、あれだけ希望に満ちたきずなや交流のあった後だっただけに、これはかなり冷酷な運命の流れであった。人造人間のビショップも修復不可能に近い故障状態となり、主人公リプリーだけが軽傷で流刑地に流れ着いた。

 女性のいない禁欲を強いられた刑務所で、彼女に奇異の目を向ける受刑者たち。そこで傷の手当てをしてくれた医師と恋仲になるが、墜落船から出て牛に寄生して生まれたエイリアンに、その医師は殺されてしまう。今回は、良い人もあっけなく殺されてしまう展開。

 今回も、悪徳なユタニ社がからんできて、囚人たちの身の安全よりも、エイリアンの標本を手に入れようとする冷酷な姿勢を示してきた。エイリアンを連れて帰ることは地球の滅亡を招くと確信しているリプリーは、すでに生まれて暴れているエイリアンを殺戮したあと、自らも女王の幼体を体に寄生させられているのを知っており、溶鉱炉に身を投じた。

 細かい部分は、ビショップそっくりなユタニ社の設計者を名乗る男が、リプリーに嘘をついて摘出手術を受けるようにすすめてきて、ビショップが前作とは正反対に悪側になっている点、エイリアンの倒し方が面白かった点。溶けた鉛を大量にエイリアンにかけて沈めたにもかかわらず、全く死なずにとびかかってきた脅威。そこで機転をきかせてスプリンクラーの水をかけて冷却することで、温度差で粉々に砕いて殺すことができたという点に、なるほどと思った。

 舞台が殺伐として暗く、囚人の男たちばかりの世界が、今回は暗い感じのイメージである。明かりも乏しい中、爆弾を誤爆・引火して周辺の爆発を起こした明かり、オレンジ色に照らされた通路の風景が逆に、この舞台ではハイライト的で比較的明るい色彩感がした。


2024年1月11日木曜日

エイリアン2(1986年)

 


 主人公リプリーが第一作で宇宙船ノストロモ号からポッドで脱出漂流して、57年の歳月が流れていた。そしてその間に、危険地帯に人々が植民地として移住を初めており、リプリーが目覚めたころにはすでにそこは壊滅状態であった。たった一人生き残った少女をリプリーが救助する。コールドスリープによって長い時が流れたため、リプリーの娘は60歳を過ぎてすでに亡くなっていたという悲劇。それを補うかのような、生き残り少女との出会いであった。

 前作であれほど苦しまされた人造人間アッシュの悪夢のために、新しい仲間のビショップに対しても疑いの目を向けるが、ビショップは後半から、かなり頼りになる存在として活躍した。それよりもやはり、設備投資を行う母体会社からきたカーターは案の定、乗組員の生命よりもエイリアン持ち帰りを優先するという社命をうけていた、ろくでもないスタッフだった。その方針を激しくリプリーから糾弾されると、エイリアンの幼虫をリプリーたちの寝室に入れて閉じ込めたり、エイリアンからの退路を防いだりと、主人公たちを亡き者にしようとする。


 演出の中で、印象的だったところは、「セントリー銃」というものがあって、居室のドアを封鎖して外側の通路にそれを置き、迫ってきたエイリアンに自動で、高速連射砲を浴びせる戦術をとったシーン。

強酸体液を吹き出しながら、木っ端みじんに吹き飛ぶエイリアンたち。軍団をなしており、後から後から絶え間なくやってくる。

 セントリーガンはA~Dの4丁あって、各500発の弾が充填されているが、残量がみるみる消費されて0になっていく、という場面も緊張感が高まる。

 なお、ここで初めて、エイリアンの巨大な卵を産む存在(クイーンエイリアン)が出てきて、やはりお約束?なのか、脱出後の宇宙船に乗り込んでいて襲ってくるという、ラストクライマックスとして恐ろしいシーンを盛り上げていた。 

 

 

2024年1月8日月曜日

サンクスギビング を観てきました

 

惨殺シーン多めのスプラッタームービー。

主人公の女の子が、日本の山本美月さんに似ているなあという、映画を通しての感想。背が高く手足が長く(山本美月が日本人離れした外見というのもある)、人種は違えど容貌がとてもよく似ている。

どちらも美形だが、やや中央に寄った目、面長な顔立ちが似ているのだろうか。

それはさておき、仮面をかぶった殺人鬼の正体は、一番信頼を置きたかった人物であったことが最後にわかった。(以下ネタバレ)

少しのミスで犯人のボロがでる、と言っていた事件担当警察官。その履いていた靴が犯人と同じだということに主人公が気づいてしまい、その驚いた顔を気づかれて襲われそうになるが、元カレに助けられた。

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 そもそもサンクスギビングデーだからということでワッフルメーカーとやらが半額(無料?)、他も安いとなって、安売りを求めて店の前に開店時間前から客らが詰め掛けてバチバチに殺気立つ、というのも極端である。店主の身内だということで、カギを開けてもらって開店前の店に入り、派手に騒ぎ出す主人公の仲間たち。彼らの行動もどうかと思うが、それを見て激高する一般客。

 オーバーな演出の次にキチガイじみた争奪戦に発展する。鍵をかけた窓を破るというのもすごいが、押されて倒れた女性をカートで轢いておいて、それをそっちのけで、自分はほかの客とののしり合う女性客。なんだかありえない場面ばかりが続く。

 まさかこれが、アメリカの一般的な日常ではないことを祈る。そして、亡くなった女性の身内であった警察官が怨恨を晴らす、という目的で殺人鬼となり、マークした面々を殺しまくっていく。

 胴体を真っ二つにして店頭に飾ったり、生首を飾って撮影したり、人間をオーブンに入れて本当に焼いてしまうなど、犯人の遠慮のないキチガイぶりが、これでもかという感じで描かれている。が、グロそのものに主眼点をおいているのではなく、それらをまるでお化け屋敷の中でコースターに乗ってぐるぐると回って見るような感覚で、物語はスピード感を持ちながら先へと進んでいく。

 最後は主人公女性が機転を利かせて人形にガスを充満させて引火を起こさせ、犯人が爆死するという結末を見せているが、何も残っていない、という状況報告が少し不自然さを感じさせる。立ち去る消防士の中に、顔を隠した者がいたのも怪しい。犯人はまだ生きて、逃亡したのではないだろうか、という一抹の不安も感じさせて物語は終了している。

 そして最後は、主人公は事件をめぐって助け合った元カレとヨリを戻すのかと思いきや、姿を一時的に消していた元カレの後釜にすわった、存在感がやや薄い新しい彼氏と仲良くしているラストシーン。それを見て、いつもの映画などの展開ではないなあと思ったが。