2025年4月17日木曜日
2025年4月14日月曜日
ポセイドン・アドベンチャー(1972年アメリカ)
タワーリング・インフェルノ(1974年アメリカ)
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スティーブ・マックイーン、ポール・ニューマン、ほかには往年の日本のドラマ「将軍」でおなじみだったリチャード・チェンバレンなど有名どころが出演している。 |
ビル建設費の予算を低く抑えようとしたりして安全性に問題を抱えたビルが完成した。全館全室の部屋の照明をつけろ、などのオーナーの要求で、電力的にもきつかったようで、配電系統がショートして発火した。結果、ビルの安全性を過信したオーナーにより、ビル完成パーティーに招待された人たちが、大変な火災に巻き込まれる。
人が火だるまになる場面や、ビルや展望エレベーターから転落し、ビルの側面に激突、バウンドしながら落下していく映像が、かなりリアルに描かれていた。
老いぼれペテン師の正体を知りつつ、彼を理解し情けある態度をとった女性、情け深い彼女がエレベーターからビルの外側に落ちて死んでしまったとき、なんだか悲しいものを感じた。どんなにいい人であっても、不慮の事故からは逃れられない。
消防士役のマックイーンと、ビルの設計者を演じたニューマン、二人の渋さやクールさが光り、かっこよい男たちの活躍が見て取れた。
2025年4月13日日曜日
国産新感覚ホラームービー 『2025年7月5日 午前4時18分』
【公開日】2025年初夏公開予定
【出演】小栗有以(AKB48) 船ヶ山哲 大熊杏優 大関れいか最近見に行きたい映画がなく
https://branc.jp/article/2024/11/13/1341.html?pickup_list_click2=true
https://branc.jp/article/2025/01/20/1420.html?pickup_list_click1=true
脚本家や俳優を中心とした映画関連組合のストライキにより、撮影件数が激減、とある。
そこに加えて火災などが加わり、イベントも開催しにくくなった、ということであった。
映画界もグレートリセットの波に飲み込まれてしまったのだろうか。
こうなったら仕方がないので、過去の映画作品をTV放映分やレンタルDVD、アマプラ、その他、契約していないがネトフリなどもあるので、様々な方法で家での視聴をするしかないかもしれない。
2025年3月18日火曜日
Youtube 映画「The Day After (1983)」、「Threads (1984) 」
The Day After (1983) https://www.google.com/search?q=The+Day+After+(1983)&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8#cobssid=s
Threads (1984) https://www.google.com/search?q=Threads+(1984)&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8
どちらも核戦争の被害にあう人々の姿を描いたものだが、Treadsの方が、核被爆後の人たちの生々しい、余生、と言ったほうがふさわしい悲惨な姿が細かく描かれていた。
The Day・・の方は、人々が被ばくしてから直後間もない被害状況にスポットライトが当てられ、その後の人生については描かれていない。
Threadsのほうは、何日後・何週間、何カ月、何年後と十年以上にわたった描写がなされている。被爆直後に即死する人、大火災に巻き込まれて焼け死んだ人、ケガがもとで亡くなる人以外に、放射能を浴びて体調を崩し、病気になって死ぬ人たち。食料や水、電気もない中、凍えるような寒さ、相当苦しんだ彼らも膨大な人数であっただろうが、生き残った人たちも悲惨であった。
