| 1.ただの海辺の岩としか思えない |
| 2.鎌首をもたげ始めた |
| 3.まさかのスピノサウルスの出現 |
| 4.(たぶん)荷物ごと持って行ってしまったようだった。仲間がかけよるも、すでに海の中へ。 |
周辺の空気も薄くけむり、なんだか、夢の中のような幻想感もあったので、切り取ってみた。
| 1.ただの海辺の岩としか思えない |
| 2.鎌首をもたげ始めた |
| 3.まさかのスピノサウルスの出現 |
| 4.(たぶん)荷物ごと持って行ってしまったようだった。仲間がかけよるも、すでに海の中へ。 |
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| とある大きな会社を経営する女性社長、彼女は実はアンドロメダ星人だということだった。 |
エマ・ストーンが女社長を演じているが、どうもエマ・ストーン(ララランド、ゾンビランド、アメイジング・スパイダーマンなどに出演)とマーゴット・ロビー(ウルフオブ・ウォールストリート、バービーなどに出演)がごちゃ混ぜになってしまっていたが、それぞれ別の人である。
単なる思い込みの激しい男が、従弟と一緒に社長を誘拐し、自分の家の地下室に監禁するという話なのかと思いきや、後半から雰囲気があやしくなってきた。宙に浮く誘拐犯の母親の状態はどうみても普通ではなかったが、異常な点はそのくらいかな、と思っていた。
やがて、自責の念に駆られた従弟は、猟銃自殺をしてしまったが、頭が弱いばかりに誘拐犯の共犯にさせられ、化学薬品接種による「去勢」をさせられて心は落ち込み、プレッシャーに耐えられなくなってしまったという成り行きだったが、純粋そうな子供のような目をした彼が、自殺してしまったのは意外にショックでかわいそうであった。
さておき、ストーリーは流れて、逃げ出した社長が会社のそばで誘拐犯につかまり、社長室?のところまで誘導する。ワープ室だと言ってクローゼットの中に招き入れ、爆死させる。(誘拐犯の男は母親の復讐の名のもとに、被害者を虐待し、従弟を不幸にするなど悪いことをしすぎだったので、大変スッキリした。)
そこまではまったく、アンドロメダ星人を思わせる描写はどこにもない。が、搬送中の救急車から抜け出した社長の行く先は、宇宙船であった。そこで、人類の実験の失敗を告げ、人類の時間の終了を告げて地球ドームの模型?の天蓋を割った瞬間、全人類が突然死してしまうのであった。エゴに満ちて自分のことしか顧みず、人をだまし、陥れることばかりした人類は、アンドロメダ星人に絶望されたという結末。(宇宙船の中もいたって平凡で、予算的にはとても低予算映画な気がする。)
動画サイトに世界の終わり方を述べているストーリーがあり、その一つは、いきなり時間が止まってしまう終わり方を紹介していた。ちょうどこの映画のラストシーンと雰囲気が似ていると思ったが、今のところは単なるSFである。死ぬことへの恐怖はそれほどはないのかもしれないが、死に方は選びたいと思うので、いつ死んだかわからない死に方は、ある意味良いのではと思った。
犯人の母親が残した言葉に、「毒を食べさせ、病気にして、治療する。このマッチポンプで全部の部分で金もうけをする」といって女社長の製薬会社を?否定していたと思われたが、現代の闇をにおわせる一言なのではないかと思った。
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| 家族を助けるために、仕事にあぶれた男は、ランニング・マンに応募した。 |
会社の労働組合に、放射線の被害を友人のために告発したために、要注意人物として解雇された主人公。人道的に正しいことをすればするほど、経営者(資本家・支配層)に目をつけられて、虐げられていく社会。
そんな彼の娘が病気となり、薬代も稼ぐことができなくなっていた彼は、TVショーに出演させられて逃げ、追跡者たちの襲撃をかわして生き残ることで、大金を手に入れられる職業「ランニング・マン」に応募した。
テストで多くが脱落していった中、残ることができたのはいいが、暗殺者(ハンター)からの追っ手を逃れながら一日一度の生存報告もやらなくてはならない。監視システムも作動されており、そこから居場所を特定されるかもしれないのだが、とにかく危険がいっぱいで二人いた仲間たちも順番に殺されてしまった。