ずっと後になっても以前の生活どころか、崩れて黒くすすけた家の残骸に身を寄せながら、着の身着のまま、ネズミを食べたり、虫の被害や天候被害に遭いながら、やせた土地を耕して命からがら生き、悲惨な生活を送る。
被爆する前は、素敵な生活を楽しんでいた女性、被爆後に母親となったが、夫や家族も亡くなり、長い間つらい生活を続けていた。子供が10歳を超えたころには老婆のように老いさらばえ、歯もぼろぼろ、白濁した目をあけたまま、黒く汚れ切った家のねぐらの中で、娘の目の前で息をひきとった。寿命もおそらく縮んでしまっただろう。人々は、笑顔も余裕もなく、口数もなく、表情も暗い。おそらくホームレスより何倍もひどい。ただのホラー映画よりもずっと恐怖感を覚える、恐ろしい話である。
2025年3月11日火曜日
ウォーキング・デッド シーズン11 の放映が始まりました。
久しぶりに見たが、登場人物が多少入れ替わっていた。 |
何年も前に、シーズン6?位を実家で見ていたのだが、あまりの残虐シーン(レギュラー出演役のキャラクターが、あっという間に問答無用で惨殺されてしまい、しかも映像がかなりグロかったので、なんだかドンビキしてしまい、見るのをやめてしまったのであった。特に、グレンの撲殺シーンなどは、頭がつぶれて目玉が飛び出し、それはもうひどいものであったと感じたのである。
そこから年月が流れ、シーズン11の開始で見だしたのだが、いつのまにやら主人公っぽかったリックやカールはいなくなっており、ダリルやマギー、キャロルらが主要キャラとなっていた。(視聴していたころの顔なじみにはほかにも、ユジーン、ロジータなど)
シーズン6~10のあらすじは、またネットで調べてみようと思う。
(追記)
ウォーキングデッドのwiki的なサイトがあり、そこからシーズンごとにしらべることができる。
あらすじをななめ読みしたところ、カールはシーズン8で死んでしまい、リックやミショーンは、一行と別の道を歩み出し、一時的に物語から姿を消して、ラストのほうで合流するようであった。
後記・・シーズン11は、知事の独裁制がしかれ、見て見ぬふりをされている独立都市を舞台に、レギュラー役を中心にして市民が立ち上がり、民主的な集合体に生まれ変わるまでが描かれている。
その後、はぐれた仲間を探しに、ダリルが一人、バイクにまたがって放浪の旅に出ていくのだが・・。現実は厳しい。ドラマだからこそ、あくまでも格好がつけられるのである。(冷めたことを言うと、ガソリンが切れたらどうするのだろう。水・食料を持つにしても限りがあり、ガス欠もあり、ゾンビたちの群れにやられて終わるのではないか、という感想を抱かずにはいられない)
そして、それぞれ、ニックやミショーンは一人ひとり、力強く生きているシーンが出てきた。リックの発した「生きるのは、自分たちだ。」は、みんなの胸にひびいた。いや、立派な言葉であるが、何度も言うが水・食料の消費に縛られること、安全な場所で休息をとる必要がある以上、ゾンビがいなくてもそれなりに大変なのにどうするのだろう、としか言いようがない。が、ラストシーンでこの格言を心にしながら皆、強く生きていくことを誓うのだった。
といった、ちょっと理想論過ぎる感じもするラストであった。(ただし、完結するにはこの感じで持っていくしかなさそうである。)
2025年3月10日月曜日
スーパーマン4(1987年)
スーパーマンの後ろにいるのは、ニュークリアーマンという敵役キャラ。マッチョで金髪碧眼、華やかな容貌でスタイリッシュな雰囲気もあるのだが、何も考えないパワー派なイメージもある。 |
スーパーマンが博物館に寄贈した髪の毛を盗み出したルーサーによって、太陽の力を利用して作られたニュークリアー・マン。こんなことに悪用されるようでは、スーパーマンは、自分の身体の一部でさえ、だれにも入手できないようにしなければならなくなる。
そしてニュークリアーマンは、ひたすら高出力パワーを誇る人造人間だが、爪でスーパーマンをひっかいたところからスーパーマンを弱らせ、あわや老衰で死亡するところまで追いやった。3とはまた違った危機を迎えるところも一つの見どころであった。