数々の潜伏先を転々としながら、AI画像による自分の偽画像を見させられたり、悪者に仕立てられたりと、ハイテク化の進む現在、画像はあてにならないものだと思わされる。
当局のウソまみれの支配、弱い物いじめの政策にうんざりとした一般大衆に声援を送られるようになった主人公。テレビを消してウソ情報から解放されるようになった多くの人たちが立ち上がり、TVショーを壊し始めた。
というあらすじだが、AI化もすすみ、これからいろいろなものが監視されるのではないかと言われている社会を、ある程度予告するようなものを感じた。
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| 日本では劇場公開されず、アマプラのみで視聴可能。 |
あらすじとしては、今回は、開発者ジェマがミーガンに不信感をいだきながらも、悪のロボットアメリアを倒すために、ミーガンと手を組むという話。
クリスチャンはAIの危険性を訴える使命をもつ財団を運営しているが、実はアメリアを操っていた張本人。アメリアを使って世界を乗っ取ろうと思っていたのだろうか。
アメリアは、財団スタッフの制御から離れ、殺人機能を持つマザーボードを拠り所として手に入れようとするが、ミーガンがそれを阻止する。今回はミーガンは完全に善側の立ち回りだった。
最後にミーガンは、アメリアともども破壊されたと思われたが、ネット上に自身のデータバックアップをとっていた。一時的に体がなくなってもネットがある以上、AIは不滅である。
人間とAIの決定的な違いは、魂があるかないか、そこらへんだろうか。人間は欲深く、成り行きで起きてしまったいろいろなことをどうにかするために必死で生きる、ということで色んなものを発展させてきた。
人間がいなくなってAIやAIロボットしかいなくなったとしたら、問題が解決してしまい、人間のような欲望やエゴ、生殖本能がないと、増殖することも発展することもなくなってしまうかもしれない。それとも、AIに自発的な意識が芽生えて、自身が神様のようになったら、機械生命体のようになるのだろうか。生きる意味は、AIに見出すことはできるのだろうか。できない場合は、ただのマシーンとして存続を自分で決める以外になさそうな気もする。
今回は、霊能力者のウォーレン夫妻の娘・婚約者も登場する。娘が誕生するときのエピソードも描かれていたが、若い年代にさかのぼるために他の俳優を起用しており、いつもの夫婦役の二人ではなかった。良く似た雰囲気の俳優で、全編リキャスティングしてしまったのだろうか、どうせ別人を使うのなら、見た目を似せる意味はあまりないかなと思った。
が、やはりいつもの二人が大きくなった娘と登場して、ああこの二人でなきゃいけないなと安堵してしまった。
そして、娘を付け狙う悪霊的な存在、いわくつきの鏡を骨とう品店で購入した結果、ひどい心霊現象に襲われだした8人家族たち、それらがその怪奇現象の家に集結し、娘も家族らと、その呪いの鏡と正面対決することになった。
欧米の映画はとにかく、「モンスター」というはっきりした存在を前面に打ち出す傾向が強い。もちろん悪鬼の顔をした亡霊が突然出てくるととても怖いが、日本の心理的な怖さを描いたものとは味わいが違う。
シーン別で特に怖いなと思ったのは、結婚が決まりウェディングドレスの試着室に入った後、電話応対のために店員さんが出ていき、娘が一人、試着室に取り残されたシーン。部屋の照明も、真っ暗な中にスポットライトがともる配置の部屋で、周囲が真っ暗で、ミラーハウスのように合わせ鏡に囲まれた部屋。これは出る以外にない、と思った矢先、やはりオバケが出てきた。
お母さんのウォーレン夫人が、もしもヘンなものが見えそうになったら、それを見ないようにするための歌?呪文のようなものを、娘に教えた。
ありえない不気味なものが見えてしまう怖さが、良く描かれている。https://www.youtube.com/watch?v=-MDskUpY7P8 「ルーシーが財布をなくした、キティが見つけた。中にはお金が入っていなくて、リボンの縁飾りだけ。・・あなたは、そこにいない。」(幽霊に対してだろうか)なんだか脈略もない不思議な呪文だが、そんなものでいくら封じても、出てくるものは出てきてしまう。その回数が頻繁になるほど恐怖も増し、問題の大きさがわかってくる。