核兵器の廃棄をスーパーマンが一手に引き受けたところも象徴的であったが、悪役ルーサーが、スーパーマンを排除しかけた時、「恐怖心をあおって金を儲ける」と言ったところが、戦争や感染症を経験する現代に、それを感じさせるような共通な話なのではないかと思わせた部分である。
2025年3月8日土曜日
スーパーマンIII/電子の要塞(1983年 アメリカ)
悪の心に支配されてすっかりやさぐれてしまった、ダークサイドスーパーマンがこの作品の見どころの一つ。高校同級生の美人シングルマザー役の女性は、映画「IT」にも出演しているようである。 |
2025年2月17日月曜日
ゼロ・グラビティ(2013年 アメリカ)
見ていてドキドキ感のある、サバイバルサスペンス映画である。 |
https://www.google.com/search?q=%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%86%E3%82%A3&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&oq=%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%86%E3%82%A3&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUyCQgAEEUYORiABDIHCAEQABiABDIHCAIQABiABDIHCAMQABiABDIHCAQQABiABDIHCAUQABiABDIHCAYQABiABDIHCAcQABiABDIHCAgQABiABDIHCAkQABiABNIBCDQ0ODBqMGo3qAIIsAIB8QUvTzB_RmeqKw&sourceid=chrome&ie=UTF-8
これこそまさに、見ていて何度もドキドキさせられる娯楽映画らしい娯楽映画だと思う。
とにかく、死んでおかしくないシーンが多すぎる。
1.宇宙ダストが大発生し、こちらに向かって大量に飛来してきたため、浮かんでいた宇宙ステーションがどれもこれも大きなダメージを受けた。ステーション乗組員も死亡、船外作業をしていた仲間も死亡。
2.宇宙に投げ出されるも、仲間のロケット噴射スーツのおかげで拾われ、なんとかロシアのステーションにたどりつけた。(仲間はたどりつけずに死亡)
3.たどりついたステーションで火災が発生し、船内が火の海となる。封鎖・離脱して逃れたが、バッテリー不足で死を覚悟したところ仲間の幽霊(または神か、幻的なもの)に助けられ、脱出方法がひらめく。なんとか「着地」をすることで、中国のステーションにたどりつく。
4.操作方法がよくわからないまま大気圏突入を試み、なんとか無事成功。
5.湖のような水中に到着し、そのままポッドが水中に沈むも、なんとか脱出。
1~5の手順で地球に帰還してきたのだが、どの手順中に死亡してもおかしくないくらい危険な状態に陥っている。なので、宇宙から見た美しい地球の景色を背景に、無情なサバイバルが何度も試されていく、というのがこの映画の見どころとなっていると思う。
ロシアステーションにたどり着く直前に漂流して死亡したジョージクルーニー(マット)が、死後も主人公の命を救うべく見守り続け、脱出のヒントを与えて助けくれたシーンにより、さすがの存在感を与えてくれた。
2025年2月15日土曜日
2001年宇宙の旅(1968年 アメリカ)
アーサー・c・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督作品。 |
初めて見たのはまだ子供のころ、実家で確か父と一緒に家のテレビで見ていた記憶があった。サルがこん棒のようなものを手にして勝ち誇ったポーズをとったシーン、コンピューターが二人の宇宙飛行士の会話を、唇の動きで読み取っているシーン、宇宙飛行士が怒り、機能を解除したシーンを印象的に覚えていた。
再度、十年ほど前に見たときは、最後のシーンの室内がずいぶん美しいなあと感じたこと、宇宙飛行士の人間として迎えた最期のシーンだったというのを理解はした。 今回は全体的な流れをうまくつかみたいというのもあったので、それぞれのシーンが何を言わんとしているかを確かめてみた。