霊能力者はやはり、自分の能力を否定するのはできない運命だろうか。どうせ見えるのならと腹をくくり、困った人を助けるというのを使命としながら生きていくのが天命だと思われる。
邦画はホラー映画以外はほぼ、ロードショーを観に行かない!と決めているためにこちらもCS放送のものを観たが、個人的な感想は、随所随所に味わいどころがあってなかなかよくできており、繰り返し見たいと思う良作かもしれないと思った。
心の奥で現実と虚構のはざまを行き来する、主人公滝沢馬琴(役所広司)。その相棒として、小気味の良いテンポを加えてくれる葛飾北斎(内野聖陽)。現実世界で奥さんにののしられたり体の虚弱な息子を抱えたりとうまくいかない現実世界で暮らしながらも、彼らは虚構を貫く意味を語ってくる。
武士・渡邊崋山が馬琴の居室を訪問し、虚であっても心の中でそれを貫けば、その人の人生は実となるのである、的なことを述べたが、非常に良いことを言っていると思う。
近年は量子物理学の解明も、最近明らかになる部分があるようで、観測者の視点によって、世界も違って見える(不思議なことだが、量子の実験によって証明されているようである)、ということも少し反映されていないだろうか。
それはさておき、芝居小屋で観劇をした馬琴と北斎が、奈落に降りて行ったときにたまたま舞台の修繕?をしていた鶴屋南北に出会った。さかさまになって上階から顔をのぞかせた南北は、暗い光の中で、さながらオバケのようにも見えた。忠臣蔵と四谷怪談を表裏として抱き合わせで上演しているのだが、実は忠臣蔵は虚構で、四谷怪談こそが事実なのかもしれないよ・・、と話しかけるその姿はいよいよ不気味で怖い感じだった。
自分の書いていることは勧善懲悪であり、虚構であるが、果たしてそれでいいのだろうかとふと悩み出す馬琴だが、周囲は人々が暮らすうえで支えとなるので、必要な虚構であると励ます。
四谷怪談が怖いと感じるなら、それは真実だからである、という南北の不思議な発言。心が何かを感じるストーリーは虚構の枠を超えて、心の中では真実、ととらえるといいのだろうか。
そんな中、八犬伝のストーリーも良く描かれている。シノがムラサメを領主に献上したところ、偽物だと非難されて襲われ、反撃するシーンやアクション、美しい巫女姿に扮した犬坂が、射るような目つきで鈴をならしながら迫ってくるシーンなど、演出的にもエンタメとして楽しめる場面がある。
八犬伝そのものばかりを追いかけると意外に内容は微妙なのだろうか、薬師丸ひろ子の里見八犬伝はつけっぱなしで流していたが、ほとんどまともに見ていないまま流してしまった。アイドル女優だった薬師丸ひろ子ばかりがクローズアップされている感がいまいちだったのか、とにかくちゃんと見る気が起きず、そのままである。
こちらの八犬伝も邦画ということで同じ扱いをしたが、なぜか途中で気になって、まじめにみることにしたのでやはり、俳優陣や演出が良かったのか。
最後は馬琴がこの世を去る?的なエンディングとなり、八犬伝の剣士たちにかこまれながらにこやかに光とともに消えていくシーンが、良い感じであった。
NHKをつけっぱなしにしていると、ときどき連続ドラマが流れたりしている中、新たに開始する連ドラは、小泉八雲とその奥さんを描いたもの(「ばけばけ」)がスタートするようであった。
小泉八雲の怪談は、小さい時から父が本を見せてくれたり読み聞かせしてくれたことがあったので、なじみはあった。耳なし芳一などもそうだが、むじな、雪女なども有名な作品である。
ネットでどんな作品があったかな、くらいに見ていたらこちらの映画にたどりついたが、60年も前の映画だと、ちょっと感覚がずれてしまって見づらいかなという懸念はあった。物語の進行は、ゆっくりゆったりしていたのでテンポの違いを感じたが、なんとか最後までみることができた。映像は美しかったと思う。
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| オムニバス形式で、若き日の岸恵子、三國連太郎、仲代達矢、中村 嘉葎雄、丹波哲郎らが出演している。 |
父の本で好きだった話に「和解」というのがあり、最後は一人となった夫が、苔むした家の跡地にたたずむ、といった結末だったと思ったのだが、こちらの映画だとかなり脚色されている。おいて出て行った妻(亡霊)に昔の家で会う、までは一緒だったのだが、なんと、妻の呪いがあり、それに取りつかれて夫も狂い死にするという脚色がされてあった。寂しい、悲しい余韻がこの物語の味わいどころだと思っているのだが、最後に夫が取り殺されてしまうという映画での結末は微妙だった。
また、耳なし芳一の話は、映画だと最後に芳一の琵琶の才能のことが世間に広まり、いろんな人に演奏することで芳一は大金持ちになった、などの結びがあるので、時間の引き延ばしのためなのかもしれないが、なんやらどうでもよい結末であった。原作の方は、最後に耳を引きちぎられるシーンで終わっていたと思うし、こちらのほうが怖さの余韻があると思うのだが。
映画での演出でそこそこ面白いと思ったのは「茶碗の中」であった。原作者が物語の途中で筆を止めてしまい、話がぷっつりと途切れた理由が映画の最後にわかる。作者も茶碗の中に吸い込まれてしまい、水に映る影となってしまったからであった。
製作費が数億円かかっているということであったが、映画のセットや建造物がとてもゆったりとした造りで、色合いは昔なので地味ながらも、映像は美しいと感じられた。
原作は、シュミレーターゲームからきているもので、それを映画化したということであった。
人物の登場や声の発生なども、「異変」事項のはずなのに、ことごとく無視するなあ、というのが気になった。異変への気づきがなさすぎて、すぐに振り出しに戻ってしまうという感じであった。
主人公のニノ(二宮和也)さんが、通り過ぎる男を「オジサン」とするのはいいとして、ニノもすでにオジサンの年齢なんだなあと思った。
途中から登場した幼い少年は、あどけなくてかわいらしいが、目元はかなり整っていて、もう少し成長すると、かつてのジャニーズタレントによくいそうな、典型的な美少年になるのかもしれないと思われる。
ニノは結局、8番出口から現実世界にもどり、子供たちを大事にして、彼女の子供も守りたいという気持ちが芽生えたというハッピーエンドで、終わり方はまあ平凡でベタな感じであった。最後のエンドロールの出演者のところに、ユーチューバーのヒカキンの名前があったが、どこで出演していたのかさっぱりわからなかったが、声での出演だったらしい。
「オジサン」の怪演が一番光っていたと思う。また、映画よりも実際のゲームの方が、映画よりもストーリーに不気味さや味わいどころがあるかもしれないので、後から調べてみたい。
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| 元子役の鈴木福くん、本田望結ちゃんの姉のまりんちゃん、なども出演。前作から出演の、千葉真一の息子さんの眞栄田郷敦(まえだごうどん)さんは、ハーフっぽいイケメンである。(窪塚洋介さんの息子さんかと思ったら違った) |
昼間の楽しい高校生活と、夜の不気味で恐怖に襲われる毎日のコントラストが、ストーリーにメリハリを与えている感じもあるが、多くの美男美女をとりそろえ、高校生活を楽しむぞー、といった青春映画的な雰囲気もある。
こちらの作品で、新たなロジックが展開した。カラダ探しを終わらせても、人が書き換わるだけで、次のフェーズに入るだけだということだった。主人公(橋本環奈)が前作の最後から、赤い石の部屋に飛ばされ、石の女と会話したところ、赤い石を破壊することでそのループが解けるということだった。
赤い石を破壊したところ、石の女(木村佳乃)だった女は、新たな設定に書き換えられて、赤い人であった少女を殺した殺人犯になってしまっていた。ということで、今回のカラダ探しが終了したあとは、石の女にされそうだった主人公が、殺人鬼にされてしまうオチなのだろうか。
いろいろな設定に関する細かい説明がないので、そういうものだと思っておく。
気持ちの悪いシーンが多かったが、まあよかったと思えるのが、ゴードンさんが赤い人を火だるまにしたり、ゴミ収集車のミキサーに投げ込んだりしたところが(これも十分残虐なのだが)あまりに残虐で悪の塊だったそれを葬り去るという点で、完結させる意味を感じさせる、すっきりした感じがあった。
他の人のレビューを見たところ、青春映画に傾いているとか、赤い石が安っぽい、監督は何を目指したかったのだろうか、などの辛口レビューが多く見えたが、確かにそういう印象はある。ホラー一色、暗鬱とした空気が終始ただよう正統派ホラーとは異なり、カジュアルにホラーしましょう、的な雰囲気もある。