結局なぜ一度見てわかりづらいかと言うと、それぞれのシーンは美しく、クラシックの名曲も流れてとても詩的で感動的であり、印象付けとしては強いのだが、シーンによって物語の展開が異常に遅く、集中力が奪われ、セリフ部分も異常に少ないことから、結局よくわからなかった、ということになっているのである。
見てもわかりづらいため、ネットレビューなども併せてみた。 https://www.google.com/search?q=2001%E5%B9%B4%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E6%97%85&rlz=1C1OLVV_enJP984JP984&sourceid=chrome&ie=UTF-8
大体想像通りだが、最後に生き残った宇宙飛行士は、モノリスによって、宇宙生命体に転生した、ということらしい。モノリスによって一部のサルが道具を使うという知恵を得て進化し、人間となり、(一部の人間が)やがて行き着く最終形態は宇宙生命体である、という話だろうか。
そして、AIに頼り切ることへの危険性が、この作品でも描かれていた。AIの不具合により、人間の抹殺という恐ろしい事故が起こり、コールドスリープの乗組員も全員生命維持を停止されて殺されてしまったわけだが、たまたま後日見た動画で、イーロン・マスクがこんな解説を入れていた。https://www.youtube.com/watch?v=FU07R8LIrxc&t=1s (8:56~あたりから。AIが100%正直であるべきである、という彼の考え方には、とても共感を感じる。)
解説を見ていくと、乗組員をモノリスに「連れていく義務」と、彼らにモノリスの存在を「知らせてはいけないという義務」の矛盾にAIが挟まれた結果、全員殺して連れていく、という選択になってしまったのだそうである。そして、職務上AIは、どちらの義務も果たしたことになった。そこがAIの怖さでもあると言えるし、場面は違えど迎える未来にも起きそうな話である。 そういえば、AIをシャットダウンさせている途中のシーンで、ビデオ録画メッセージが入り、木星につくまでは任務は秘密だという話が入っていたようだった。
何でもかんでも極秘にしすぎたせいで、事故も起きやすいのでは、という気もする。モノリスの存在を隠すため、ロシア?などの関係者には感染症が広がっているというデマを流し、立ち入り禁止にしている区域もあるという話もしていたので、国家の覇権争いの生臭さも感じる。
2025年2月13日木曜日
セル(2016年 アメリカ)
携帯を使っていた人々が、ゾンビ化するという話。 |
このゾンビは人を襲ってくるが、人を食べるのではなく、進化によって自らが電波を発して人間を感染させるという技を使って仲間を増やしていく。
離婚によって、妻と一緒に別れた息子にひたすら会いたいと思う主人公。息子が感染者になっているのはほぼ確実なのに、やはり息子を探し求めて危ない道を行く、という主人公の行動は、おそらくほぼ共感できないと思われる。相手はもう、元の息子ではない可能性が高いからである。思った通り、最後は主人公も感染させられ、同じ仲間たちと一緒になって電波塔の周りをうつろな顔でぐるぐると回り続けるゾンビとなってしまった。
一方、主人公と行動を共にして、最後に別れたサミュエル・L・ジャクソンと少年はどうなったのか。描かれなかったそこが気になったが、最後のエンディングがやや衝撃的だったので、そちらへの注意力がそれた。
2025年2月12日水曜日
ミッシングチャイルドビデオテープ
子どもの時に山の中の廃墟の中で、兄弟でかくれんぼをした。その日を境に弟は失踪し、兄はずっとそれを引きずり続けた。 |
ホラー映画大賞受賞作品だったようだが、こちらの作品は当時見ていなかった。映画館のロビーで持ち帰ったチラシを自宅に置いたまま何カ月も経ったが、最近見に行きたい映画も少ないと思っていた中で、このチラシを思い出した。