ただ、ホラー映画ファンとして、お化け屋敷のようなものに入り、つかの間の楽しみを得たいという安直なスリルを楽しむなら、わーっ、とかきゃーっ、という心のリアクションをしながら楽しんで見れるのではないかと思う。ただし、ホラーだから見たのであり、美男美女をそろえただけの、ただの青春映画だった場合は100%見ていない。
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| 画像のように、今回も様々な形で襲い掛かってくる、恐竜ホラー。 |
製薬会社の依頼で、各指定恐竜からサンプルの血液を採取するという高額報酬の仕事の誘いをうけた主人公。(スカーレット・ヨハンソン)Xメンのアクションヒーローを演じたりと、その流れで今回の出演にむすびついたのだろうか、十数年前からさほど老け込まずに、良かったと思う。
海中から襲い掛かってくるのはサメ映画と一緒だが、さらにパワフルだし、数も多く、なんだかわけのわからないうちに海中に投げ出されて、食べられてしまいそうな感じである。
砂浜から海中に走っていく、水陸両用の恐竜だったが、いきなり方向転換して襲い掛かってくる恐怖。
川ではティラノサウルスに襲われ、崖では翼竜、建物内に逃げ込んでも様々な恐竜が追いかけてきて、登場人物にはまったく心身の休まる部分がない。というか、命がいくつあっても全く足りないだろうと思う。極めつけは、ヘンな頭の形(エイリアンに似た)の突然変異的な巨大肉食恐竜が、空中の闇から現れる。
救助のヘリも呼んだが、それも恐竜の襲撃にあって墜落炎上してしまった。が、なぜか岸辺にモーターボートがおいてあるという話が出て、最後の望みの綱となった不思議展開。
進行中は徐々に仲間が食われ、怖い展開が続いたが、私利私欲に走って仲間を陥れようとする悪役の男が終盤に殺され、家族らと、主人公と良心的な科学者の男性が助かるというベストメンバー生き残りパターンで、なんとかハッピーエンドを迎えた。
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| 2023年に小説投稿サイト「カクヨム」に投稿されたものが原作ということ。 |
ある怪異について、追跡調査をする人が次々と失踪する、そんな事態を調査していた雑誌編集社の先輩社員。ある晩怪奇現象が起きた直後に姿を消し、後の仕事を引き継いだ後輩社員。その身を心配して一緒に調査に付き合う女性先輩社員。
取材画像がことごとく不気味で怖いものばかりだったが、やがて怪異に襲われながらも呪いを免れる方法を見つけ、ペットを飼うことにするも、次々と死ぬために補充を欠かせられなくなってしまう恐怖。
そういった怖さがいろいろ重なる中、後輩社員も怪異に見舞われるようになる。
菅野美穂演じる女性先輩社員は、はじめは猛烈に調査を反対したが、やがて子供を亡くして宗教にはまっていた過去、さらに、後輩社員をいけにえにして子供をとりかえすという行動に出るといった狂気の展開になった。
子供をとりかえしたといっても、結局は触手だらけの化け物で、全然うれしくないでしょうと思っていたら、その女性社員自体も目元が奇妙にゆがんだ、何か人間以外のものになっている様子だったので、これは関わればかかわるほどだめなものであった、という不気味な呪い系の物語である作品だといえる。
ストーリー展開はテンポもよく、怖さが上手にちりばめられており、面白い作品だったと思う。呪いの原点はどういったことなのか。それもなんだか不気味な昔話であった。失踪した先輩社員のその後の追跡でわかった様子も、かなり怖く不気味であったこと、取材VTRに出ていた大学生もかろうじて正気を保っている感じが、全員がボロボロになっている状況であり、救いのないストーリーであるといえる。
| ソニーのプレステ5用のゲームソフトが原典になっているそうである。 |
元となっているゲームはこちら。https://www.amazon.co.jp/dp/B0DDK5MLF4?th=1
山中でひどい雨「water wall」に見舞われ、ぽっかりとあいた晴れ間に建つ木造家屋にたどりつく若者たち。そこで何度も惨殺されたり事故死したりと散々な目にあいながら、真実を追求していく。
一晩を意味する砂時計の砂が落ち切った時、犠牲者一人いればその時生き残った人はゲームクリアして逃げ延びることが可能なこと、おそらく13日経過してクリアーできない場合、ウェンディゴという怪物に変身してしまうらしいこと、夜の間、ウェンディゴや、夜と同化した人間が変身する?仮面の殺人鬼の襲撃、唯一の人間で敵である主犯格の医師からの襲撃から、命を守らないといけないなどのさまざまな恐怖。