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山の中の廃墟も、存在しない建物であったという設定から、異世界から時折アクセスできる状態になる存在となっているようだった。少年時代にかくれんぼをしたその時、弟は階段から落ちて転落死しており、その魂は常に主人公のそばからはなれなくなっていたようだった。
同居人の友人が霊感がありながらも、そのことをはっきりと主人公に伝えなかったのは大きな間違いだったと思う。主人公は間違った希望を抱くことで、弟を見つけることに固執し、また真夜中の山中の廃墟を探しに行ってしまう。
電話から聞こえる不気味な声や、実家の母が自殺して霊となって、訪れた友人に迫ってくる不気味さが、ホラー感たっぷりの演出となっていた。
友人も後を追って入ったが、廃墟の中で主人公と合流できないままさまよい、時間もなぜか夜のはずなのに昼間の光に包まれており、そのまま現実世界から失踪してしまった。ということで、異次元系ホラーという要素の強い作品だという感じがする。
2025年2月11日火曜日
デイ・オブ・ザ・デッド2(2005年 アメリカ)
感染の舞台は、病院内であった。 |
初めに感染の起きた病院から、ウイルスを盗み出した男がいたが、射殺され、ウィルスの瓶も道端に転がったまま放置されていた。そこを他の精神病院の患者が拾い上げて病院に持ち帰り、またその瓶を開けて次の感染を起こしてしまうという話。
眠らない・食べない、という異変を起こしながら徐々にゾンビ化する患者たち。一度欲望に駆られて人肉を食べると、心身共にゾンビになるらしい。そんな中、人間らしさを保とうと食べる欲望と戦い、正気を保とうとする数名もいた。
ゾンビとなっても今回のゾンビは、人語を話し、これまでの記憶や思いをそのまま引き継いで行動するところが他作と違っている。
官僚主義的な病院長、患者と打ち解け、良い理解者となっている病棟医師だったが、みんな感染してしまった。
そして、最後の部分が尻つぼみな展開となってしまったのは残念で、感染済みの女性患者がいつのまにか妊娠していてあっというまに臨月状態となり出産、という場面になったがその後どうなったかわからないこと。そして人間性を保ったままゾンビになっている人達のその後の状況も描かれないまま、映画が終わってしまったところである。せっかく特殊な設定にしてあるのに、物語の先が描かれない、なんとも中途半端な作品となった。
2025年2月8日土曜日
マイノリティ・リポート(2002年 アメリカ)
トムクルーズ主演の近未来SF。3人の予知超能力者によって犯人が事前特定され、逮捕収監されることで、犯罪が未然に防がれる社会を描いている。 |
事前逮捕を担当する捜査官を務める主人公が、自身にとって不都合な未来を見た局長によって家族も自身も巻き込まれ、人生そのものを操作されてしまう。
結局、局長がすべての真犯人であり、自身の地位を利用してデータ改ざんし、自分の行った殺人の予知画像を削除したり、何者かがデータ操作をしていることに気づいた殺人捜査官の追及を逃れるために殺害したりと、利己的な行動に走る。
データ室の管理者が、ところどころ故障している、と言っていたが、局長による改ざんと思われるデータ消去が原因のようだった。それによって主人公の人生も大きく狂わされてしまうのである。不具合の発生や、人為的な操作が加わると、たちまちデータが狂い、間違えたデータを正しいことと思いこまされ、それによって支配されてしまう。 つまり、一部の専門家や能力者の功績はすばらしいが、それに一方的に頼っていると致命的な抜け穴がある可能性があり、気づかないと大変なことになる、という警鐘のようなものが感じられた。
そもそも予知能力者たち、年柄年中プールに浮かされたまま、予知を見るだけの人生になっていて、生活の自由も与えられずにそこに縛り付けられ、人権のない気の毒な存在であった。(幻想的なイメージを出すためにそういった演出なのかもしれないが、食事や排せつ、入浴など、まさかプール内ですべて済むとは思えない)また、眼球の移植手術、タランチュラという電子ペットによる捜査、予知センターの開発者の女性博士の植物園、などファンタジー色のあるシーンが、いろいろあって面白い。
2025年2月6日木曜日
インターステラー(2014年 アメリカ)
地球の危機を救うために、移住可能な惑星を探しに行った父親が数々の試練と不思議な体験を経て、異次元の世界から娘に信号を送り、地球を救ったという話。
幽霊だと思っていた存在が、実は未来から次元を超えてやってきた父親で、過去ではなく未来を変えることで地球の危機を救った。結果としては死者が続いたが途中、失敗だったと思えたマン博士から受けた裏切り、そのあとのブラックホール(ガルガンチュア)への突入は、主人公の父親が地球を救うための道筋だったようにも見える。
SF特撮の良さというのか、水の惑星にたどりついたとき、山だとばかり思っていたものが実は、大きな巨大波であり、圧倒的な高さで襲い掛かってきたシーンはロマンを感じる。
5次元?世界からだと時間も空間も支配できるという話、神の領域であるがもちろんそんなものはこの4次元?(立体が3次元で+時間が存在)からだと見えない。が、こちらからは日常的には見えないが何かが存在する、というのは意識してもいいと思える。
2025年2月2日日曜日
アメリカの広大な畑を舞台としたホラーは、意外にいろいろあった。
畑の迷路感からくる恐れや、そこに何かが潜んでいるかもしれない、案山子(スケアクロウ。かかし)が動き出したりするという恐怖感を題材にした映画は数々作られている。とくに「スケアクロウ」というのは、モンスターの一角を確立した存在のようである。
全部見たい、というほどの興味はないが、ホラー映画において、案山子という題材は、一つのジャンルを築いているようである。
エイジ・オブ・パンデミック(2020年アメリカ)
S・キングの名作短編を改めて映画化した戦慄のホラー。広大なトウモロコシ畑が廃棄されることになり、カリスマ的リーダーに扇動された子どもたちが大人たちに反旗を翻す。(説明文より) |
悪徳企業に騙され、トウモロコシの品種改良に失敗したためにトウモロコシをやめようとしたら、その畑にいる魔物と懇意になっていた少女が、子供たちを味方につけて大人たちを殺しだした、というめちゃくちゃな話である。
設定はむちゃくちゃだが、この話の伏線には、こんな伝説のような言い伝えがあるようである。「トウモロコシ畑は深い森のようになっているから、迷子にもなるし不気味である。そこにはトウモロコシ畑に住む妖精や魔物がおり、迷い込んだものを取り込んでしまうことがある。」
日本の作家、村上春樹のショートショートにもたしか、「アスパラガス」の畑の話があり、夜になると毒ガスを発生させて倒れた人を襲う、といった話だったか、昔たまたま読んだ記憶がある。
アスパラガスが毒ガスを出す?という設定から、やはり不気味なものの存在としてとらえていたのだろうか。
森林よりも背は低いのだが、食用として植えるが相当高く育って人の背をこえることから、迷路のように生い茂る、トウモロコシやアスパラガス。そこから迷路・魔物の存在が、イマジネーションとして現れてくるようである。
2025年1月9日木曜日
スピーク・ノー・イーブル 異常な家族 を観てきました。
XメンのプロフェッサーXことエグゼビア教授、を演じたジェームズ マカヴォイの主演。どうしてもエグゼビア教授のイメージが強いが、久しぶりに見ると、ずいぶんマッチョ体型になっていた。 |
旅先ですでに彼らの人間狩りは始まっていた。無職、移住者、などの周囲とのつながりがうすく、存在の有無が気にされない家族たち、そういう人達がおそらく狩りの対象者であることだと思われる。狩りの対象を見つけて自宅に招待し、最後に記念写真をとってから殺害して金品を奪うというやり口で、生計をたてているようであった。写真はアルバムに貼られ、少しづつ増えていく。
強盗殺人の変型版のようなものである。アメリカは国土が広大で、隣家との距離もあり、銃社会であることから、このようなストーリーが出来上がったと思われる。
話をすすめていくうちに、ホストの夫婦の挙動がおかしいこと、息子さん(本当は家族を殺された後に舌を切られてしゃべれなくなった子ども)の様子もおかしいことに、だんだんと不気味な雰囲気が増していく。