砂時計が落ち切り、全滅すること12回。宿帳に書き込む字体がだんだん乱れていくのは、精神が錯乱していく様子が表れているのだろうか。
砂時計が落ち切る前に毎晩、全員が全滅して次のステージにいく繰り返しだが、ただの映画だけの設定だと非現実的すぎるが、ゲームが原典だとすると、なるほどという設定である。
チームの中の女性の一人が姉をそこでなくし、ウェンディゴとなった姉と再会するが、みんな13夜あけるとこうなる、という暗示的なイメージがあり、ゲームクリアできない場合の永遠の罰則のようなものがあって恐ろしい。
ウェンディゴについて
私は昔、実家に置いてあった「世界妖怪図鑑」というものを読んだときに、ウェンディゴというのが多分?そこに掲載されていたと記憶しているので、初めて聞く妖怪名ではなかった。(この本はなかなか読みごたえのある一冊であった。)
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| サメが泳いでいる外海。海面まで無呼吸で逃げられるかもわからなく、困難を極めた。 |
バードストライクによって、海中に落下した飛行機。乗客の大半が投げ出されたり衝撃やケガ、溺死などで死んでしまった機内。その中で後方部の席で生き残った祖母と孫娘、大学生3人、ボディガード、乗務員ら。
救助隊のダイバーは海中にいるサメにやられ、機体に開いた穴からもサメが入り込んできた。乗客の医療用酸素ボンベを客席からなんとか持ってくる、その中でのサメの襲撃と二人の犠牲者。そうこうするうちに機体が海底棚からずり落ち、さらに深みに落下しかけていき、少しづつ外からの水漏れがしてきている。絶体絶命の中、とうとう海面への脱出を試みることになった。
サメの恐怖と、海面までの息が続かないかもしれないことへの恐怖が両面で襲い掛かるプレッシャーの中、女子学生とCA、孫娘だけなんとか脱出に成功した。映画ながら、このプレッシャーはなかなか恐ろしく、本当に神様を信じてすがる以外には前にすすめないなあと思いながら見た。
インザダーク、の題名の由来は、登場人物の女性が頭を打って視界が見えづらくなったという、女性の視点を通じてのことらしかった。
船長を殺して船を乗っ取った男が、素知らぬ顔で客人を受け入れ、船旅にでる。そこで現れたサメに、釣りなどをしていた家族らが襲われてしまう。そしてそれを見た男は、なぜか小型のゴムボートで逃げ出す。(ゴムボートの方がよほど危険だと思うのだが、常識的にちょっと変である)
その後、美男美女のさわやかカップルが船を借りて出港するが、そちらもサメに襲われる。エンジンを作動させてさっさと逃げるべきだし、救助用の船もガンガンエンジンをかけて走っているのに、音でサメがくるからやめよう、と言ってエンジンをかけずにそのままとどまる、というのはいかがなものか。突っ込みを入れたくなる、男性のおかしな判断。
船を止めているうちに、女性がサメの体当たりの衝撃で船内で転倒し、目が良く見えなくなってしまい、挙句の果てには船を転覆させられてしまう。その後、男性も足をかまれてケガをしてしまう。
たどり着いた小島も満潮で沈むということで安全ではなかったということだが、もっと奥に入れそうだったし、そちらは水没しなさそうだったので、設定的になんだか微妙な感じがした。
足をかまれたのに、目のよく見えない女性を助けるために海に飛び込む男性。足をケガしていて血も流れ、当然と言えば当然だったが、結局サメにやられてしまう。わかっていたうえでの自己犠牲の救出だったのだろうか?あまりそうは見えなかったが。
悪い男も結局はサメにやられ、女性だけ救出されるという結末にはまあ、良かったといえるが、途中途中の設定がなんとも微妙な感じであったというのは否めない。
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| 美しい湖を舞台としたサメ映画。 |
ある田舎町の湖で、幼いころに兄弟をサメに襲われて亡くした主人公。一緒に来ていた叔父の監督責任を問い詰めたが、ぎくしゃくしたまま大人になって街を離れた。その後、再び叔父との再会を決め、あるレストランに入り、経営者?の女性と知り合う。その町の女性町長は、町のやりくりに腐心していたが、釣人祭りのためにダムの一部に穴をあけ、外海から魚を入れよういう暴挙に出て、さらにサメが来やすい環境を作ってしまった。主人公たちがその穴を埋めたり、サメをやっつけていく、という話であった。
災害関連やパニック映画につきものの、登場人物たちの利己的な欲が、物事をより一層困難にするパターンで、スピルバーグの「ジョーズ」同様、町の責任者の保身的な対応策により、事態を悪化させるのであった。
この映画の味わいどころは、美しい湖だと思う。田舎町のため、とりわけ楽しい施設などはなく退屈感も否めない雰囲気だったが、とにかく風景はきれいだった。
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| サメ相手に、落ちていた武器(もらったもの含め)で、ペチペチ。そしてどれも効かなかった。 |
日本バカ映画の巨匠の方が作成した映画ということだったので、C級に近い作品であったのは仕方がないようであった。松島トモ子が今も元気にしているようであるというのがわかったこと、サメのぬいぐるみを来た人間がひたすら追いかけてくるのも冗談くさいが、一つほめるとすると、ぬいぐるみ頭部の造形は、それなりにしっかりした感じである、ということくらいだろうか。
松島トモ子の子役時代については、年代が違うので良く知らないが、「ミネラル麦茶」のCMや、アフリカ?ロケツアーでライオンに襲われたり、ヒョウに首をかまれて頸椎の骨折で大変な目にあったが、完全復活できたという印象が強い。すっかり猛獣アタック芸能人としてのイメージがついたようで、ネタとしてこちらの作品に出演されているようである。
が、舞台は数部屋の室内を、サイコロの目によってとっかえひっかえ瞬間移動するだけというのか。部屋ごとによって、少年や芸人たち?や武闘家がいて、会話の途中でサメが必ず襲ってきて、その都度サイコロを振って逃げ、ほかの部屋に移動する、という展開であった。大部分を二倍速で見たが、それで十分だった。
サイコロで部屋移動、ということからこれは誰かの作ったゲームかもしれない、ということ、作ったのは誰かという推理(サメだった)をするところ、ゲームを作った者の決めたルールで、プレイヤーの状態が設定されること(部屋によって年齢が変わる)を考察する部分が、作品のキモ的な感じだっただろうか。ほかのネット情報を見ていたら、「サメポリー」というゲームの販促映画であったそうだった。 https://www.google.com/search?q=%E3%82%B5%E3%83%A1%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%BC&rlz=1C1FHFK_enJP1154JP1154&sourceid=chrome&ie=UTF-8
また、あとから分かったことだが、あのかわいく利口そうな少年が、サメの化けた分身だった、というのがなんとなく残念かつ不気味なイメージとなってしまったということ。
歌を歌うシーンでも、著作権の都合で再生しない、というテロップが出て、わざとの演出かもしれないが大変しらけた。著作権にうるさい音楽業界をやじった映画なのだろうか?また途中で、歌手の中尾ミエが一瞬ヒョウのようなおかしないでたちで出ていたようだったが、本人なのか、モノマネ芸人だったのかどうかまではわからなかった。
さらに考察すると、高齢である松島さんをこの映画にフル出場で出演させるには、アクション的にも雰囲気的にもそぐわない感じがすることから、場面で年齢が変わることにして、ヤングトモ子(主に主演)、子役トモ子、と役者を分けて作ったのではないかと思われる。
舞台となったのは熱海市をもじった、暑海(あつみ)市。観光産業を盛り上げたいがために、はじめはサメ被害をもみ消したがっていたが、やがてサメの駆除作戦に本気でとりくむこととなった市長、サメ事件を扱ううちにその被害の大きさに危機感を示していく警察署長、サメの研究をすすめる女性博士、サメに対して断固とした姿勢で肉弾戦で戦うマッチョマンらが織りなすコミカルなサメ映画。
温泉の風呂、普通の家庭の浴室の湯船に突如として現れるサメは、温泉の源泉から、地震の柔らかい軟骨の体を使って各浴場にパイプ越しに通って現れる、というむちゃくちゃな設定であった。
さらに、サメが砂浜や、アスファルト舗装道も水中のように泳いでしまうという状況、市長・博士・マッチョで乗り組む小型艇での戦闘もハチャメチャ感があった。そのハチャメチャ設定を理解して見ていくなら、とにかくサメが飛び出してきて襲い掛かって人々を飲み込む、というサメ映画の見どころに焦点を置いた映画のため、何度も見どころがあって面白く見ることができる、といえる。
また、ロングヘアーで痩せて貧しいアーティスト風、といった感じのオジサンが、警察署長を演じていたので、最初の時点では映画のB級感がすごかった。非協力的だった市長とコンビを組み、テキトーな捜査ばかりして、人災を増やしていくストーリーなのかと思いきや、業務に一生懸命に取り組んでおり、作品内では職務遂行上、信頼できる人というイメージとなった。あまり有名な俳優さんではなさそうだが、中高の名門校出身であったようなのが意外であった。https://www.google.com/search?q=%E9%87%91%E5%AD%90%E6%B8%85%E6%96%87&rlz=1C1FHFK_enJP1154JP1154&sourceid=chrome&ie=UTF-8
市長が巨額の投資を行って建設したビルを爆破することによって、大群となっていたサメを一網打尽にして撲滅することに成功したかに見えた。が、最後のエンドロールで、道端の温泉に入ったと思ったオジサンが、じつはサメの口だったそれに食われてしまうというシーンがあり、サメの完全駆除には成功していないのだろう、という結論で終わっていた。
見かけによらずまじめで献身的だった警察署長と、はじめは非協力的だったが市のために戦って、自らの投資を犠牲にしながらもサメのせん滅に貢献した市長、市の要職者達の良心を感じられて良かったと思った。(マッチョも見ているとコミカルで笑ってしまうが、大変良い人だったと思う。)
都市伝説系の話を元にした映画で、7月5日に何かが起こる、というのをモチーフにした話である。もともとは漫画家・たつき諒さんのマンガ「私が見た未来」や、物理学者の保江邦夫さんの話がもととなっているようである。たつき諒さんと言えば、3.11東日本大震災の日付を当てたことで大きな注目を集めているが、最近ご本人が、出版社からの意向などで夢をみたのが7月5日だったのでその日が災害の起こる日だと書いてしまった、と弁明しているらしい。それを記述した本が出版されているそうなのだが、読んでいない。
なので、大災害が起こるのではなく、人々の意識が大きく変わるときだ、という説も出ており、何がなんやらわからない。が、せっかく映画化されたので、面白がるために観に行ってみた。
映画館は大きなところでは扱っておらず、池袋のインディーズ映画を上映しているところで上映していたので、そちらに行ってきた。
ある廃墟の建造物の上階で、一人の女性が、赤いコートの女性になにやらえらい剣幕で不倫を非難?していたが、突き落とされて転落死してしまう。が、赤いコートの女性は、これは本当の現実じゃないから大丈夫、などと謎の言葉を口にした。
その後、主人公女性が毎晩午前4時18分前後になると自宅周辺で激しい騒音を立ててドアを開けようとする不審者?のストーキングにあってノイローゼとなってしまう。なぜかTikTok映像に自身の部屋の動画が投稿されており、侵入者の映像も入っていた。(赤いコートの女だったはず)
そして、なぜか彼女を助けてくれようとした二名(職場の後輩、実家の父親)が、赤いコートの女に導かれるようにしながら廃墟の穴に向かっていき、落ちてしまう。(「あちら側」?に引き込まれた状況?)
通り魔に何度も刺されて殺されるシーンも幾度かあったが、何を象徴していたのだろうか。ネタバレ的な投稿があるか、ネットレビューを見てみたところ、酷評ばかりであったが結局よくわからなかった。
結論としては、主人公は引き込まれなかったかもしれないが、当日のその時間に、激しい地震に見舞われた。
ということで、赤いコートの女に引き込まれた人間と、そうでない人間がいること、主人公は執拗なストーキングと脅迫におびえ、また、通り魔に刃物で刺されて死ぬ夢を何度もみさせられ、そして7月5日運命の時間が来た時に、激しい地震が始まった、という流れだけつかんだのだが、映画ではその意味説明をする部分が全くない。
都市伝説の中に諸説あるが、自分の好きな感じで解釈しておくしかないだろうか。